【ムスリム,似非少数民族,黒,茶,フェミ,被害者(自称)】

 

我々は搾取され顧みられてこなかった被害者である。

ゆえに我々は、幸福になる権利を優先的に与えられている。

幸福になる権利とは、他者を不幸にする権利である。

我々が幸福を実感するときは、他者が踏みにじられ、泣き叫ぶときだ。

我々は、我々の幸福のために略奪し搾取し他者の尊厳を踏みにじる権利を持っている。

我々の幸福感は、この世のなによりも優先されるべきものであり、既存の秩序も法も宗教もこれを妨げることはできない。

あらゆる他者は、我々が幸福を感じるために存在し、我々よりも優先されることはない。

 

先天的な被害者である我々には、幸福獲得権が既得権益として認められている。

差別されてきた我々は、他者を差別する権利を有している。

この世に存在するあらゆる国家,権力,宗教的権威も、被害者である我々の前にはひれ伏さなければならない。

 

被害者をあがめよ

被害者を奉れ

我々被害者が、世界を平伏させるのだ。

【アクセスの難易は大きいかもしれない】

 

 

女性風俗を題材にしているマンガですが、以前は「女性が風俗産業を利用することへの可否」も含めて取り上げていたのが、最近は「女性風俗の紹介」を淡々としています。

今回は、「高身長妻が自分よりも背の高い男性風俗を利用」という紹介で終わっています。しかし、中身を読むといろいろな問題を含んでいるなぁと。

 

まず、「性風俗産業へのアクセス」の問題。

実は、これは男女も同様に大きく、また産業として従事するひとにも大きな問題なのでしょう。

自分は性風俗産業に関してあまり関わることがなかったのですが、倫理観や道徳などよりも、まず「アクセスする機会がなかった」ことが大きい。

今回の高身長妻が女性向け風俗産業を利用しようと決意の後押しをしたのは、「田舎に行ったら利用する機会がない」というもので、また作中に「東京だけでなく地方でも利用できるように」などの紹介がありました。昔の弘兼憲史のマンガでは「地方から出張ででてきたサラリーマンが東京で風俗店を楽しむ」という場面が多くみられたので、昔は男性風俗産業も田舎ではあまりなかったのか?子供の頃に祖父母のいる地方都市では、「トルコ風呂」なるものがあったので、男性向けはそこそこの大きさの都市ならばあったのかもしれません。昭和のマンガには、ボーナスがでると上司に風俗店に連れて行かれるサラリーマンの話やら、飲み会の二次会や三次会のあとで風俗店に連れて行かれる場面もあったので、昔は「同じ釜の飯を食う」ならぬ「同じ風俗店を利用する」ような連帯感さえもあったのかも?

 

マンガ内の高身長妻は、自分よりも背の低い夫への明らかな不満があるというよりも、「経験したことのない未知への好奇心」で女性向け風俗を経験します。まぁ、これで満足して終わっているように描かれていますけど、どうなんでしょうね?

1)いつでも女性向け風俗店が利用できる都内に住んでいたら、「どうしようかな」と思いながら利用しないで終わったかもしれない

2)女性向け風俗店を利用して「ふーん、こういうものか」で満足したが、もしその経験がなく田舎へ引っ越したら「(高身長男性との)不倫・浮気からの離婚」という不幸な人生を歩んだかもしれない

3)女性向け風俗店を利用して、高身長男性との経験を知ってしまったからこそ、それが忘れられずに「(高身長男性との)不倫・浮気からの離婚」という不幸な人生を歩むかもしれない

 

マンガ内で女性風俗従業員のサービス内容について「アレは商売としてどうなのか」と思いつつ、「自分が気にすることじゃないな」と割り切る場面があるけれど、おそらく世の中っていうのは、そういうことなんでしょうね。ナニワ金融道の青木雄二氏は「銭貸しとピンサロはなくならない」と言っていたそうですが、性風俗産業というのはあらゆる文明において最古

の商売とされているので、なくなることはないのでしょう。

まぁ、勝敗は「喜劇王アフロが乱入」して、有耶無耶になるんじゃないかと思ってるんだよね。

 

魁生の死神は良かった。

死神が殺し屋じゃないのが良い。

どうしても死神っていうのは、死を運んでくる殺し屋な感じになってしまうけれど、魁生の死神は神様として良い。

「きちんと生きなきゃ死ねない」というのは、きちんと生きなきゃ死なせてあげられないだと思う。

子供が死んでしまったあとの親の気持ちとして、「何のために生まれてきたんですか」っていうのがある。

【この子は苦しむためだけに生まれてきたんですか】

親として、ちゃんと生を活きて欲しかった想いが、「この子の産まれてきた意味を」と考えてしまうのだろう。ちゃんと生きてきたと思える人生でなければ、その死を受け容れられない。死なせてあげられない。

 

事件や事故で子供が死んだあとに、様々な活動をしている家族は、その死に意味を求めて、その生に意味をつけることで、死を受け容れようとしているんだろうなぁ。

 

死は逃れられない運命だから、その運命を悄然と受け容れられる生き方をしなきゃいけないね。

旦那の趣味を許せない妻っていうのが、ときおりネットで話題になる。

鉄道構文なるものまである。

ちょっとアタマおかしい系妻の代表のように扱われるのだが、これは話し合いでどうにかならないものなのだろうか?

 

 

「私よりも趣味を大事にするなんてバカにしてるの?」という傲慢さ。

「私をほっておいて趣味に没頭するのが許せない」という独占欲。

「旦那を趣味に奪われた」という嫉妬。

これらを、より言語化し、男性に理解できるような解像度にすることはできないだろうか?

 

まず、「ここにいない前彼女から貰ったモノ」を使い続けることが許せない女性の心理を、理解できるかどうかが前段階ではないだろうか。

「この財布、ずーっと使ってるんだけど、丁度いいサイズとデザインなんだよね。マエカノからの誕プレなんだけどさ」という状況で、『そんなの捨てて!』と発狂する女性が世の中には少なくない。この心理を理解し、そして女性を責めることなく、「わかった。捨てて買いなおすよ」と言えるならば、趣味世界と結婚生活を両立させることができるのではないか。

 

独身時代に収集したりした趣味道具などは、「自分の知らない時代に思いを馳せる旦那」とみえてしまい許せない。

独りで趣味の世界に没頭して幸福そうにしている姿は、「その幸福は自分が与えられない」「その幸福は自分と分かち合えない」と思い込まされるようで許せない。

それらの女性の心理を、女性が言語化し、喚くことなく、心情に訴えることが可能ならば、夫もまた趣味と婚姻生活とのすり合わせに前向きになれるだろう。

 

 

 

えー。

ここまで書いて、「無理」ってなりました…。

なぜ男性がそこまで自分を放棄しなくちゃいけないんだぃ?

 

 

【何を楽しむのかは読者次第】

 

 

 

編集コメント「メリーさんが捨てられた理由が欲しいなぁ」

 

読者感想「親なんて理由なく子供の玩具すてるっしょ」

    「いや、そんな理由とか描かれても鬱要因じゃん?」

 

 

まぁ、編集としては

1)自分の子供がお人形さん遊びをしていて虐められているのをみて、捨てようと思った

2)祖母から貰ったというのが気に入らない

みたいな理由があったほうが、「この街で失くしたメリーさんを探す」という行為につながりやすいとかね。

もしくは、メリーさんが闘う際に「やっと誤解が解けたのに死なせない」みたいな盛り上がりにつなげやすいとか。

 

読者は

「いや、メリーさんの勇姿を楽しむマンガでしょ」

「そんな『親の都合』みたいなのを語られたら、素直に『メリーさん、かっけぇ』楽しめない。そんなの雑音」

なのだと思う。

 

自分は、読者寄り(まぁ、読者なんですけど)で、ゴチャゴチャした雑音は無くて良かったなぁ。

怪異の描写も戦闘場面も、抑制が効いているのが、また良かった。

「メリーさん、かっけぇ! 末永くお幸せに!」な爽快な読後感がGoodでした。