ダイベンとシュウコウ
春分の日、卒業生が二人遊びに来た。加藤大と田越秀行の二人である。二人のあだ名が“ダイベン”と“シュウコウ”という訳。ダイベンは決して大便ではなく、大勉なのであるが、初めてそのあだ名を聞いた時、カレーライスを食べていたので、俺は吐きそうになったのを覚えている。秀行は本名はヒデユキ。同じクラスに馬場英幸という奴がいたので、囲碁の藤沢秀行からシュウコウと名付けた。彼らは2年・3年と俺の持ち上がりのクラスで育ったクラスメイト。
大の夢は中学校の教師になることだった。彼は勉強もよくできたし、遊ぶことも大好きな面白いヤツだった。3年の2学期の期末テストの前日の日曜日。担任が連絡網で『野球やろうよ!』と言うと、男子全員が揃ってしまうようなクラスの中で、大はよく遊び、よく勉強した。
 2年生になった時、クラスで5番ぐらいだった大が学年で1番になったのは3年の2学期だった。実によく勉強していた。朝勉には必ず参加し、授業には気合を入れ、休み時間には思いっきり遊び、体育では汗びっしょりになり、放課後、真っ暗になるまでクラスでサッカーをやり、家に帰ると自分でコツコツやる。言ってみれば、俺がやってみたらと言ったことをそのまま実行するような、そんな男だった。塾にも行かず・・・・ただのがり勉ではなかった。
 秀行がおとなしい子だった。3年の1学期「先生、数学躓いちゃったんだけど、どうしたらいいかな。」と理準に来たので、俺はその日の内に本屋に行き、400円の問題集を買って『これ今月中に2回やったらいい』と言ってプレゼントすると「ハイ!」と言って3回やった男だ。3年生になったとき『もう、3年なんだから毎日4時間はやれよ。』と言ったら、1年間やり通した。彼は去年、東北大と早稲田に現役で合格したが、自分が行きたくない学科に回され、一浪した。秀行の夢は“宇宙物理”をやることだった。天体観測が好きで1年生の頃からよく星の話をしていた。
大「お陰様で東大に合格しました。」俺『そうか。やったね。大なら入ると思ってたよ。何学部だい?』「はい、文学部です。」『なあんだ。先生にならないの・・・・』大「いや、わかりませんよ。小説書きたいんだけど、書きながらやるかも知れません。できたら中学。」俺『そう来なくっちゃ!』
秀行「お陰様で京大に合格しました。」俺『そっかあ。凄いじゃないか。何やるんだい。』秀行「はい。宇宙物理です。」俺『あらあ~。やったじゃん。夢だったもねえ。』俺『ま、一杯いこうか。お祝い、お祝い。』・・・・・・俺『しかし、みんなよく頑張ったねえ。東大、京大、外語大、鹿児島大・・・4人も国立に入るなんて、珍しいクラスだよ。』大「外語大っていうのは?」担任『弘子だよ。去年、現役で入った。』秀行「すげえ」俺『何言ってんの。・・・でも、お前たちは勉強、相当やったか?』大「いえ、中学の時の方がやりましたよ。あれで生活のリズム作ったから・・・」俺『何がよかったのかなあ・・』大「たかやんの朝勉ですよ。あれで生活のリズムを作ったから・・・」秀行「タカヤンいつも言ってたでしょう。規則正しくコツコツやれって・・・」俺『いやあ、嬉しいなあ。お前たちにそう言われると・・・今、五中がね。学力が低くてね。俺は塾病だと思うんだけど、あまり分かって貰えないんだよ。お前たちだって塾行ってなかったじゃん。でも授業は集中していたし、よく遊んだし。』秀行「そう、タカヤン理科の授業すぐ潰して、サッカーやったりバスケットやったり・・・」俺『でも、いつも県の平均を遥かに上回っていたじゃん。』大「塾とか予備校って必要ないですよ。生活のリズムが一番大切。タカヤンの言ってることは正しかった。」俺『そうだよなあ。お前たちだって、そんなに出来た訳じゃないものなあ~。400点ぐらいだったもんねえ。2年のはじめは。』秀行「よく覚えてますねえ~」笑い。

*この時の会話はよく覚えています。秀行に『なんで宇宙物理なの?』って聞いたら「タカヤンの理科の授業ですよ。」って言われたのです。秀行は今、東大大学院の教授。重力波とかいうとんでもない研究をしているらしいのですが・・・そのきっかけが僕の授業だったとは・・・それにしても、みんなで「塾」を否定していたんですねえ。その張本人が「塾」をやっているのですから・・・人生はなにが起こるか分かりません。今から39年前、五中が埼玉県でトップだった頃のお話です。まあ道徳なら分かるけど・・・理科の授業でも「サッカー」やるって・・・なんて教師だったんだろう・・・俺は(笑)