井原西鶴のお墓に行ってみた。 | 毎日は旅のごとし日記

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いわゆるアラフォー世代です。できれば毎日をほのぼの楽しく過ごしたいと思っております。

今回の大阪出張の仕事の空いた時間で

行きたかったところがあります。

以前から気になっていた井原西鶴のお墓。

やっぱり自分の目で見ないと。と以前から思っていました。



井原西鶴って学校の授業で名前だけは知っている人は多いかも。

江戸時代に俳人として名を成した人で後にあの「好色一代男」を発表した人っていえば「あぁ」と思う人も多いかも。



でも私が彼に注目したのは何と言っても

その時代になぜこういう作品を出したのか?ってことと

それと通じるところがあると思うけど道教の影響を強く受けているらしい・・・というところ。

とにかく私は若いころから道教に惹かれてならない。

理由は自分でもよくわからない。専門書とか読んでないのでやっぱりわからないがでもとにかく惹かれるのだ。キョーレツに。



以前、その道教の影響を強く受けている痕跡が彼の墓石にも表れていると何かで読んで「ならば見ないと」と思ったのがはじまり。



近鉄上本町駅、谷町九丁目駅の近く。

この辺りはとにかくお寺が死ぬほど多い。

駅員さんに尋ねたら100件ほどあるらしいのだ。




こちらが井原西鶴のお墓がある誓願寺




お寺の入り口にも「井原西鶴先生墓」とか書かれちゃってる。




こちらが井原西鶴のお墓。

具体的にどこが道教的か?は不明。

でも確かに周りにある純粋な日本のお墓と明らかに違っている。



実際に直接自分の目で見ることができて感激。

井原西鶴さんにはワンカップのお酒を差し入れました(笑)



井原西鶴は道教の影響を強く受けていると明言されている文章って

これまたほとんど探すことができない。

でも個人的には影響をしっかり受けていると考えます。

そう考える理由のひとつがこれ。



井原西鶴が亡くなったのは1693年(元禄6年)。

実はこのお墓って1887年(明治20年)に無縁仏の中にあるのを発見されているのでどうかすると200年近くこの墓石は行方不明だったかもしれなかったってことですがそんな無縁仏の中に紛れ込んでいたこの墓石を見つけた人がいます。



発見者については諸説あるようです。有力なのが幸田露伴と朝日新聞記者木崎好尚と言われていますが、個人的には幸田露伴が有力と考えます。



実は幸田露伴って1867年に生まれた明治時代を代表する小説家で

井原西鶴の本を愛読していたのです。

露伴には小説家の顔の他にもう一つの顔があります。

それが道教研究のパイオニアの一人だということ。

道教に影響を受けている井原西鶴をより深く理解していたのではないかと思ったのです。



200年の月日を超えて江戸時代を代表する文豪の魂と

明治の文豪の魂がつながった瞬間を見てしまった感じ。

あ、なんかやっぱり来て良かったかも音譜





そうそう。世界はまだまだワンダーにあふれていますドキドキ