■1月30日(日)丹後地方では大雪警報、亀岡でもチラチラ小雪が舞う曇天の寒空。今日は「韓国舞踊が見られる・・・」飛天の舞を夢想しながら、保津川あられ本舗霰館(工場直売店)へ向かいました。2階の特設会場は瞬く間に定員50名を超すギャラリーであふれ熱気むんむん。

催しのタイトルは「韓国文化サロン~韓国文化とふれあう~」主催:かめおかまちの元気づくりプロジェクト

今回出演してくださったのは、南丹市在住の韓国舞踊家であり、ハングル語講師の「徐希寧(ソゥ ヒヨン)/2000年来日」さんです。
昔の百済の都、扶余(プヨ)で出生、ソウルで青春時代を過ごされて、来日後、2005年に結婚されたと紹介がありました。

歴史のおさらい【参考】:韓国ドラマ
『薯童謠(ソドンヨ)』(  全55話)2005年

百済の滅亡(660年)、白村江(663年)の戦いで多数の難民=渡来人が日本に渡ってきたのです。この事は、大和朝廷をはじめ日本史上に多大な影響が及んだことを付記しておきます。
白村江の戦い:唐・新羅軍と日本・百済軍との戦い。百済を救援した日本軍は敗れ,百済は完全に滅亡,日本は朝鮮進出を断念。新羅が朝鮮統一に一歩を進めた。


◆今回、徐希寧(ソゥ ヒヨン)さんが踊ってくださった演目は「巫女の厄払いの舞」だそうです。
では早速、披露していただきましょう。










◆韓国舞踊のあとは、韓国文化について会場のギャラリーとの交流会へ移りました。

質疑応答:服装についての質問が多かったようです。舞踊に使う絹地は自分で選び、デザインされたりするそうです。
韓国の人達は表現が豊かであると云われました。「韓流時代劇」で実証済です。本当にリアル。
韓国ではしょっちゅう「愛しているよ、愛しているよ」と旦那が嫁はんに、言わないといけないそうですな。アメリカ人の影響かな?これは、挨拶みたいなもので本心から言っているのではないそうですよ。ブハハハ・・・
日本も女性が強くなりました。肉食女に、草食男か。困ったもんじゃ。


◆徐希寧(ソゥ ヒヨン)さんからタカナ宛に来た手紙の一部をご紹介します。

このたびは「韓国文化サロン~韓国文化とふれあう」という企画による〈霰館de韓国舞踊〉にお越しいただき、誠に有り難うございました。
日本に暮らす一人の韓国舞踊家として、小さな交流が実現でき感無量です。
今、韓国と日本は、本当に「近くて近い国」になったのだと実感しています。
・・・私の日本での生活や経験を通して感じたこと、現在の韓国社会や文化・言語、韓日双方から見えるものなどについてお伝えしていきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

●タカナから一言
徐希寧(ソゥ ヒヨン)さんのご活躍をお祈りします。お元気で。

コマップスムニダ/코맙슴니더 。