-因果応報を知った光源氏は出家して雲隠れ?-

源氏の唐突な死はなにも表現されておりません。「雲隠」という題だけが記されている。そして宇治十帖という、子や孫の代への橋渡しであっけなく『源氏物語』は終わるのですが、その訳をあえて詮索しようとは思いません。謎ですが、調べようがないからです。
それより、当時の結婚観・慣習などの中に面白い示唆に富んだ話を見い出しました。

◆男から見た結婚観と女から見た結婚観の対比◆

1.第32帖◇梅枝(うめがえ)◇源氏の結婚観-夕霧に親の説教
・・・私は、幼いときから宮中で育ち、自由もなく窮屈で、すこしでもしくじったら軽薄だと非難されるだろう、と気をつけていたが、それでも女好きだと責められ、世間から爪弾きにされてしまった。
あなたは位も低く気楽な身分だからと、油断して気ままに振る舞ってはいけない。気を許していい気になると、浮気心を抑えるような妻がいない場合は、立派な人物までが女性の件でしくじる例が昔もあったものだ。
好きになってはいけない女に思いを寄せ、その女も世間で悪く言われ、自分も女から恨まれるのは、一生の傷になる。
しまったと思いながらも一緒に暮らす女が、気に入らず、我慢できない点があっても、やはり結婚した初めの頃に返ってみる気持ちを持つようつとめることだ。・・・人柄にいじらしいところがあれば、それを長所と考えて暮らしなさい。・・・

タカナは、このくだりを読んだとき、”どきっ”としましたわ。既婚者なら、誰しも思い当たる節がありませんか?それと、可笑しかったのは、お説教している、源氏そのものが、紫の上という正妻がありながら、次々と女に手を出し、紫の上を悲しませ、ついには彼女は心労で死に追いやられましたよね。

また、源氏は、柏木に愛人の女三の宮を寝取られ、子を宿したことを知ると藤壺との暗い過去を思い起こし、「因果応報」の罪の深さを思い知るのです。しかし、柏木に厳しい皮肉の矢を放ち、気の弱い柏木は心痛と恐怖で病気になり、あえなく死んでしまいました。
罪作りな男です、源氏とは。その落とし子が「薫」ですわ。「匂宮」のライバル。

2.第50帖◇東屋◇夫選びのこつ-浮舟の母の体験的結婚観
〈巻名の由来〉
薫が三条の隠れ家に浮舟を訪ねたときの歌:さしとむるむぐらや繁き東屋のあまりほどふる雨そそきかな「戸が開くのを邪魔する雑草が繁っているというのだろうか、東屋の外で雨ざらしになって、長々と待たされることだなあ」

・・・故八の宮は、お優しくて、ご立派で、申し分ありませんでしたけれども、私を妻の一人として認めて下さらなかったので、何とも情けなく辛い思いをしました。
今の夫(常陸の介)は、身分は卑しく、思いやりなく、風采の上がらない人ですが、ただこの私一筋で浮気をしないので、安心して長年、連れ添ってきたのです。
時々やり方が、今回の娘の結婚問題で見せたように、ぶっきらぼうで、気配りのないのが癪にさわるものの、嘆いたり、恨めしく思ったりすることではありません。お互いに口喧嘩してでも、納得できない点は、はっきりさせました。
やれ大貴族だ皇族だといって、お上品で気後れしそうな方に縁づいても、自分が妻として扱われないのでは、結婚の意味がありません。・・・なんとか、物笑いにならないように、良縁を見つけてあげたいものです。

これは、紫式部の本音ではないでしょうか。対等に意見を戦わせる夫婦とは、現代的ですな。源氏のお説教といい、思わず笑ってしまいました。

◆第32帖◇梅枝(うめがえ)◇薫物合せと第42帖◇匂兵部卿から-香と嗅覚の話-

たきもの‐あわせ【薫物合】 ‥アハセ
種々の練香(ねりこう)を持ち寄ってこれをたき、判者がその優劣を評して勝負を決める宮廷遊戯。→香合(こうあわせ)。


日本香堂(株)の練り香-老梅

 [第一段 六条院の薫物合せの準備]
御裳着の儀式、ご準備なさるお心づかい、並々ではない。春宮も同じ二月に、御元服の儀式がある予定なので、そのまま御入内も続くのであろうか。
正月の月末なので、公私ともにのんびりとした頃に、薫物合わせをなさる。大宰大弐が献上したいくつもの香を御覧になると、「やはり、昔の香には劣っていようか」とお思いになって、二条院の御倉を開けさせなさって、唐の品々を取り寄せなさって、・・・ 
紫の上は、東の対の中の放出に、御設備を特別に厳重におさせになって、八条の式部卿の御調合法を伝えて、互いに競争して調合なさっている間に、たいそう秘密にしていらっしゃるので、「匂いの深さ浅さも、勝負けの判定にしよう」と大臣がおっしゃる。
子を持つ親御らしくない競争心である。・・・

も‐ぎ【裳着】
主として平安時代、女子が成人して初めて裳を着ける儀式。男子の元服に当たる。12~14歳頃、特に配偶者の決まった時、また、その見込みのある時に行うことが多い。同時に、垂髪を改めて結髪にし、これを初笄(ういこうがい)と呼んだ。着裳(ちゃくも)。

★宇治十帖の主役「薫」と「匂宮(におうのみや=源氏と明石の君との孫)」の二人の貴公子の名は嗅覚に関わる語です。

人名に嗅覚の語が選ばれたことは、王朝人の方が現代人よりも、鼻が利くことを証明しているようです。
王朝人は、菜種油の燭台や蝋燭など、暗い照明の中で生活していたため、嗅覚に依存する情報量は非常に大きかったと思われる。鼻がよく利き、闇の中で人物をかぎ分けることが出来たのだ。王朝人は、衣に薫(た)きしめた芳香によって、自分の個性を表現したのですね。

★第47帖◇総角(あげまき)★という言葉

あげまき‐むすび【揚巻結び】
紐の結び方。輪を左右に出し、中を石畳に組んで結ぶもの。簾(すだれ)・坏(ゆするつき)・大鎧(おおよろい)・文箱(ふばこ)などの飾りに広く用いられた。あげまき。


総角結び

総角は糸の結び方の一つ。ここでは、結び糸のように、固く抱き合いたいという激愛の表現に用いたそうです。平安貴族は愛情表現がストレートですな。

◆宇治川・宇治平等院を見ながら、宇治十帖の世界にひたって見ましょう。

宇治のうじは「うし=憂し」につうじる語で、思うにまかせない、悲哀を感じさせる。

宇治川      2009/11/18撮影

宇治川の流れは早くて水深が深い。か弱い浮舟の運命を翻弄するかのように。

次第に、仏教的色彩をおびていきます。欣求浄土、阿弥陀仏に身をゆだねて成仏しようという、末法思想の到来である。

◎第51帖◇浮舟◇甘美な恋に酔いしれる-匂宮と浮舟

女のほうは、これまで、薫を、なんて美男な方、こんないい男がいるだろうかと、思っていた。けれども、匂宮のほうが、きめ細かく、つやのある肌をしていて、薫よりもずつと美男だったのだ、と今では思っている。
匂宮は、硯を引き寄せて遊び書きをした。とても風流に書き流し、絵なども上手に描くので、年若い女としては、夢中になるのも無理もない。「都合つかず、あなたに逢えないと時は、これを見てくれ」と、美男美女が一緒に寝ている絵を描き、「いつもあなたとこうしていたい」と言って、涙をこぼすのだった。

この表現は、明らかに「春画」です。紫式部は艶めかしい女性だったんですね。

◎第54帖◇夢浮橋◇
こんな浮ついた情事が長続きするわけがありません。案の定、匂宮と浮舟と薫の三角関係は泡のように破綻し、浮舟は自殺しようとします。でも、宇治川に身を投げて死ぬつもりであったのが、皮肉にも叡山の僧都に助けられ、彼女は仏門に入ることで罪をあがなおうと決心するのでした。『源氏物語』の終わりはあっけないですね。

■平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。開基は藤原頼通。

平等院の創建:永承7年(1052)、藤原道長の別荘「宇治殿」であったものを関白・藤原頼通(道長の長男)が寺院に改めた。これが平等院の始まりであります。

開山は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053)には、西方極楽浄土をこの世に出現させようと阿弥陀堂(現・国宝鳳凰堂)が建立されました。

春夏秋冬、国宝平等院・鳳凰堂は私達の目を楽しませてくれる。素晴らしい歴史遺産です。


平等院その1

平等院その2

平等院その3

平等院その4

平等院その5

平等院その6

平等院その7

平等院その8

こんな素晴らしい建築物が10円玉とは、誰が価値判断したのでしょう?500円でもなりえただろうに、今さら変えるとお金がかかるからデスって。金塊に刻印でもしますか?

最後に、京都新聞社-コラム・現代の言葉より山本淳子・京都学園大学教授の『こい』という文を読んで戴き、『源氏物語』を締めくくりたいと存じます。

「恋」とは古来、不在の物や人を強く切なく想い、求める心なのである。

うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき(古今和歌集第553番歌:小野小町)
うたた寝に恋しい人あの人を夢に見てからは、夢というものをあてにするようになった。

恋しい人に会えた。嬉しいヽ眠ればまたまた会えるかしら。その時思いが通じていない。だから恋しい。
あるいは、障害があって思うように逢えない。だから恋しい。またあるいは、思いは通じており障害もないが一緒に暮らしてはいない。だからもっと会いたい、恋しい。物を恋う気持ちもそうだが
、「恋」の思いは人を恋うとき、はっきりと痛みの感覚を帯びる。恋とは必ずつらいものなのだ。

そんな恋を、面倒だといって止めてしまう若者が、最近はいるのだという。止めてはならない。それは人生のつらさの練習なのだ。