4年ぶりのV奪回を目標に掲げ、今秋のドラフトで育成選手を含め9人の新人を獲得したホークス。一方で今オフ、トレード、戦力外などで13人の選手が退団。さらに鳥越、井出も現役を引退しコーチに転身した。そのうち左の大砲候補と期待されながら1軍出場を果たせず、無念の退団となった北野良栄内野手(23)は競輪選手を目指して第2の道を歩む。 2度のトライアウトを終え、ついに電話は鳴らなかった。競輪選手を指導する知り合いのトレーナーから新しい道を提案されたのはそんな時だ。今月初旬。「競輪と聞いて、ピンときたんです」。各地のクラブチームからも声はかかったが、直感を信じることにした。 石川・星稜高で通算40本。OBの松井(ヤンキース)になぞらえ“ポストゴジラ”と期待されたが、プロでは年々成績を下げた。「仕方ない。僕が監督でも切ります」。納得の戦力外通告だったが、当然悔いも残った。「一生懸命やったけど、周りを気にしすぎて自分がおろそかになった。一人の人間として個性を出していきたい」。感性を重んじたのはそんな思いから。電話口で母早苗さん(55)も「あんたの人生や。好きにしなさい」と背中を押してくれた。 3度のグアム自主トレで鍛えられた師匠・松中からはマネジャーの道を用意され、一度は本気で考えた。「何でこんなに? と思うほどかわいがってもらった。でも、いつまでもおんぶにだっこではダメ」。あくまで自分の手で道を開くため今月中旬、正式に断った。 複雑な表情で主砲は言った。ダメやったら、いつでも戻ってこい−。その言葉は胸にしまう。「裏切る形になったけど、競輪で結果を残して、新聞のどこかに名前が載ることで頑張っている姿を見せたい。遅くなるけど、それから恩返しを」 2月から東京に拠点を移し、4月に日本競輪学校(静岡県伊豆市)の入学試験に臨む。元広島投手の石本竜臣氏という転向例もあるが「成功者がいる、いないは関係ないです」と言い切った。常に心拍数を高く維持するようアドバイスを受け、暇さえあれば走り、筋力トレを継続している。「北野スタイル」を確立する日まで、挑戦は終わらない。来るものあれば去るものありですが、他球団から手が挙がったのは
吉田と定岡だけですね・・・全く名前が出てこない人はどうなったのでしょうか?
何が原因かわかりませんが、北野は伸びませんでしたね。
松中のマネージャを断り、競輪へ・・・
良い意味での松中との決別。その気持ちを胸に頑張ってもらいましょう!
一生懸命やってダメなら、松中は今回と同じ顔で迎えてくれると思います。