「神戸港24時」

―ああ 懐かし その日―

                  

5月29日から「西山田ふらっとサロン」で開催された写真展。

前期写真展の「天授庵」(南禅寺の庫裏)―美しく神々しい祈りの世界―を

高野台慕情52で、拙文に残した。

後期写真展についても、「神戸港24時」西條親来氏の力作に目が釘付けになった。(写真参照)

闇の中に七色の光のプロミネンス、

澪筋が灯台に照らされている神戸港。

豊穣の海を捉えた美しい映像。

西條氏は、6月⒑日から6月16まで、

「大阪写真月間2023写真家150人の

一坪展」にも臨場感溢れる

「瀬戸内海のある一日」を展示し、

来場者の感動を呼んでいる。

(次ページ写真参照)

後援は大阪府と大阪市だ。

「神戸港24時」

真実をその一瞬に永遠に残す写真、

 

「神戸港24時」の撮影時の思いを

メールで頂いた。

「この作品は2022年⒑月20日24時

に撮影した作品です。

被写体は、真夜中の神戸港です。

 

           

 

       

 

「瀬戸内海のある一日」

 

 

四国高松を119時15分に出発し、小豆島を経由して24時に神戸港へ入港するジャンボフェリーに乗船して神戸港へ入港直前の状況を撮影しました。

四国高松と神戸を繋ぐジャンボフェリー(りつりん)の船上からです。

船上でカメラを持ってもエンジンの振動で画像が揺れて写真作品にするのは非常に難しい。しかし、船は接岸直前にエンジンを停止する瞬間がある事を知っている私は、その瞬間を狙ってシャッターを数回切りました。その中の一枚です。画面の左側に光っている赤色の光は数秒ごとに緑色の光と交互に切り替わります。(海上交通安全法による)

真夜中でも港は明るく流石神戸港だなあと感じる時間でした。

昔(昭和40年頃)は100万ドルの夜景と言われた神戸港です。

私も昭和40年頃にこの場所から神戸港を感じた経験があります。

タイムスリップした感じで懐かしく感じましたが、その頃よりも明るい神戸港に時代の流れを感じました。

冬の天気のいい風の弱い夜は、港の灯りの海面に映る光がキラキラ感一杯で素晴らしく光り輝き一層美しい港の風景を醸し出してくれるだろう。」

 

 

 

「神戸港24時」。見つめていると遠い日の軌跡が閃光のように脳裏を走った。

巡りくる春弥生。高野台水路が桜花爛漫に染まると「神戸ルーテル聖書学院」へ私を連れ戻す。

「その光に導かれてわたしは暗黒の中を歩いた。」(ヨブ記29章3節)

勉強したいと願った私は、宣教師の勧めで、授業料免除、食事代寮費無料の

「神戸ルーテル聖書学院」への入学を決断した。貧しかった。

教室で、食堂で、寮で、男女が生活を共にした得難い機会だった。

幕末の慶應3年(1868)開港が、神戸の運命を決定づける。

山手には異人館が並び、旧居留地にはレトロビルが林立、遠いヨーロッパの古い街を連想させた。学院の近くには、緑豊かで、広大な外人墓地もあった。

私は、女子寮の二階で、3人の相部屋、神戸港が眼下に広がり、船の汽笛も聞こえてきた。

西條氏のメールのように、美しい夜景が今も走馬灯のように浮かんでくる。

「神戸港24時」西條氏が心を打たれたイルミネーションが彩る神戸港への讃歌。

私の思いを永遠にとどめた写真。

忘れられない。

学院は、懐かしさいっぱいの学び舎だった。

教師の多くは、日本語の話せる外人で、ウインテル先生、スタィワルト先生等の謦咳に触れた授業は、今も鮮明に戻ってくる。

 

わが胸に波紋なげてゆきし日々

    すべて懐かし時は流れて