今年は台風の当たり年なのでしょうか。10月11日から鳴門市への旅に出ようとしたら、天気予報では全国的に雨という、ままよ行くのじゃ、大日天にまた頑張ってもらわなくては。本当は旅行会社のツアーが急遽中止になったので、鳴門は予定外でありました。たまたま、その旅行社のチラシに大塚国際美術館の案内が載っていたのです。
以前にもこういうケースがあったっけ。

3連休前の金曜日とあって、あちらこちらで、渋滞していましたわ。おかげで到着が2時間ちかくオーバー。 大塚国際美術館へ行くには駐車場にマイ-カーを置いてシャトルバスに乗り換えなくてはなりませんでした。天候は運良く晴れ・・・嬉しい。

大塚国際美術館その1 階層レイアウトの一部
実は正面玄関から長いエスカレーターで上がって地階B3がチケットカウンターになっておりました。


大塚国際美術館入場券

《大塚国際美術館のコンセプト》平成10年(1998)に開設され、運営は財団法人大塚美術財団。
「大塚国際美術館」は大塚グループ創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した、日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412㎡)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された、古代壁画から世界25ヶ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によって、オリジナル作品と同じ大きさに複製しています。
それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免ねないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。
門外不出の『ゲルニカ』をはじめ戦争で散逸していたエル・グレコの祭壇画の衝立復元など画期的な試みもなされ、1,000余点の検品のために、ピカソの子孫や各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりに|ま美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。
このように「大塚国際美術館」は、技術|よもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。
                   大塚国際美術館館長 大塚―郎
                                      ◎京都でも、重要文化財の保存のために襖絵などのデジタル化がすすんでおりますが、絵画全部を陶板で仕上げ、展示するなどという試みには驚嘆いたしました。


陶板画の仕上がり工程
レタッチ【retouch】
絵画・彫刻・写真・写真製版などの修正または加筆。修整。

高度な製造技術力を得るため、滋賀県信楽町の近江化学陶器株式会社(当時社長・奥田孝氏、工場長・奥田實氏[現大塚オーミ陶業株式会社社長])と大塚が合併して新会社を設立した。
この陶板画の技術には信楽焼の手法が生かされていると言うことです。すごい。

◆展示方法

1.環境展示:
古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごとそのまま再現した臨場感を味わえる立体展示。

2.系統展示:
古代から現代に至るまでの西洋美術の変遷が美術史的に理解出来るような展示。

古代 中世 ルネサンス バロック 近代 現代
3.テーマ展示:
人間にとって根源的かつ普遍的主題など、時代を超えて古今の画家達の描いた代表的な作品を展示。
それぞれの表現方法の違いを比較することができる。
●空間表現 ●トロンプ・ルイユ(だまし絵) ●時 ●生と死
●食卓の情景 ●家族 ●運命の女 ●レンブラントの自画像

階層によって古代から中世、近代、現代と明確に区分されていない場所もありました。
とにかく、広くて、とうてい2、3時間では鑑賞できません。食事をして、再チャレンジするくらいのエネルギーが必要です。皆さんには有名無名を含めて厳選してご紹介いたしましょう。

ルネサンス〖(フランス) Renaissance〗
[〔「ルネッサンス」とも〕
14~16世紀,イタリアから西ヨーロッパに拡大した人間性解放をめざす文化革新運動。都市の発達と商業資本の興隆を背景として,個性・合理性・現世的欲求を求める反中世的精神運動が躍動した。この新しい近代的価値の創造が古代ギリシャ・ローマ文化の復興という形式をとったので,「再生」を意味するルネサンスという言葉で表現された。文化革新は文学・美術・建築・自然科学など多方面にわたり西欧近代化の思想的源流となった。文芸復興


バロック〖(フランス) baroque〗
〔ポルトガル barroco(歪んだ真珠)からという〕
16六世紀末から18世紀中頃にかけて,ヨーロッパ全土に盛行した芸術様式。ルネサンス様式の均整と調和に対する破格であり,感覚的効果をねらう動的な表現を特徴とする。本来,劇的な空間表現,軸線の強調,豊かな装飾などを特色とする建築についていったが,激しい情緒表現や流動感をもった同時代の美術・文学・音楽などの傾向,さらには,ひろく時代概念をさす。


ここでは、お助けロボットが展示ホールの案内をしていました。


大塚国際美術館その2


大塚国際美術館その3
この子達はホテルでも会いました。沖縄から家族できたそうです。

1.環境展示の例
■システィナ礼拝堂


大塚国際美術館その4
ロボットがエスコートした先にはシスティーナ礼拝堂が見えます。沖縄の男の子は人なっこくついてきました。


大塚国際美術館その5
システィーナ礼拝堂の天井画・壁画はミケランジェロが画きました。
ミケランジェロ〖Michelangelo Buonarroti〗
(1475~1564) イタリア盛期ルネサンスの彫刻家・画家・建築家。ドナテロ・クエルチアらの彫刻を学び,人文主義的教養をもつ。「バッカス」「ピエタ」「ダビデ」などの大理石像に天分を示し,またシスティナ礼拝堂の天井画「創世記」と同正面壁面「最後の審判」などを製作,ルネサンス美術の代表的傑作を残す。その動的表現はバロック様式への先駆となる。晩年,サン-ピエトロ大聖堂の設計も行う。



大塚国際美術館その6


大塚国際美術館その7


大塚国際美術館その8


大塚国際美術館その9
天井画は椅子に寝転んで見ないと首が痛くなります。
アダムとイヴなど『旧約聖書』に題材をとったものがあるようです。

大塚国際美術館その10

■聖マルタン聖堂壁画


大塚国際美術館その11


大塚国際美術館その12


大塚国際美術館その13

聖マルタン聖堂:12世紀前半の建物、フランスのノアン=ヴィック村にある。
397年に没したティヌスに捧げられた、聖マルタン(サン=マルタン)聖堂が建っている。テーマは「最後の審判」を暗示させ、黙示録思想と結びついている。

ヨハネもくしろく【ヨハネ黙示録】
[新約聖書巻末の書。1世紀末に迫害に悩むキリスト教徒を励まし慰めるために書かれたもので,新しい天と地の出現を黙示的に預言したもの。黙示録。


2.系統展示の例

■古代


大塚国際美術館その14
アレクサドロス大王の獅子狩り BC330年頃
アレクサンドロス〖Aleksandros〗
( 前356~前323 ) マケドニアの国王(在位 前336~前323 )。フィリッポス二世の子。遠征軍を率いてペルシャを滅ぼし,インドのパンジャブ地方まで進出。ギリシャとオリエントを含む空前の大帝国を建設し,東西文化の融合を図りヘレニズムの下地を作る。凱旋 (がいせん)後急逝し,帝国は分裂した。アレキサンダー大王。



大塚国際美術館その15
東ローマ皇帝ユスティニアヌス一世と随臣 547年
このモザイクは聖堂の祭室側壁の左側にあり。


大塚国際美術館その16
ユスティニアヌス一世の皇妃テオドラ皇帝の壁画に向かい合って画かれているとか。      
ユスティニアヌス〖Justinianus〗
(一世)(483頃~565) ビザンツ帝国の皇帝(在位 527~565 )。ベリサリウスを派遣してバンダル・東ゴート・西ゴート南部を征服し,ローマ帝国領を回復。法典を編纂 (へんさん)させ,聖ソフィア大聖堂を建立した。


■中世・ルネサンス


大塚国際美術館その17
アンジェリコ作 受胎告知_1  1440年代後半
聖母マリアと天使が対等に画かれている。
天と地が対等に相まみえるルネサンス的構造。


大塚国際美術館その18
マルティーニ作 受胎告知_2 1333年頃
大天使ガブリエルが「めでたし、めでたし、めぐまれた女よ、主はあなたとともに」とマリアに告げている場面。

フラ アンジェリコ〖Fra Angelico〗
( 1387(1400とも)~1455 )〔本名 Guido di Pietro〕イタリアの画家・修道士。宗教的主題を敬虔さあふれる清純な画風で描いた。代表作「受胎告知」


マルティーニ〖Simone Martini〗
(1284頃~1344) イタリアの画家。シエナ派の代表者。晩年アビニョン教皇庁宮廷画家となり,独特のゴシック様式を形成。

じゅたいこくち【受胎告知】
大天使ガブリエルがヨセフのいいなずけマリアを訪れ聖霊によって神の子を受胎したことを告げたこと。古くからキリスト教美術の代表的テーマの一つ。聖告。



大塚国際美術館その19
シニョレッリ(1445/50~1523)作 「聖家族」1498年頃
マリアが聖書を読み、ヨセフがイエスを礼拝している聖家族図である。この主題は15世紀以前には登場しないルネサンス的主題で、かつては聖母子だけだったのが、聖母の夫でイエスの保護者であるヨセフがクローズアップされている。
後世の三位一体の構成を予告している。

さんみいったい―【三位一体】
①キリスト教の根本教義の一つで,三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり,唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。三位一体論。三一論。

②三つのものが,一つの物の三つの側面であること。また,三者が心を合わせること。「親と学校と地域が―となって子供を守る」〔 ①は上海美華書館「英華初学」(1872)に英語 trinity の訳語として載る。「哲学字彙」(1881年)にも受け継がれる〕

※この作品をみて「おやっ」と思いました。マリアは聖霊によって神の子を受胎したとあるが、普通に考えるとヨセフとの夫婦関係(性交渉)においてイエスが生まれたと考える方が妥当なのでは。種なしで子供が生まれるはずがありません。厩戸皇子=聖徳太子でさえ、父母がおりましたから。


大塚国際美術館その20  ボッティチェッリ作 「ヴィーナスの誕生」1485年頃の作品


大塚国際美術館その21 
ボッティチェッリ作「春」
ボッティチェッリ作 「ヴィーナスの誕生」と「春」は対として画かれたとされている。ヴィーナスは二人いて地上で人間の豊饒を司り、天上で、精神的愛を司ったという。
ヴィーナスの全裸は古代ローマ以後初めて絵画に現れたもので、古代ヴィーナス復活を現している。
ボッティチェリ〖Sandro Botticelli〗
(1444頃~1510) イタリアの画家。フィレンツェ派初期ルネサンスに活躍,「ヴィーナスの誕生」「春」など人文主義的主題の傑作を残した。



大塚国際美術館その22
エル・グレコ作「オルガス伯爵の埋葬」1586-88年
死者の埋葬とその魂の昇天を、エル・グレコは上下二分の構図で解決する。
埋葬、審判、栄光を統合したこの絵はビザンティンとイタリア美術を体得したエル・グレコならではの傑作である。
グレコ〖El Greco〗
〔「ギリシャ人」の意。本名 Domenikos Theotokopoulos〕( 1541頃~1614 ) ギリシャ生まれのスペインの画家。雄大な構図,細長い人体描写で精神の深奥を宗教画・肖像画に表現した。作「オルガス伯の埋葬」など。エル=グレコ。

■バロック


大塚国際美術館その23 ブリューゲル作「バベルの塔
ブリューゲル〖Pieter Brueghel〗
(1528頃~1569 ) フランドルの画家。同姓同名の息子や孫の画家と区別して「大ブリューゲル」「農民のブリューゲル」と呼ばれる。農民生活や伝説・慣習を,寓意を交えて描いた。版画も多い。代表作「バベルの塔」「農民の結婚」など。

バベル の とう【バベルの塔】〔Babel〕
①旧約聖書創世記に記されている伝説の塔。ノアの洪水後,人間が天にも届くような高い塔を築き始めたのを神が見てそのおごりをいかり,人々の言葉を混乱させ建設を中止させたという。
②古代バビロニアに建てられた聖塔。
③自己の限界をも省みない,実現不可能なくわだて



大塚国際美術館その24   フェルメール作「牛乳を注ぐ女」
テーブルの上のパンや水差し、ミルクなどの静物にあたる光の反射を巧みに画き、特に流れ落ちるミルクの描写は見事と言う
ほかない。


大塚国際美術館その25
フェルメール作「手紙を読む女」1663年頃 17世紀のオランダの風俗画には手紙を読んだり書いたりすることに没頭する女性が 数多く見られる。

フェルメール〖Jan Vermeer〗
( 1632~1675 ) オランダの画家。市民の生活情景を描いた風俗画で知られる。「デルフトの眺望」「牛乳をつぐ女中」など。


大塚国際美術館その26
フェルメール作「真珠の耳飾りの少女」1665-66年頃
一瞬ふり返って、じっと私たちを見つめる少女はだれだろう。
肩まで垂れた青と黄色のターバンがエキゾチックな風情を添え、
東方世界との交易で栄えたオランダならではのファッション。

■近代


大塚国際美術館その27  マネ作「オランピア」娼婦の裸体画


大塚国際美術館その28 マネ作「草上の昼食」1863年
『草上の昼食』と『オランピア』はいずれも激しいスキャンダルを巻き起こした作品として知られる。『草上の昼食』では、戸外にいる正装の男性と裸体の女性を描いたことから、不道徳であるとして物議をかもした。また、『オランピア』に描かれた裸体の女性は、部屋の雰囲気や道具立てなどから、明かに当時のフランスの娼婦であることがわかり、それが当時の人々の反感を買った。

エドゥアール・マネ(Édouard Manet)1832年生/1883年没
フランスの画家
ギュスターヴ・クールベと並び、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人である。マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」に集まって芸術論を戦わせ、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であった。しかし、マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、近年の研究ではマネと印象派は各々の創作活動を行っていたと考えられている。


大塚国際美術館その29 マネ作「笛を吹く少年」1866年
前の裸婦像とは対照的な作品ですね。
単純な構図と少年の鼓笛隊員というモティーフゆえに最も親しまれている作品の一つである。


大塚国際美術館その30
アイヴァゾフスキー作「第九の波涛」1850年
この絵はタカナが二十数年前に見たお気に入りのものです。
《第九の波涛》とは荒海で船を襲う高波の中でも、九番目のものが最も破壊的で恐ろしいという船乗りの言い伝えをいったものである。
アイヴァゾフスキーは、世代的にはフランスのミレーやクールベなどのリアリズムに属するが、荒れる海と、波間にもてあそばれる船、あるいは難破船といったロマン派好みの主題を得意とした画家である。

イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキー(ロシア語: Иван Константинович Айвазовский, 1817年7月29日 - 1900年5月5日)はウクライナ生れのロシアの画家。民族的にはアルメニア人である。おびただしい数の風景画を残したが、その大半が海をモチーフにしており
ウィンズロウ・ホーマーと並ぶ海洋画家である。


大塚国際美術館その31 クールベ作「眠り」1886年
クールベには初期の思想性、社会性の強い作品に代表される「硬派」のクールベと、この《眠り》に代表される「軟派」のクールベの顔がある。
パリ駐在のトルコの外交官で、この種の作品を集めていたカリル・ベイの注文により描かれた。全裸の美女が絡み合って眠るという際どいモティーフを、クールベは官能的、エロチックでありながら退廃的、倒錯的とは異質の画面に仕上げている。
クールベ〖Gustave Courbet〗
(1819~1877) フランスの画家。現実をあるがままに直視して描写することを主張し,近代写実主義を主導した。パリ-コミューンにも参加。代表作「オルナン伯の埋葬」「石割」など。


大塚国際美術館その32 コラン作「フロレアル」1886年
題名にあるフロレアル (花月)というのは本来はフランス革命曆の第8月をさし、一般的には4~5月頃である。しかし、ここでは花の季節にふさわしい、花のような乙女を描いたということで、題名が選ばれたと思われる。
コラン【Louis-Joseph-Raphal Collin】
フランスの画家。アカデミックな様式に明るい野外の自然光を表す外光表現を折衷
。黒田清輝・久米桂一郎・岡田三郎助らの師として知られる。(1850~1916
                      

大塚国際美術館その33 ミレー作「春 」
ミレーには珍しく、人物はほとんど見えず,純粋な風景画に近いものとなっている。
古来絵の中に虹は、しばしば希望の象徴として用いられるが、この絵の中のそれが「曇りのち晴れ」の自然に託した何かの象徴なのか、あるいは単なる現象として描かれているかは定かでない。
ミレー【Jean-Franois Millet】
フランスの画家。パリ郊外のバルビゾンに住み農民の生活を描いた。作「春」「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。(1814~1875)



大塚国際美術館その34
モネ作「ゴディベール夫人の肖像」
この絵が描かれた頃のモネは経済的に困窮の極みにあり、自殺をはかったほどであるが、その時救いの手を差しのべたのがルイ・ゴディベールであった。彼は自分の妻の肖像を注文し、モネは窮地を脱した。
細部に至るまで丹念に,丁寧に描いた跡が見える。


大塚国際美術館その35 モネ作「ラ・ジャポネーズ」

モネのジャポニズムの作品の中でも最も顕著に、華麗に日本趣味の出た作品である。着物に縫い取りされた髭面の男と、画家の妻カミーユの愛らしい表情とが好対照をなして、後ろに飾られている団扇のなかの花魁が、着物を着たブロンド娘を驚いたように振り返っている(かのように)見えるのは、モネの巧まざるユーモアであろうか。

モネ【Claude Monet】
フランス印象派の代表的画家。「印象―日の出」と題するその作が印象主義の呼称を生んだ。同じ主題を一日の光の変化に従って描き分ける連作が特徴。ほかに「ルーアン大聖堂」「睡蓮」など。(1840~1926)


大塚国際美術館その36  ルノワール作「都会のダンス」
《田舎のダンス》と対をなす作品で、1883年の最初の個展に出品されて大好評を博した。
1881年にイタリアに旅してルネサンスの古典美術にふれたルノワールは、この旅行をひとつの境として、それまでの印象派形式から脱皮してアングル風の明快なデッサン(形態)を特色とする様式に移ってゆく。


大塚国際美術館その37 ルノワール作「ブージヴァルのダンス」
ブージヴァルはパリ近郊のセーヌ川河畔の行楽地で、ルノワールも常連であった。ただし、この絵はパリのアトリエで制作されておりルノワールがもはや外光主義にこだわっていなかったことを示している。
ルノワール【Auguste Renoir】
フランスの画家。印象派の一人。風景よりも人物を好んで描き、人物を含む日常生活情景や肖像を華麗な色彩で描いた。作「ムーラン‐ド‐ラ‐ギャレットの舞踏会」「ボート遊びの昼食」など。(1841~1919)



大塚国際美術館その38  リヴィエール作「エデンの園」
1900年
ヒュー・ゴールドウィン・リヴィエール 
晩秋の冷え冷えとしたロンドンの公園の一角である。空は暗く重苦しいが女の顔には晴れ晴れとした笑みが漂い、男もまた女に優しい眼差しを向けている。
二人が何を乗り越え、何に討ち勝ってここまで来たのかは想像するしかないが、この
公園が二人にとって愛と希望に満ちた《エデンの園》であることは確かである。
           

大塚国際美術館その39 リッカルド・ベリ作「北欧の夏の宵」
1899~1900年
水平の手摺りと垂直のの2本の柱が画面の枠組となり、二人はあえて距離を置くように、柱に身を寄せて立っている。彼らが言葉を交わしているようには見えないし、同じ所を見ているようでもないが、しかし胸に秘めた思いはひとつ、の感を見る者に抱かせる。
自然と人間、男と女のほのかな交感を描いた。

この2作品はロマンチックで素敵なタカ好みの絵です。


大塚国際美術館その40 エドガー・ドガ作「舞台の踊り子」
(エトワール【toile(フランス)】(星の意)花形俳優。スター。)
1876年
華やかなフット・ライト、踊り子の軽快で優美な身のこなし、パステル特有の淡く柔らかな色調が生み出す妖精か幻のような印象など、この絵がドガの踊り子の中でも最も親しまれている作品である。


大塚国際美術館その41 エドガー・ドガ作「花束を持って挨拶をする踊り子」
この作品は「スター」として脚光をを浴びている瞬間を描いた数少ない作品の一つである。
フット・ライトによる特殊な照明がこの踊り子に独特の表情を与えているが、彼女をはじめその後ろの登場人物もドガとしてはかなり描き込んだ完成度の高い作品である。

ドガ【Edgar Degas】
フランス印象派の画家。好んで踊子・競馬などを描く。パステル画も多い。(1834~1917)



大塚国際美術館その42 ピサロ作「モンマルトル大通り」
1897年
彼はパリでも最も賑やかな通りの一つを、ほぼ同じ視点からさまざまな時間、気象条件のもとに描いたが、これもその一つ。大都会の賑わいを描きながらも、馬車の黒っぽいシルエットをはじめ、明度、色彩ともに抑え気味の色彩を用いており、画面全体のヴァルール(色彩の調和的な響き合い)を重視している点が注目される。

ピサロ【Camille Pissarro】
フランスの画家。印象派の一人。郊外の風景のほか、農民生活や都市を描いた。一時期、新印象主義に接近するなど、若い世代を支援した。作「赤い屋根」など。(1830~1903)


大塚国際美術館その43
スーラ作「グランドジャット島の日曜日の午後」1884-86年
ここに用いられた点描法は、近くで見ると小さな色点の集積にすぎないが、離れてみると隣り合った色同士が混ざり合って見える。そして、パレットの上でその二色をまぜあわせた場合よりも、ずっと明るい効果を得ることが出来る。生き生きとしてみずみずしい感覚にあふれたこの作品は、スーラの代表作である。

スーラ【Georges P. Seurat】
フランスの画家。印象主義の色彩理論をさらに進めて点描を追究。緊密で静的な画面を構成し、新印象主義の代表者となった。作「グランド‐ジャット島の日曜日の午後」など。(1859~1891)

3.テーマ展示


大塚国際美術館その44 レンブラント作「自画像」
レンブラント【Rembrandt Harmenszoon van Rijn】
オランダの画家。ルーベンス・ベラスケスと並ぶ17世紀の代表的画家。ライデンに生まれ、アムステルダムに移り、肖像画家として名声を博す。色調と明暗の配合とに優れた手腕を示し、特にその光線の扱い方は独特の効果をもつ。作「トゥルプ博士の解剖学講義」「夜警」「自画像」など。ほかに多くのエッチングを遺す。(1606~1669)


□1Fの庭に出ると別館が見えました。絵の鑑賞も2時間以上たつと疲れます。束の間であっても外気に触れると気分が爽快になりますわ。


大塚国際美術館その45


大塚国際美術館その46

一雨降ったふったようで、芝生がしっとりと濡れてました。
さて、清浄な空気を吸ったところで、最後のテーマ展示を鑑賞しましょうか。


大塚国際美術館その47
サージェント作「ヴィッカーズ家の娘達」1884年
画家サージェントの重要なパトロン、トマス・ヴィッカーズの三人の娘を描いたもである。
暗い背景の中に三姉妹が浮かび上がっているが、二人を一つにまとめ、残る一人は後ろ向きの椅子に座らせてこちらを振り返るなど、構図に変化を持たせている。丹念に描き込んだ顔のフラットなタッチと、衣服の部分の印象派的な軽快かつ、省略的なタッチとの違いに注目。

ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent;1856年1月12日 - 1925年4月14日)は、19世紀後半から20世紀前半のアメリカ人の画家。フランスで美術教育を受け、おもにロンドンとパリで活動した。上流社交界の人々を描いた優雅な肖像画で知られる。

◎幸せそうな三姉妹の表情を観察していると、家族間の深い愛情が伝わってきました。

大塚国際美術館は本当に素晴らしい所です。皆さんも行かれたらきっと感動されることでありましょう