歌は今の私を支えている。身体もこころも。振り返ると歌の想い出文が2編ある。

荊棘(けいきょく)の2020年カキクケコ」は、2017年から2018年、吹田市の「いきがい教室」のコーラス教室に参加した思い出の文章。昨年末に綴った「伝えたい高野台の歌」は、地元高野台の山本氏作詞に、私が「夕焼け小焼け」を選曲してご当地ソングとして、皆と一緒に歌うようになった感動の文章である。歌は愛だ。

 

荊棘(けいきょく)の2020年 カ・キ・ク・ケ・コ

 

2018年3月6日、吹高連(すいこうれん)主催「吹田市いきがい教室発表会」が千里ニュータウンプラザで行われた。私が参加した教室は「コーラス教室」。前年の6月から千里ニュータウンプラザの5階にある「高齢者いきがいセンター」で10か月間練習した成果を発表する晴れの舞台である。

 発表会の開始前の練習で、共に学んだ宮本義次氏(吹田自分史の会会長)の横に座っていた。教室では見たことのない姿にコーラス指導講師の生島弓子(いくしまゆみこ)先生が二人の姿に注目した。

「秘書で~す」

と私。皆さんが笑い、生島先生は楽しそうに通って行く。因みに宮本氏(以下は氏)は白いワイシャツ、黒ズボンに蝶ネクタイ。私は白いブラウスに黒のロングスカート姿だ。前日、氏が配った「吹田自分史の会」の入会案内をもらい、是非入会したいと思い、会のあり方を訊いていたのだ。

「吹田自分史の会」は過去の思い出を文章にして毎月1回提出し、朗読工房の方2人が参加して、会員の提出文章を順番に朗読する。

 早速入会して、同年3月に私の処女作になる「百年前の神々の音」を書く。赤面の思いであったが杞憂であった。当惑の拙文を氏は活字化して巧みに正確にバランスのよいものにしてくれた。二心合作だ。

 非接触、非対面、パンデミックとなり猛威を振るう新型コロナウイルス(以下コロナ)の収束は遠い。私は後世の世界史に残る中を生きている。貴重な自分史の日々だ。コーラス教室で巡り逢えなかったら、この荊棘の2020年、為す(すべ)もなく過ごしていただろう。

 「人間、何歳になっても『カ・キ・ク・ケ・コ』が大切。『カ』は感動、『キ』は興味、『ク』は工夫、『ケ』は健康、『コ』は恋。カキクケコを忘れたら老いは確実に来る」大島清(おおしまきよし)著『歌うと何故心と脳にいいか』は(とう)を得ている。

 発表会で歌う「灯台守」「黄金虫」「アニー・ローリー」をヒメボタルの棲む高野台緑地で特訓を受けた。

「人間は歌う動物だけど音痴もご愛敬ね」

 (にわ)か教師の言葉に皆さん笑い出す。

満席の発表会、コーラスは男性6人、女性29人。最前列の私は完全に上がっている。舞台の緞帳が開く。流星のごとく煌めくシルバースターの目の前で、白い花のように両手が揺れ、拍手を浴びた。

 録音したCDとシルバースターの写真がある。アニー・ローリーを聴く。

とこしえ~まで~♪

 カ・キ・ク・ケ・コだ。夢みるようにまどろんでいる。

 

  生ける者遂にも死ぬるものにあれば

         この世なる()は楽しくをあらな   (大伴旅人(おおとものたびと)

 

 大伴旅人の「酒を()むるの歌」の一つ。生きている者も最後は必ず死ぬのだから、せめてこの世にいる間は楽しみたいものだ。

 ペンを手にすると両親との幸せな日を思う。細部まで心を尽くされて活字に表現された自分史をかき抱く時、遠い日の自分がいる。自分史は過去と現在をつなぐ恍惚の金の糸だ。温かく見守られ、11月提出の本文「カ・キ・ク・ケ・コ」は30作目に辿り着けた。

 拙文を綴りながら発表会のCDに聞き惚れる。歌への共感、強い結束で一つになった男声、女声のハーモニーは美しい。思い出す。共に歌い、発表会で輝きを放った35名のシルバースター達。

ポスト・コロナ。荊棘(けいきょく)の年を乗り越え、あの日の歌声を胸に新しい挑戦が始まろうとしている。私が「吹田自分史の会」に、よちよち歩きで温かく迎えられ、デビューしたように。

人生は儚く、短い。人間だけが自分の先に必然の終焉、人生のフィナーレがあることを知っている。カ・キ・ク・ケ・コ。チャレンジは続く。

 

2022年霜月 伝えたい「高野台」の歌

                           

ようこそ、笑顔花咲く「ハッピーサロンたかの」へ。人生百年いきいきと、楽しいおしゃべりの場所が「高野台第一集会所」(高野台2―1)だ。

毎週月曜日、木曜日、土曜日の午後1時から3時はカラオケ、麻雀、喫茶。月曜日、土曜日は「百歳体操」の後、「高野台の歌」をコーラスする。

合唱は共に気遣い、思いやりを持つ楽しさに加えて、免疫力を高め、認知症予防に大きな効果がある。また肺機能を高め、誤嚥性肺炎予防にも繋がる。

2019年「厚生省人口動態統計の状況」では、誤嚥性肺炎は死因第6位。

75歳以上の5人に1人は認知症で、薬はない。

「恍惚の人」になる前に歌おう。明日の健やかさは今日の歌から始まる。

伝えたい「高野台」の歌。後世に引き継ぐ歌を残したい。「ハッピーサロンたかの」を創設した地元の山本富雄(やまもととみお)氏とタッグを組んだ。作詞は山本氏、私は、誰もがすぐ歌える2分間の替え歌を探す。2分は人が楽しく歌える時間と聞いている。

百年前のオルガンで曲探しを始める。母の遺品だ。大正13年の「夕焼け小焼け」が目に留まった。

♪夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る♪

磨き抜かれた琴線に触れる作詞。中村雨虹(なかむらうこう)だ。作曲は教育家、ギタリストの草川信(くさかわしん)。胸を打つ合作のメロディー。おお、1分58秒。思い出の歌と運命の再会だ。作詞者と作曲者の幼児体験が生み出した名曲。懐かしいあの日々を思い出す。

♪夕焼け小焼けで日が暮れて♪

歌が聞こえる。みんなの笑顔が見える。遠い日、父母のそばで歌った望郷の思い籠る歌。百年の歳月を経て日本を代表する童謡で、全国に最多の13の歌碑がある。

高齢者の集いで「夕焼け小焼け」を合唱した事がある。アンコールが鳴り響いた。誰にもある深層意識、故郷回帰、思い出の歌は心が還る場所だ。

筑後平野を見下ろす山村で私は、夕焼け空に響く鐘の音を聞いて育った。山

並みの夕映えする道を友達と、

♪お手々つないでみな帰ろう♪

この時、盲目の認知症の方が通り掛かり合わせて歌ってくれた。

♪夕焼け小焼けで日が暮れて♪

夕暮れに口ずさんだ時、手をつないで一緒に歌った思い出がある。歌は励ます、繋がる。歌は愛だ。

わらべ歌を歌う年齢が幼児期、高齢期に集中するのは、脳が育つ時期と衰える時期を見計らった体内時計の深い配慮かもしれない。

「夕焼け小焼け」みんなの遠い思い出の日が映える。

忘れられないメロディーに乗せて、令和元年1月「高野台」の歌は誕生した。

 

高野台

作詞 山本富雄(やまもととみお)

作曲 草川信(くさかわしん)(夕焼け小焼け)

      

みどりこぼれる高野台

吾ら楽しく遊ぶ庭

    絆も強く皆行こう

人生百年いきいきと

みどりこぼれる高野台

明日も笑顔で君とともに

やさしくすこやかに暮らす街

 人生百年いきいきと        

人生百年いきいきと        

 

♪みどりこぼれる高野台♪

終焉の地、高野台。パイオニアとして生きた歳月が切なく胸に迫る。

♪明日も笑顔で君とともに♪

年齢不詳。溢れる思いを歌うシルバースターの皆さんと、笑顔で両手を広げる私。

♪人生百年いきいきと♪

躍動する高野台のご当地ソング。歌声はホールに響く。長引くコロナショッ

クの中、温かい皆さんと出会い、時代の息遣いを未熟な文字に必死で残そうと拙文を綴る。

歌と笑顔に勝る薬なし。健やかな明日を祈って、さあ、一緒に歌いましょう。