「天国を覗く窓」
―蓮の窓 覗いて見ろよ 天国を―
                                

涙が滲み、頭を垂れた。
「天国を覗く窓」。写真の前で時が止まった。ピンク色の水の妖精「舞妃蓮(まいひれん)」。花言葉は雄弁、遠ざかる愛。蓮の蕾に、天国を覗く窓。切なく涙が止まらない。逢いたい。亡き人の名を胸に呼んだ。
8月6日から12日迄、千里ニュータウンプラザ2階エントランスホールで、「花と緑の写真展」第23回「写楽22写真展」が開催された。
力作揃いで、感嘆の声が上がっていた。2023年の、貴重な目撃者の記録と映像だ。辣腕のレンズが捉えた「天国を覗く窓」。撮影は、西條親来(さいじょうちから)氏。被写体を捉える息づかいまでもが聞こえてくる。場所は「万博記念公園蓮池」とある。頬を拭う私の傍で、来場者の足が次々に止まる。8月は亡き人を身近に偲ぶ時期だ。亡くなった人に逢いたい。黄泉の者へ語り掛けるように。人々の視線は動かない。

西條氏から「天国を覗く窓」に託した思いを丁寧なメールで頂いた。
「令和5年7月6日、写真クラブの撮影会で撮影した作品である。蓮の撮影会にしては遅い時間(10時半頃)の撮影時間である。
この日の撮影目的は万博公園(蓮池)。毎年来
ているので、蓮池の周りを一周。
15m程向こうに面白いものが見えた。蓮の
蕾に穴が空いている。でも普通に空いている
のではない。何かのいたずらか? 光のいた
ずらか? 何かが私を呼んでいる様に見えた。
その蕾を望遠レンズで覗いて見ると、まさし
く光のいたずらで私を呼んでいる。この窓か
ら覗いて見ろ。何かが見えるぞとささやいている様であった。お盆に近いし、蓮の花なので、覗いて見れば天国が見えるであろうと一瞬思った。
『天国を覗く窓』又は『パラダイスホール』どちらかに決めたい。矢張りこの季節は日本語がいいと思って日本名を付けた。『蓮の窓 覗いて見ろよ 天国を』」

8月13日から16日にかけては先祖の霊を迎えて祀る行事、お盆だった。筑後の実家で、泥の中から咲く美しい蓮の花を仏壇に供えるのは、私の役目だった。極楽浄土は神聖な蓮池であり、蓮は、純粋のシンボルだと母は教えてくれた。
幾つもの新盆を蓮の花を備えて迎え、「また帰ってこんの」(また帰っておいで)とあの世に送り出した。「天国を覗く窓」に、みまかりし父母、兄弟との遠い日を思う。
「天国を覗く窓」。窓や、穴があると覗き込みたくなるのが人間の本能だ。写真に顔を寄せると声が聞こえる思いがする。逢いたい。
中絶手術の失敗で従容(しょうよう)として死を受け入れ、7人の年端もゆかぬ子に「サヨナラ」を告げた母。破傷風菌で身体を震わせながら私の腕の中で息絶えた弟。父母を失っていた。
蝉のカンタータ(独唱、合唱、重唱等の大規模な声楽曲)が聞こえなくなった立秋。つくつく法師の声を聴いた。柿が甘くなるサインだ。故郷は、柿の名産地で、敷地には、大人の両腕で抱えきれない大木もあった。「のりこねえちゃま、食べたい」兄弟の声に推されて柿の木に登り始めた。5m程登って転落、意識を失った。枯れ枝に足をかけたと後で聞いた。
一面の枯れすすきの中を、髪をなびかせて走る私。何処に向かおうとしたのだろう。
「のりこ!のりこ!」可愛いがってくれた「おっちゃま」(おじさん)の太い声が聞こえた。近所の人にも介護を受け、泣き出した。耳と頭を強打し、出血。3カ月の入院。授業課題だった九九算が言えなかった。処暑のあの日、私は確かに天国に走っていたのだと思う。
8月20日「吹田自分史の会」では「母の口癖と私の生い立ち」、入院中の足立ローズさんの優れた文章を朗読。8月24日訃報に接し、衝撃で言葉を失った。絶筆。紙の墓碑となった。

散る桜 残る桜も 散る桜    (良寛)
「この世の全ては無常だ。生きとし生けるものが宿命づけられたはかなさ。いつか誰もがここを去る」良寛の辞世の句だ。求めあう人とも別れは、必ずやって来る。

亡き人が守りし命 処暑を生く     (のりこ)

西條氏の「天国を覗く窓」の写真を見つめながら、拙文を残している。

おやすみ おやすみ 愛しい人たち
「天国を覗く窓」祈りの蓮の花に包まれて