《北海道一の大都会》札幌・後編

サッポロの名前の由来は一説によると、アイヌ語で「乾燥した広大な土地」という意味らしいが、北東は大雪山系を源とする大河石狩川(層雲峡で厖大な雪解け水を見られたはずです)が日本海に注ぎ、 西には 手稲山(1024m)、迷沢山(1006m)、烏帽子岳(1110m)など1000mを超す山々がそびえる扇状地に大都市・札幌は形成されているので、決して乾燥したイメージではなく、むしろ豊潤な水に恵まれた広大な北の都といえましょう。

札幌については残念ながら多くをお伝えするほど散策しておりませんので、主にJRタワーから見た札幌のパノラマや北海道大学などについて少々ふれてみたいと思います。

-札幌市の概要-
〔2013年08月01日現在〕
札幌市の人口:1,935,400人
世帯数:920,829世帯

政令指定都市としては、全国で(1.横浜市、2.大阪市、3.名古屋市)四番目の人口を有し、浜松市・静岡市に次ぐ広大な面積を持つ大都市です。


◆夜景を見るのであれば、中心街から南西にある、『インカルシペ(いつもそこに上がって見張りをするところ)』というアイヌ語名を持つ札幌藻岩山(標高531m)からが絶景だそうです。へそ曲がりなタカナは日中の景色を見たかったのでJR札幌駅にあるタワー(最頂部173m)T38の展望室(38階のフロア:160m)から市内を眺めることにしました。


札幌もいわ山ロープウエイ乗車券


T38の展望室入場券
JRタワーにいくのは簡単ではありません。駅中央の巨大ショピングモール・ステラプレイスを縫うように歩き、特定のエレベーターに乗らなければ展望室に行けませんでした。迷路をさまよい、汗だくになるしまつ。


タワーT38からの眺望1North1   
手前に札幌合同庁舎です。←小樽、↓稚内方面


タワーT38からの眺望2North2
 右上方奥に札幌ドームが見える。13/06/13-17.56


タワーT38からの眺望3 West
中央の線路はJR函館本線、西側奥にあるのは北大植物園
上方にぼやっと見える山の麓に大倉山ジャンプ競技場がある。


タワーT38からの眺望4 South1
中央の札幌市役所、大通・すすきの方面の都心部を一望。夜ともなればすすきの一帯が美しく輝くアーバンエリア。


タワーT38からの眺望5 South2
さっぽろテレビ塔がよく見えます。右手には藻岩山、その奥には恵庭岳を望む。


タワーT38からの眺望6 East1
石狩川の流れを抱く東サイドは、野幌原始林をはじめ肥沃な低地帯が広がるネイチャーエリア。空気が澄んだ晴れの日には夕張岳や芦別岳をも望む。


タワーT38からの眺望7 East2
右手前ドームがサッポロファクトリー、左奥にJR函館本線
苗穂駅がある。

◎ぐるっと見渡して、気づいたのです。194万人もの人口を有する大都市で、市域の広大さだけでなく、空気が澄み切っており、約50km先まで見通せる美しい都市景観は札幌以外にないのではないかと感動いたしました。


JR札幌駅・タワーT38 夜景1  


JR札幌駅・タワーT38 夜景2
13/06/13-19.37

いつの間にか暗くなりイルミネーションが輝いてまいりました。腹ごしらえにお食事処へでも向かいましょうか。行き先・・・内緒(^_^)v

◆翌6月14日(金)、午前中には先ず、お土産の海産物を買い求めて中央卸売市場 場外市場(サッポロシチュウオウオロシウリシジョウジョウガイシジョウ )へいきました。小雨がぱらぱら降ってましたが、買い物にさして支障ありません。

ウィキペディア提供
住所:北海道札幌市中央区北11条西21~23
通称“札幌場外市場”と親しまれる『札幌市中央卸売市場 場外市場』。中央市場通りの周辺に、60店舗あまりが軒を連ねる。隣接する「札幌中央卸売市場」で毎朝競り落される、とびきり新鮮な産地直送の道産品が豊富に並ぶ。タラバガニ、毛ガニ、シャケ、タラコ、イクラなどの魚介類、ジャガイモ、トウモロコシ、タマネギ、夕張メロンなどの青果と、北海道の旬の味覚がいっぱいの市場である。

タカナは毛ガニやウニなどを買ったのですが、間違って、仲買の店に入ってしまったのです。おかげで道路沿いのずらっと並んだ店よりずいぶん安く購入でき候。まあ運良く間違ったものです。ラッキー!!

◆北海道大学-北の大地に根ざす知の殿堂
本部所在地:北海道札幌市北区北8条西5丁目

約140万㎡もの広大なキャンパスは緑地公園のようでした。植物園まで入れたらもっと広い。
北海道大学の沿革:
明治40年(1907)、札幌農学校が東北帝国大学農科大学の予科として発足。学年定員は100名、生徒は三年間の在学ののち本科(農科大学)の各学科に進んだ。
札幌農学校の校章であった桜星章がひきつがれて予科の略章となる。翌年、校舎が現北大事務局の位置に落成した。
大正7年(1918)、北海道帝国大学の発足によりその予科となる。第二次大戦後の昭和22年(1947)には帝国大学の呼称廃止により北海道大学予科となり、新制大学の発足にともない、昭和25年(1950)に予科は43年の歴史を閉じた。昭和16年以降~閉校までに11100余名がここで学んだ。



北海道大学キャンパスその1
佐藤昌介像
札幌農学校第1期生としてクラーク博士の薫陶を受け、後に同校校長となる。
明治40年(1907)、同校が東北帝国大学農科大学に昇格して学長に就任。
さらに大正7年(1918)、北海道帝国大学発足と同時に初代総長となる。
帝国大学の昇格に尽力し、「北大育ての親」と言われる。
胸像は、昭和7年(1932)に氏の業績を称えて建立されたが、クラーク像と同じように昭和18年(1943)の金属回収令により献納。
現在のは二代目で、昭和31年(1956)に再建された。いづれも加藤顕清昨。



北海道大学キャンパスその2
有名な「大志を抱いて」の石碑


北海道大学キャンパスその3


北海道大学キャンパスその4
緑豊かな広大な敷地で学ぶ学生は幸せですね。


北海道大学キャンパスその5
W(ウイリアムス).Sクラーク像  13/6/14-11.42
明治9年(1876)、北海道開拓の人材を育成するため札幌農学校が開設され、
教頭としてアメリカからマサチュ-セッツ農科大学学長W/S・クラークが着任した。
彼はわずか9ヶ月の滞在中に精力的に農学校の基礎作りに励み、キリスト教に基づいた教育は学生達に大きな影響を与えた。
帰国に際し残した
”Boys,be ambitious”
の言葉は、今なお深い感銘を与えている。
開校及び帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる。
初代 クラーク像は、大正15年(1926)に建立(田嶼碩朗昨)されたが、昭和18年(1943)の金属回収令により献納。
現在のクラーク像は二代目で、昭和23年(1948)に復元(加藤顕清監修)された。



北海道大学キャンパスその6
クラーク像近くの小川


北海道大学キャンパスその7
茂みにあるのは何の建物か? 古いが威厳のある建物がありました。


北海道大学キャンパスその8
古河講堂という由緒ある建物でした。
(旧東北帝国大学農科大学林学教室)

〔古河講堂〕について:
明治42年(1909)竣工。地上2階。
設計:文部大臣官房建築課札幌出張所(新山平四郎)
国登録有形文化財
明治40年(1907)札幌農学校は東北帝国大学農科大学に改組され、本建物や予科講堂、畜産学教室などが新築された。これらは、本建物の正面2階に古河家寄贈と記されているように、古河家の寄付で建築された。左右の翼屋にマンサード屋根(腰折れ寄棟屋根)を架け、玄関ポーチを中心に左右対称のデザインとする。玄関ポーチ左右の円柱上の鈴蘭風の装飾、窓上の破風(ペディメント)の植物装飾、玄関欄間や内部扉腰板の「林」の文字意匠など、繊細で茶目っ気あふれたデザインがみられる。


マンサード やね【マンサード屋根】〔mansard roof〕
屋根勾配が上部はゆるく,軒に近い方で急に折れ曲がった屋根。窓を設けて,屋根裏部屋として用いられる。フランスで愛用される。腰折れ屋根。→ マンサール

ペディメント〖pediment〗
①西洋の古典建築で,切妻屋根の妻壁にできる三角形の部分。
②窓や出入り口上部に取り付けられた三角形状の装飾。

こし いた【腰板】
①壁・障子・垣根などの下部に張った板。腰張り板。
②男袴 (はかま)の後ろ腰に当てる山形の板

ずいぶんこった建物ですね。建物の説明でこれだけ詳細に説明が加えられているものは少ないのではないでしょうか。それだけ、思い入れのある建築物といえましょう。

※6月14日、夜間にはもう北海道を離れねばなりません。時間が欲しい、名残惜しいけどフェリーに乗り遅れるわけにはいきませんから仕方ありません。

また、チャンスを見つけて北の大地を訪れたいと思いつつ拙い筆をおきます。
ご愛読有り難うございました。