【後編-マッサンを求めて】-3

「マッサン」と「リタ夫人」との愛の軌跡、そして二人を支えた人々

第一章 摂津酒造社長・阿部喜兵衛の配慮で大阪市住吉区帝塚山にて新婚生活を始めるまで。

現在、新千歳空港からグラスゴー国際空港へのフライトの路線情報を調べてみますと、シベリアルートでの距離は8,592.28 キロメートルあります。
時差:日本-9時間(夏時間-8時間=3月下旬~10月下旬)、 日本の正午は、グラスゴーでは午前3時です。
大正時代に船でスコットランドまで行ったとしたら、どれくらいかかっただろうかと、気が遠くなりますわ。
「マッサン」は当時勤務していた摂津酒造の社長の命でスコットランドへ留学することになり、大正7年(1918)7月、神戸港から東洋汽船の「天洋丸」に乗りサンフランシスコへ旅立ちました。二ヶ月ほどサクラメント(カリフォルニア州の州都) で葡萄酒製造の研修を受け、ニューヨーク経由の航路で再びでリバプール(イングランド北西部の都市)へ行きました。-当時は第一次世界大戦の真っ只中であり潜水艦による魚雷攻撃の心配やイギリス貨物船との衝突というアクシデントにも遭っている。-このような困難な道程を経て陸路スコットランドのグラスゴーへ向かいました。
言葉の壁(英語を短期間で習得する難しさ)もさることながら、柔道で鍛えていたとはいえ「マッサン」の体力・精神力は大したものです。やがて、運命の強い赤い糸に彼は導かれていく。


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