胸いっぱいの大蓮寺☆その2 | 毎日は旅のごとし日記

毎日は旅のごとし日記

いわゆるアラフォー世代です。できれば毎日をほのぼの楽しく過ごしたいと思っております。

加賀金沢城からも歩いて行けるこちらの大蓮寺は

豪姫の菩提寺です。(※先祖のお墓があるところ)

豪姫が亡くなった後、こちらで葬儀が行われました。

 

こちらには豪姫が生き別れた秀家と息子二人の無事を祈った

念持仏の聖観音がまつられており、船型をした御厨子の鍵には、

「大悲船」の文字が彫られています。

なんだか豪姫の悲しい叫び声を聞いているようで胸が痛いですね・・・汗

秀家と息子の八丈島行が決定した際には同行して苦労を共にすることを

望んだけれど、許可されなかったそうです。

 

とても落ち着いた歴史のあるお寺さんですパー

 

 

ところで、1997年に岡山城築城400年を記念して

八丈島の千畳敷という太平洋を望む風光明媚なところにあるものが

建設されました。

 

※HPよりお借りしました。

後ろに見えるのが八丈島の八丈富士です。

秀家と豪姫が仲良く二人並んでいる像が建てられました。

この二人の像は幸せな時代を共に暮らした岡山城を向いているそうです。

二人が生きている間に叶わなかったことを

後世に生きる人たちが叶えてあげようとしたんですね。

 

そして金沢大蓮寺のお寺の奥まったところに

こういうものがあります。

 

こちらには秀家と豪姫の供養塔が仲良くならんでおり

八丈島の秀家のお墓から分骨を受けて、二人の骨が並んで眠っています。

 

私は現代を生きる人間なので八丈島へも岡山城へも

ANAの飛行機で数時間で行ってきたのですが、

飛行機も電車も車もない時代、

京都と江戸を2週間かけて歩かなければいけなかった時代に

江戸から八丈島までの渡航も容易ではない時代に

きらびやかな大大名として活躍し

日本の歴史上に残る戦いに挑んで敗れ、生死のギリギリのところで

なんとか生き残り、愛する人と何十年も離れたままでそのまま亡くなってしまったという

現代の私たちには想像を絶するような生き方をした張本人の遺骨が

自分の目の前に仲良く並んでいて、

まだ生きている自分がその前に立っているということが

なんだか奇跡に思えて仕方なく、もう胸がいっぱいになってしまいました。

 

それに加えて彼らのお墓を守って来た人々の思いとか

亡くなってから数百年も経っているのに、

やはり一緒にさせてあげようとした人々の思いが

今自分の目の前のこの景色なんだなぁと思うと、

なんだかすごく込み上げてくるものがありました。

 

時代は変わっても、変わらないものって

やっぱりあるんですね。

思いを馳せるステキな時間だったと思います。