サッカー
火曜日の5時間目は道徳。久しぶりに遊んだ。男女混合のサッカーをやったのだ。エイトと俺が“とりとりジャン”をやり、クラスを2つに分けて戦った。女子もやった。はじめのうちこそおっかなびっくりだったが、後の方になって慣れてくると、みんな自分の方からボールに向かって行くようになった。
『どうした真奈美。走れ!行け!行けーっ!ドラフト2位だぞ。いつものお前とは違うんだあ~。』真奈美、足をもつらせながらボールを追いかける・・・女子で目立ったのが満寿子、真由美、麗子のテニス部トリオと純子。麗子などはシュートまで決めていた。(女子は2点)ファイトがあったのは純子。俺に何回もぶつかって来て、俺の足を蹴飛ばし、俺がすっころんでしまったほどだった。結果は俺のチームの勝ち。ちょっと差がついたけど、なかなか白熱したナイスゲームだった。
 クラス全員で遊ぶとなかなか面白い。チームを決める時から試合が終わった後まで見ていると、子ども達のいろんな性格が見えてくる。自分勝手な子、思いやりのない子、優しい子、ファイトの無い子、下手な奴を上手く励ましながら頑張る子、他人に文句ばかり言う子。。。。そして、繰り返し遊んでいるうちに分かってくる。自分勝手じゃ面白くなくなること。ファイトが無いと詰まらないこと。下手な子だって、段々上手になってくること。他人に文句ばかり言うと、いつかは自分も言われること。。。そして、いつもやりたいことだけやっていた子が人にパスを送り、攻めにも守りにも神経を使えるようになり、弱い子に「頑張れ!」と言い、下手な子に「ドンマイ!」と言えるようになってくる。そういうことって、なかなか教室じゃ教えられない。一緒に汗をかき、ぶつかり合う中で少しずつ教えられるような気がする。20年以上も昔「あいつは遊びの天才だ」と言われた少年は道徳の授業でまたサッカーをやってしまった。どうも俺にはあの道徳の教科書を開く勇気がないらしい・・・・。また誰かに怒られる。「また遊んでら。しょうがねえなぁ~」

いじめ
朝刊んを読み、深くため息をつく・・・(とうとうここまで来たのか)。中二の女の子が自殺した。虐められて死んだ。これは特別な例ではないと俺は思う。五中にだって「ばい菌」「汚い」と苛められている奴はいるし、シカトされている子だっている。物を盗られる子もいるし、落書される子もいる。裏を返せば、そういう最低なことをするやつがいるというだ。ただ、最低なヤツは自分で気がつかないことが多い。相手が死ぬほど悩んでいるということが分からない。最低だから、しょうがないって言えばしょうがないけど・・・人間を外見で見るからこういうことが起こるのだ。人とちょっと違っていると「あいつは生意気だ」「愚図だ」「バカだ」「汚い」と言う。世の中はいろんな肌の色をした人間が、いろんな言葉をつかい、いろんな服を着て、いろんな仕事をもって生きているということに、立派に生きているということに気づかないバカが多すぎるのかも知れないな。こういう最低な子どもを育ててしまった責任は、きっと最低な大人にあるのだろう。最低な親に、最低な教師に・・・俺は絶対に最低な教師にだけはなりたくない!!    ともや

*道徳の時間にサッカーをやりながら「道徳」を教えていたのかね・・・この担任は。(笑)多分、サッカーをやるだけじゃあだめで・・・この学級通信を書くことで、「道徳の授業」になったのだろうなあ・・・きっと。しかもこの道徳の授業、何度もやることで・・・伝わる授業だったんじゃないかな。1組の子ども達はどう感じていたんだろう・・・聞いてみたいところだ。いじめの本質は今も昔も同じだと思う。虐められる子が悪いんじゃない。虐める方に問題があるのだ。そういう育て方をした大人が悪いのである。