日刊スポーツ特別連載 THE OTHER SIDEより
冷たい海風が吹きすさぶ11月半ばの横須賀、ベイスターズ球場。集まったファンと報道陣の視線は、背番号「6」の豪快なスイング一点に注がれていた。見慣れない「湘南シーレックス」のユニホームをまとった多村仁外野手(29)は、水を得た魚のように力強くバットを振り上げた。逆風を物ともしない白球の勢いを見届けると、1人納得したようにほおを緩ませた。 「バットを振れる当たり前のことが幸せに思えます」。屈辱の1年。今年の多村は度重なる故障から39試合の出場に終わった。致命的だったのは6月の仙台。本塁に滑り込んだ際に捕手と激突、左肋骨(ろっこつ)4本と左手薬指のじん帯を損傷した。9月中旬に復帰を果たすも、故障個所をかばい続けたことで腰痛にも悩まされた。全快となったのはシーズン終了後の肌寒い季節だった。 ベンチで若手のプレーを見守るだけの屈辱的な日々。ファンからは「多村を出せ」の罵声(ばせい)が横浜スタジアムに容赦なく降り注いだ。ソフトバンクへの移籍が決まったときには「故障が多い虚弱体質がトレードの原因」との厳しい評価をマスメディアから浴びせられた。 「こんなに悔しい思いをしたシーズンはありませんでした。チームも勝てず、出たくても出られない…」。前年まで2年連続3割30本、今春のWBCでは日本代表の5番打者としてチーム最多の3本塁打を記録した。世界一に貢献したスラッガーのプライドはズタズタに傷ついた。プロの門をたたいて12年。「もうだめなのか」。初めて自分を追い込んだ年だった。 それでも、スラッガーの闘争本能はバットを振れば振るほどよみがえる。「まだまだあんな打球が飛ばせるんですよね」。苦境から逃げ出しそうになっても、オーバーフェンスの軌道、手に残った感触が再び自分を奮い立たせてくれる。 「一緒に戦おう」。12月初旬にソフトバンク王監督からもらった電話も原点に立ち返らせた。「戦力として君は絶対に必要な選手」という言葉に何よりも反応した。望まれて赴く福岡の地だと強く感じた。「このまま死ねないですよ」。そうひとりごちた多村の表情には、来季反攻への確固たる決意が秘められていた。実際に多村に問題がある怪我も多いかもしれませんが、マスコミから「故障が多い虚弱体質がトレードの原因」と書かれると辛いですよね。自分を追い込んで、悩んでいた時の王監督の言葉はきっと
胸に響いたでしょうね!横浜サイドの評価は低くても王監督は「絶対に必要な選手」と言ってくれた。
まだ自分は必要とされる選手だと再確認出来た事だと思います。
「このまま死ねない」多村のこの言葉、俺は信じたいと思います。