3月30日(火)の朝は少々冷え込んでました。寒暖の差がこれほど感じられる年はありません。ソメイヨシノよりしだれ桜の方が早く咲き始めている、世界遺産「龍安寺」を訪れました。あまりにも有名な石庭がある寺でありながら、初めてだったんです。教科書等で習ってから40数年たってました。エンジンかかるの遅いですna、タカナは。

この日、偶然、北欧から来られた観光客(バス一台分)に出会いました。語音からはじめはドイツ人かと思って、あるカップルに声をかけると「スウェーデンからです。」とさ。タカナの怪しい語学力でも発音がドイツ語に似ていると感じたのですwa。

芽を開き、早々と客をもてなす、しだれ桜。「龍安寺」にて

【考参】龍安寺資料、『花のうた-花の俳句・短歌集-』小学館、ウィキペディアなど

《龍安寺の沿革》
「徳大寺家=藤原公実の四男実能を祖とする。平安時代末期、左大臣時代の実能が衣笠山の西南麓を所有した別邸を営み、その中に持仏堂を建て徳大寺(得大寺)と命名。これが後に家名となった。」の別荘だったのを、宝徳2年(1450)管領「細川勝元=室町時代の武将・守護大名。」が譲り受けて寺地とし、
妙心寺の「義天玄承(ぎてんげんしょう=明徳4年(1393)生 | 寛正3年(1462)没 は、室町時代中期の臨済宗の僧。)」を開山として創建されたものである。

・日本史のややこしいところですがご勘弁を。時系列で知っておく必要がありますから。

応仁の乱に焼失して、明応8年(1499)、勝元の子、政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。・・・木と紙でできたのは、よー燃えまんな。

現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。方丈の前庭は枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲寺と号し禅苑のの名刹である。


「龍安寺」の入り口と案内板 
1.建仁寺の時、ご紹介しました「大雄苑(だいおうえん)」と称される枯山水と龍安寺のそれとを見比べて下さい。

建仁寺のものと比較すると、ずいぶんこぢんまりしてます。3分の2くらいでしょうか?規模が小さくても見方によって、眼前に奥行きと広がりを感じさせる不可思議な空間を形作っています。これを設計した人は数学者かな?

「龍安寺の石庭」その1 
白く写っているのは残雪 「龍安寺の石庭」その2
いわゆる「龍安寺の石庭」は、幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭である。巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭である。

・写真を撮るのも良いが、ぼーっとして眺めるのも、一興かとぞんじまする。白く写っているのは残雪でございます。冷やーッ。火星にある氷がここに投影されているのでしょうか?タカナは大げさです。

2.この寺は、また別の顔を見せてくれました。回遊式庭園としての優美さを堪能しましぞよ。昔は「石庭」よりもむしろ、このほうが著名だったらしいとな。

これは、「鏡容池」といわれる池を縁取るように造られた庭園です。

【鏡容池】
この池は徳大寺家によって築かれたもので、かつてはおしどりが群れ遊んだところから「おしどり池」と呼ばれた。石庭鑑賞後のひとめぐりも、何がなしにほっと心が和むのを覚えるのは、水の効果というものであろう。池の堤防からは龍安寺全景の山々が古来の姿そのままに眺望される。

「鏡容池」の道から龍安寺の山々が眺望される。 10/03/30撮影

翡翠のような透明感のある美しい池  
この庭園の一角には、翡翠のような透明感のある美しい池があったり、広い池には木々や青空が映し出されている。そして縁取りの道には桜に混じってユキヤナギやミツバツツジかサツキツツジの仲間であろうか?紅紫色(あかむらさきいろ)の可憐な花の共演があり、この上ない美しさに心が洗われるようでございました。

広い池には木々や青空が映し出されている。

回遊式庭園に映える桜の浮島、桜、桜かな。

ユキヤナギとツツジの可憐な花の共演  
・[文政句帖-小林一茶の句]
百両の石にもまけぬつつじ哉

・[和泉式部集-和泉式部の歌]
岩ツツジ折りもてぞ見る背子(せこ)が着し 紅染(くれないぞめ)の衣(きぬ)に似たれば