わたしが最近になって懇意にしてる、心理学者アドラーの学説を

わたしなりの解釈で噛み砕いて紹介するね。







「アドラーの語るところの愛とは…」








 

まず幸せ、対して苦しみも対人関係の中から生まれるものである、ということが学説のスタート。


 

その中で、人生においてこなしてかなきゃならない以下3つの対人関係の種類があるよ。



対人関係のマトリックス

・分業の関係

・交友の関係

・愛の関係

 



分業の関係・・・・利己は利他であるという関係。つまり自分の得意分野、長所を伸ばすことは結果として利他になるということ。もっと言うと自分の幸せ=自己実現は他者のためになるということ。そうやって分業することで、社会が形成されている。


 

✔️大事なキーワード:貢献感

┗これが人間の幸福の基礎となる。

人間は生まれたときは親の注目を集めなければ生きていけない状態であった。しかし大きくなるにつれ、世界の中心は自分だという方程式は見事に崩れる。

   過去の栄光は手放し、強いては自立せねばならない(問題を切り分けること)のだ。

 その中で重要となってくるのが貢献感である。自分自身で自分を満たすためには、この貢献感…私は私でこのままでここにいていいんだと理解するための感覚、これを持ち、他者へ承認を求めることから脱すること、過去の栄光(無条件に依存して生きる事が出来ていた事実)を手放すことが大事。

 



交友の関係・・・・見返りも求めず、ただただ他者を信頼すること。他者に与えること。

 



愛の関係・・・・主語が私たちになる。求めるのではなく、決断すること。見返りがなくても愛するという決断をすること。期待も見込みもないところに、自分から身を投げ出すこと。

そして究極的に自己をなくすこと。





こういった、対人関係のマトリクスを理解する事がまず第一歩。

そして、一貫して言えることは

自分を信頼し、受容しなさい、

ということ。


唯一、独り占めできるのは、自分自身の思考だ。

それを、自分をいじめる武器にするんじゃなくて、

自分を承認し、満たし、人生に幸福を与える、

もっというと、他者に幸福を与えるツールとして使いなさいということ。


それが

対人関係に生きるわたしたちにとって

唯一の成せる術だ。




自己を究極的に受容すると何が起きるか。



答えは、

無条件に他者へ尽くす事ができるようになる。

人生の軸が、あれだけ固執していた「自分」という対象から解放されるのだ。


なぜかと言うと、

自己を管理しなくても済むからである。





自分を受容し、自分を信頼することは、他者や世界への信頼と同様。

見る世界を、優しさに変えるということ。

そうすると、自然と、世界に対する敵対心であったり、構える姿勢をとる必要がなくなる。


何があっても

自分を傷つける事も守る事も自分が選択できる、ということが腹に落ちる。


そして、他人のタスクと自分のタスクを完全に切り分ける事ができる。

他人がどのようにしていようと、それは他人のタスクで自分が関与することではない。


自分ができるのは

自分のタスクに向き合うこと、つまり自分で自分の世界を選択することだ、と。

結果、自分の望む世界を描ける。




その上で豊かな世界で生きる決心をすると


自分に向けられる他人の目とか、自分の一挙手一投足が他人にどう写るとか

当たり前に考えてたそんなのも置いていく事ができるから、

自分を全く管理しなくて済むんだ。





となると関心はいかにより豊かな世界を描くか。

他人の反応をプラスで返すことで、

その他人にもプラスを転じる事が少なからず可能であるということ。


対人関係には一定の磁場のようなものが働いているはずだから(じゃないとコミュニケーションとれない)、自分の世界をより明るくする為にもっていう行為やそもそもの思考って、他人にとってもプラス磁場でしかないんだ。



で、張本人は、どうしたらもっともっと豊かになるかなーって他者に尽くすことを選んでいく。

貢献感を高める行為が、より、自分の世界を癒すから。


そうやって高次で他者と関係を築いていくのだ。









愛のタスクって、

その中でも

本当に最終地点なのわかるかな。


自己を完全になくすことに繋がる。

主語をわたしたちに変えて、幸せをよりシェアしていくスタート地点❣️






らしい。笑







わたしの実際の経験もあるから、あとでシェアしちゃう!