《 在原業平物語 》その2

タカナ:貴方の母君(伊都内親王)はたしか、長岡あたりに住んでおられたと聞きましたが、そうなんですか?

昔男:そのとおり。母君や桓武天皇の皇女が多く住んでおられた。『続日本後紀』には嘉祥元年(848)7月29日、雷が猛威をふるって、東の京、西の京あわせて11箇所に落ち、伊都内親王の邸宅にも落雷したことが記録されておる。

タカナ:雷も怖いが女も怖いですね。最近の女性は殊に。

昔男:同感じゃ。◇集まって騒ぐ女が鬼に見え◇『伊勢物語』41段
母君の屋敷の周りに葎(ムグラ:野原や荒れた庭に生い茂る雑草の総称。カナムグラ・ヤエムグラなど。)が生え、うっとうしくなり雑草取りをかねて稲刈りを使用人に指図していたところであった。そんな都人の私を見ていた近所の宮仕えの女達が「たいそう風流なお仕事ですこと」といって冷やかしおった。
そんな女達に言ってやったのさ「葎が生えて、荒れている家がいっそう厭わしいのは、稲を刈ろうとすると、一時にせよ美しい女に姿を変えて鬼が集まって騒ぐからなのだなあ」

メモ:長岡天満宮略縁起にいわく「この長岡の地は昔桓武天皇が平城京より平安京にご遷都になるまでの皇都即ち長岡京の跡であり、当天満宮の御祭神菅原道真公が在原業平らと共にしばしば遊び詩歌管弦を楽しまれた、まことにゆかりの深い土地であります。」


長岡天満宮神殿  2012/05/05撮影

霧島ツツジの回廊その1

霧島ツツジの回廊その2

霧島ツツジの回廊その3

長岡天満宮 八条ヶ池

タカナ:それはそうと、貴方の「禁断の恋」はたいそうセンセーショナルな話題となりましたなあ。

昔男:まことに恥ずかしい限りではある。何せ伊勢の斎宮(その時の斎宮は文徳天の皇女で清和天皇の姉にあたる恬子(てんし)内親王)に惚れてしまったのだから。そうとう、私も斎宮も悩み抜いたのだよ。
-前回の紀氏と在原氏の系図を参考にされたい。-


もんとく‐てんのう【文徳天皇】 
平安前期の天皇。仁明天皇の第1皇子。名は道康(みちやす)。田邑帝とも。(在位850~858)(827~858)

せいわ‐てんのう【清和天皇】平安前期の天皇。文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。名は惟仁(これひと)。水尾帝とも。幼少のため外祖父藤原良房が摂政となる。仏道に帰依し、879年(元慶3)落飾。法諱は素真。(在位858~876)(850~880)

さい‐ぐう【斎宮】
伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として、天皇の即位ごとに未婚の内親王または女王から選ばれた。記紀伝承では崇神天皇の時代に始まるとされ、後醍醐天皇の時代に廃絶。斎王。いつきのみや。伊勢物語「かの伊勢の―なりける人」

斎宮との密通は、神を侵すとともに国家の体制を乱す大罪とされた。また密通した斎宮も任期を全うしうるはずもなかった。しかし、実際の業平と恬子(てんし)内親王は 幾多の困難を乗り越えて恋を成就したようである。

タカナ:なんだか芸能ニュースのようで、この手の話題は盛り上がりますね。

昔男:朝廷の狩りの遣いとして伊勢国 へ赴いたときであった。◇狩りの使い-狩りの使い恋する女(ひと)は斎宮(いつきのみや)◇『伊勢物語』69段-1
その伊勢の斎宮であった人の親が私を特別にもてなされ、斎宮も心細やかにお世話くだされた。狩りに出る朝はおにぎりの支度。夕方帰ってくると自分の御殿へ招いていただいた。
こうして、日を重ねるごとに、私と斎宮の間には、いつの間にか男と女という恋の感情が芽生えた。深夜人目を憚って、私は彼女を自分の寝所へ誘ったのだが、来てくれるかしら?暫くして、おぼろ月夜の光の中に美しい女人がで立っているではないか。その嬉しさは表現できぬ。二人はとうとう禁断の掟をやぶって一夜を語り明かしたのだよ。

業平と斎宮秘め事:斎宮歴史博物館蔵

タカナ: その後、彼女との恋の行方はどうなりました?

昔男:今分かれたばかりなのに、もう逢いたくなる。◇狩りの使い-斎宮は忍び行けども夢うつつ◇『伊勢物語』69段-2
◇狩りの使い-逢坂の関越えられぬ浅き縁◇『伊勢物語』69段-3
手紙ではなく歌のやりとりでお互いの心の内を確かめ合ったのだ。狩りに出ても思うのは斎宮のことばかり。出立の日。せめて、今夜だけでも、何とか逢いたいと思うが伊勢守の接待が夜通し続き、時間だけがむなしく過ぎていったのだ。ああ切ない。

古今集645番歌:君や来(こ)し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか
(よみ人知らず)

真っ暗な心の闇に閉ざされて何もわかりません。夢か現実か、世間の人よ、定めてください。

古今集647番歌:かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ(在原業平朝臣)
闇の中の逢瀬という現実は、はっきりとした夢の中の逢瀬と比べてどれほどもまさらないものであった。
旅立ちの朝、女の側からお別れの盃の台皿に歌を書いて差し出したので、手に取って見ると「 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば・・・私達のご縁も浅いので、あきらめましょう。」と上の句だけ書いてあったので。私は、その皿に下の句を書き足したのさ。「また逢坂の関は越えなむ・・・きっと、またお逢いしましょう。」そう詠んだあと、尾張の国へ国境を越え去ったのだよ。

タカナ:どんなに激しい情熱の中にあっても、斎宮様は自分と貴方の立場を忘れることはない、しなやかな方ですね。でも、二人とも諦めきれなかったのでしょう?

昔男:忘れられようか。暫くたってから、今度は一人の女として、男として恋歌を交わしたよ。◇斎垣(いがき)など越えて行くのが恋の路◇『伊勢物語』71段
い‐がき【斎垣】
(イカキとも)神社など、神聖な領域にめぐらす垣。みだりに越えてはならないとされた。いみがき。
万葉集(11)「ちはやぶる神の―もこえぬべし」

では皆さん、京都で毎年5月15に行われる恒例の『葵祭』を見ながら、業平と斎宮のロマンスを思い浮べ、雅の世界にひたっていただきましょう。


『葵祭』その1   2008/05/15撮影

『葵祭』その2

『葵祭』その3

『葵祭』その4

『葵祭』その5

『葵祭』その6

『葵祭』その7 この祭のシンボル「斎王代」

『葵祭』その8   「斎王代」

『葵祭』その9

『葵祭』その10

『葵祭』その11

『葵祭』その12

『葵祭』その13

『葵祭』その14