忘れてないよ秀家君。
でもどこまで書いたかすっかり忘れた秀家君。
>秀吉に大事に大事に養子として育てられた
>この二人はその後結婚します。このとき秀家は17歳、豪姫は15歳。
>夫婦仲はとてもよくて、子供にも恵まれました。
>秀家はひたすら秀吉に懸命に尽くしました。
で終わっておりました・・・
で、ここまではとても順調でした・・・。
しかし、ここから大きく風向きが変わってくるのですよ・・・
かの有名な関ヶ原の合戦です
秀家は東の家康に対し、西の代表格として戦いに挑みます
しかーし前年に起こった宇喜多家のお家騒動で統率が取れず、
また同じ西軍であった小早川秀秋の裏切りより
家康率いる東軍に西軍の秀家は敗れてしまいます。。。
敗れた宇喜多家は罰として改易という罰を受けます。
屋敷も没収され、身分も平民とされる切腹より軽い刑を処されます
一方で妻の豪姫は地元の金沢に返されてしまいます
秀家は必死に秀吉に仕え西の代表格になったにも関わらず、転落していってしまうのです
合戦に敗れた後、一時期薩摩藩に身を隠しますが、
その旅の途中に大阪の備前屋敷に立ち寄り妻の豪姫と密会を果たします。
ここで数日間豪姫と一緒に過ごしたと言われているのですが
そのときにできたのが、江戸時代初期の皇族の妃となられる冨利姫でした。
そして悲しいかなこの逢瀬が秀家と豪姫の今生の別れとなるのです。。。(つд⊂)
西の代表格の立場での敗戦ともなれば、本来待っているのは、死罪です。
合戦に敗れこれからどうなるかも考えられない状況であったことは想像に難くありません。
多分人生のすべてを賭けた逢瀬だったんでしょうね。
つづく・・・