故郷福岡の大声援を全身に浴びて、素直に本音がこぼれた。プロ10年目でたどり着いた念願の初勝利。「最終回? お願いしますと願って…。長かった。10年間で一番うれしい日です」。小椋の端正な横顔が、人生初のお立ち台で崩れた。 制球に悩み、自滅を繰り返した昨季までとは別人だった。左腕から繰り出す最速148キロの快速球で攻め、変化球もコースに決めた。6回2死三塁で栗山を146キロで一ゴロに仕留め、7回も無失点。西武の勢いを止め逆転劇を呼び込んだ。 ■戦力外「不安」 緊急昇格した10日。あいさつした王監督に「見下していけ!」とゲキを飛ばされた。小椋も「自分の球を信じよう」と心を決めた。9回を3者凡退の11日に続き、この日はプロ初勝利。王監督も「制球も緩急も去年までとは違う」と、10年目の開花に目を細めた。 「松坂世代」の大型左腕として、98年のドラフト3位で入団したが伸び悩んだ。03年オフには左ヒジのじん帯再建手術も受けた。「オフは(戦力外が)毎年不安だった。よくここまで野球を続けられた」。精神的にも苦しい日々が続いた。 一時はサイド転向も検討されたが、「これでダメなら」と覚悟を固めて断った。「大きいケガをしたけど、自分の球をまた投げられると信じていた」。持ち味の快速球にこだわるため、左ヒジ周囲を地道な筋力トレで強化した。 ■フォーム修正 昨オフにフォームを徹底的に修正。「前と同じ球速でもファウルが取れるし、今はだいたいのコースに投げられる。今回も四球だけは出さないつもりでした」。技術の進歩が心の余裕も生んだ。 「食事をしても、あんまり野球の話はしなかったですね。みんなに気を使わせちゃって…」。杉内や和田ら同級生と出掛けても、彼らの心遣いが身に染みた。それだけに「今まで取り残されすぎたけど、少しはばん回したい」と心に誓う。 記念のウイニングボールは、酷暑の雁の巣球場に足を運び続けてくれた両親に贈る。試合後にはその両親から「やっとソフトバンクの一員になれたね」とのメールも届いた。「今は左(の中継ぎ)は2人だし、全力で頑張らないと」。10年目のフル稼働宣言が頼もしかった。良い球は持っていながら、制球力と安定しないフォームで下での生活が長かったですが
10年目にしてプロ初勝利を手にしました
ここ2回の登板は荒れた球もありますが、緊迫した場面である程度の投球が出来ていました
初勝利で自信を持って、どんどん攻めのピッチングをしてくれればいいのですが
シーズン通して、中継ぎとして投げていないので疲労が溜まってきた時にどうなるか・・・
そこで真価が問われることになるでしょうね、頑張って欲しいです