東京からしばしば、「とらや」の和菓子が贈られてくることがありました。タカナは京都が本店とばかりおもっていたのです。”本社は、東京か、なんでやねん?”と思いました。
たまたま、京都御所が一般公開されていた折、御所に近い、「とらや」一条店・ギャラリーにおいて日本画家 山岸泉琳氏 の個展〈10月25日~12月8日〉が開かれていましたので、御所散策をかねて、11月1日にまず訪ねてみることにしました。
山岸泉琳氏は名前からうかがえる光琳の流れをくむ画家として活躍されているそうです。画風は確かに尾形光琳がえがいた『紅白梅図屏風』の構図によく似ていました。
【山岸泉琳(やまぎし せんりん)】
現代の琳派を模索している女流日本画家。
東京銀座に生まれ、京都高台寺本堂の襖絵『春景―枝垂れ桜』を製作毎年春に公開されている。

尾形光琳作『紅白梅図屏風』
★《秋の雅の世界》

山岸泉琳作「秋の雅」その1

山岸泉琳作「秋の雅」その2

山岸泉琳作「秋の雅」その3

山岸泉琳作「秋の雅」その4
■とらやの和菓子-和三盆糖製「秋の雅」を味わってみました。

とらやマーク入り和三盆糖の蓋

和三盆糖「秋の雅」食べるのがもったいない
和菓子ですね。
本品は、山岸泉琳氏が意匠を、とらやが製造を担当し、つくられました。
伝統ある和三盆糖の風味をそのままに生かした干菓子です。
和三盆糖は、ゆたかな香りをたたえてさらりと舌にとける純日本糖です。
わ‐さんぼん【和三盆】
結晶の細かい上質の砂糖。白下(しろした)糖を圧搾し、繰り返し揉(も)んで白くし、乾燥させてふるったもの。和菓子の材料として用いる。香川・徳島の名産。→三盆
[古今和歌集:289番歌](詠み人知らず)
秋の月 山辺さやかに照らせるは落つるもみぢの数を見よとか
「秋の月が、山辺をこんなにも照らすのは、落ちる紅葉の数を数えて見よという事か。」この歌は、季節の移ろいや名残惜しさを表現しているのだそうです。ここに、奥ゆかしくもある「雅」を感じ、秋の雅を庭絵に描き、干菓子にも表現したそうな。

和三盆糖「秋の雅」の箱に入っていた山岸泉琳氏
のはがきサイズの絵。
月・波・紅葉の構図は光琳派らしい。
◎庭を見ながら、抹茶とお饅頭をいただくのも格別ですわ。

「とらや」一条店の庭その1

「とらや」一条店の庭その2

「とらや」一条店玄関その1

「とらや」一条店玄関その2
◆とらやの歴史-ウィキペディア資料
はじめは室町時代に京都で創業し、後陽成天皇に和菓子を献上して以降、皇室御用達の製菓業となった。これまで約480年の歴史を持つが、明治時代になって東京に移った。
特に羊羹の製造販売で知られ、「とらやの羊羹」として人口に膾炙している。東京の老舗店の集まりである東都のれん会の会員であるほか、伝統企業の国際組織であるエノキアン協会(本部・パリ)にも加盟している。
日本国外でも事業を展開しており、1980年(昭和55年)にはパリ(パリ1区)、1993年(平成5年)にはニューヨーク(マンハッタン)に出店している。ただし、後者は2003年(平成15年)10月を持って閉店した]。
著明な歴代当主には、参議院議員で厚生大臣も務めた第15代・黒川武雄や、 日本青年会議所の初代会頭を務めた第16代・黒川光朝などがいる。
如何でしたか、和菓子一つをとっても奥が深いですね。 次回は御所でお会いしましょう。
たまたま、京都御所が一般公開されていた折、御所に近い、「とらや」一条店・ギャラリーにおいて日本画家 山岸泉琳氏 の個展〈10月25日~12月8日〉が開かれていましたので、御所散策をかねて、11月1日にまず訪ねてみることにしました。
山岸泉琳氏は名前からうかがえる光琳の流れをくむ画家として活躍されているそうです。画風は確かに尾形光琳がえがいた『紅白梅図屏風』の構図によく似ていました。
【山岸泉琳(やまぎし せんりん)】
現代の琳派を模索している女流日本画家。
東京銀座に生まれ、京都高台寺本堂の襖絵『春景―枝垂れ桜』を製作毎年春に公開されている。

尾形光琳作『紅白梅図屏風』
★《秋の雅の世界》

山岸泉琳作「秋の雅」その1

山岸泉琳作「秋の雅」その2

山岸泉琳作「秋の雅」その3

山岸泉琳作「秋の雅」その4
■とらやの和菓子-和三盆糖製「秋の雅」を味わってみました。

とらやマーク入り和三盆糖の蓋

和三盆糖「秋の雅」食べるのがもったいない
和菓子ですね。
本品は、山岸泉琳氏が意匠を、とらやが製造を担当し、つくられました。
伝統ある和三盆糖の風味をそのままに生かした干菓子です。
和三盆糖は、ゆたかな香りをたたえてさらりと舌にとける純日本糖です。
わ‐さんぼん【和三盆】
結晶の細かい上質の砂糖。白下(しろした)糖を圧搾し、繰り返し揉(も)んで白くし、乾燥させてふるったもの。和菓子の材料として用いる。香川・徳島の名産。→三盆
[古今和歌集:289番歌](詠み人知らず)
秋の月 山辺さやかに照らせるは落つるもみぢの数を見よとか
「秋の月が、山辺をこんなにも照らすのは、落ちる紅葉の数を数えて見よという事か。」この歌は、季節の移ろいや名残惜しさを表現しているのだそうです。ここに、奥ゆかしくもある「雅」を感じ、秋の雅を庭絵に描き、干菓子にも表現したそうな。

和三盆糖「秋の雅」の箱に入っていた山岸泉琳氏
のはがきサイズの絵。
月・波・紅葉の構図は光琳派らしい。
◎庭を見ながら、抹茶とお饅頭をいただくのも格別ですわ。

「とらや」一条店の庭その1

「とらや」一条店の庭その2

「とらや」一条店玄関その1

「とらや」一条店玄関その2
◆とらやの歴史-ウィキペディア資料
はじめは室町時代に京都で創業し、後陽成天皇に和菓子を献上して以降、皇室御用達の製菓業となった。これまで約480年の歴史を持つが、明治時代になって東京に移った。
特に羊羹の製造販売で知られ、「とらやの羊羹」として人口に膾炙している。東京の老舗店の集まりである東都のれん会の会員であるほか、伝統企業の国際組織であるエノキアン協会(本部・パリ)にも加盟している。
日本国外でも事業を展開しており、1980年(昭和55年)にはパリ(パリ1区)、1993年(平成5年)にはニューヨーク(マンハッタン)に出店している。ただし、後者は2003年(平成15年)10月を持って閉店した]。
著明な歴代当主には、参議院議員で厚生大臣も務めた第15代・黒川武雄や、 日本青年会議所の初代会頭を務めた第16代・黒川光朝などがいる。
如何でしたか、和菓子一つをとっても奥が深いですね。 次回は御所でお会いしましょう。