「高野台慕情」の題名のシリーズを綴って51編になった。8月の朗読文として、そのうちの第37と第51の副題名を変えて連記する。

母の絶叫     

3月29日、終の棲家前、高野台水路沿いのソメイヨシノが満開になった。
幸せの青い鳥、カワセミが飛んで来る。夕映えにわが家はピンク色に染まる。樹齢約60年、67本の桜並木の道、花の家だ。春弥生めぐる桜に平和を祈る。
 2022年2月24日、ロシア軍によるウクライナ進撃、大量殺戮が始まった。
「殺さないで」77年前の母の絶叫が蘇る。悲惨極まるテレビ画面に目を掩う。
犠牲者の多くは子供、女性、高齢者だ。
九州筑後の空を埋め尽くした敵機に怯え、泣き叫んだ日々を彷彿とさせる。
「triangle」(トライアングル)のCDを聴き、SMAP(スマップ)と歌う。

♪精悍な顔つきで構えた銃は、他でもなく僕らの心に突き付けられている♪

テレビを見るたびに戦場と化したあの日の光景がフラッシュバックする。
日本も他国から攻撃の可能性を排除することはできない。他人ごとではない。過去に目を閉ざす者は、現状にも目を閉ざす。

  さくらばな とどまらざらむ 
  憲法の恣意解釈のきりぎりに舞ふ  (水原紫苑)

断崖に花びらが舞う。憲法9条改憲の断崖に櫻花舞う。国民生活の崩壊を象徴するように。戦争放棄、戦力不保持、国の交戦権不保持の憲法9条を持つ日本。
2021年6月11日、憲法改正を定める「改正国民投票法」が成立した。驚愕するほど膨らむ防衛費、他国との実弾演習は既に常態化している。
青空に満開の桜を仰ぐ。〈貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭で咲く。咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ、国のため〉レコードで聞いた軍歌が蘇る。特攻隊には若櫻隊、初桜隊など、命を差し出させ、美しく散る桜を戦意高揚に利用された。大人も子供も物も戦争一色。
桜は戦争を鼓舞する象徴となり、3百万人以上が犠牲になる。
故郷、山村の墓地には、遺骨なき戦死者、若者の立派な墓が並んだ。77年前の第二次世界大戦の大量殺戮、広島、長崎への原爆投下、無条件降伏。戦争の実態を、2022年再び目の当たりにしている。窮鼠猫を嚙む。
人道に反する究極兵器、核による威嚇にすらロシアは踏み込んでいる。核兵器保持数はアメリカ6685、ロシア6500、中国290、フランス300、北朝鮮20~30。 

核弾頭秘め宇宙(そら)浮く地球露のいくさ    (憲子)

歴史は繰り返す。4月3日現在、和平交渉は進まず、世界大戦の危機も孕んでいる。
 1945年、桜咲く筑後川の河川敷に、米艦載機が墜落、パラシュートで若い米兵が落ちてきた。村人は用意していた竹槍で、米兵を刺す。勤務先の学校から帰る途中だった母は絶叫した。 
「殺さないで、殺さないで」
国際法に違反する行為だ。教え子がいた。厳しく周りを制止した。
「吉岡先生たい」(吉岡先生だよ)
殺戮は止まった。母は父に涙声で話していたが、私は隣室で聞いていた。
米兵は、無事故郷に帰っただろうか、そう信じたい。パラシュートでの落下はその後も続いた。生き残りを賭けた熾烈な戦い。犬に追い立てられた猫はライオンのように荒々しくなる。8月6日に広島、9日長崎に原爆投下。8月15日終戦。
一刻も早い停戦を。雨に濡れて美しい櫻花爛漫の高野台水路に祈る。
「高野台慕情29」でも綴った、「きけ、わだつみのこえ」(日本戦没学生の手記)序文の詩、ジャン・タルジュ(1903―95年)フランスの現代詩人の言葉を再発信したい。

  死んだ人々は、還ってこない以上 
  生き残った人々は、何が判ればいい
    死んだ人々には、慨く術もない以上
  生き残った人々は、誰のこと
  何を慨いたらいい
  死んだ人々は、もはや黙っていられぬ以上
  生き残った人々は沈黙を守るべきなのか 


  紙の墓碑
                      
千里図書館で本を探していた。目的の本が見つからない。突然、目の前に大きな活字の本が現れた。
『生きる』梅田米大著。息を吞む。『わが人生の想い出』第4集で宮本吹風氏が、この本について触れていたのを思い出した。
横幅18センチ、縦幅26センチ、厚さ21センチ、両手で抱き取る。重い。
『生きる』は、随想詩と花の画集だ。本の帯に「生きるのがうれしくなるぬり絵ができる本 読む 見る ぬる 楽しむ 本著の詩や絵の複写転載使用は無断でご自由に」と、ある
真紅のばらが表紙に、珠玉のように輝いている。茫然と立ち尽くす。
「語彙も貧弱、一生懸命綴りました」と綴るが、戦争に駆り立てられ、戦後を生きた人の、才能溢れる謙虚な文章、言葉の重みが胸を打つ。
本の発行は「自分史の会研究所」。震える手で、ページをめくる。
1943年8月6日 初版発行
1995年8月6日 二版発行
1998年8月6日 三版発行
8月6日の日付が一致している。『わが人生の想い出』第一集に、氏は8月6日の悲惨な広島原爆投下の経験談を自分史に書かれていた。「被爆大叔母の最後」は被爆した大叔母が全身の火傷で幽霊のような姿で、15里の道を歩いて辿り着き、間もなくして亡くなった悲惨な思い出を綴っている。
三版発行は愛読者が絶えなかったのだ。爆発的な売れ行きを暗示している。『生きる』梅田米大著は、生き続けている。
梅田米大氏。庶民の綴る記録が、歴史に昇華するきっかけを作った
「吹田自分史の会」創設者だ。
梅田米大氏を追い、一気に読み進んだ。おもかげの人がズームアップされる。逢いたい。『わが人生の想い出』第4集で、おもかげの人の写真に出会った。あの時「吹田自分史の会」」に入会していたらと思う。
吹田市の全図書館所蔵『わが人生の想い出』第一集から第三集迄に遺された足跡を辿り、終焉の地、高野台で5月、拙文に残したい。

緑こぼれる高野台
卯の花の香よ ほうたるの灯よ  (憲子)

 おもかげを先立ててゆく文の道
       君の辿りし歳月 愛し      (憲子)

梅田米大氏から私の新聞投稿をきっかけに、丁寧な手紙を頂いた事がある。「吹田自分史の会」に入りませんかの趣旨だった。叶えたい夢、変わりたい自分もあったが、日曜日が仕事で入会を断念していた。
2019年3月、宮本吹風(すいふう)氏から「コーラス教室」で、入会案内を貰った時、なつかしい手紙が稲妻のように光った。
忘れ難い故郷を離れ、吹田に生きた稀有な文人は2015年8月1日逝去と知る。悲しみの窮まった瞬間、ああ、何を思ったのだろう。幽明相隔てて尚、おもかげの人は、私を待っていたのだ。
図書館の司書に梅田米大氏の全著書を依頼した。  
大阪市立中央図書館に「自費出版の十二章」もあった。1995年改版一版。「原稿は誰にでも書ける。心を込めて書いた方が感動を呼ぶ。この世に生を受けた証に文化的遺産としての、あなたの本を残してください。本ほど感動的に生き様を伝え、後世に残せるものはありません。石の墓碑より、紙の墓碑を」(文章は省略)
梅田米大氏の、後世に残る偉大な「紙の墓碑」すべてを抱きしめた。
未来は、いま、何をしているかで決定する。
おもかげの人の足跡を追い、私は何を残せるのだろう。紙の墓碑に。