3年ぶりのアメブロ復活![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
ようやっとブログを書こうっという気分になった。
(というか書ける時間ができた)
仕事が年々増加。
それなりにヤル気もあるが,何せ,気分転換が得意でないのが,成長阻害要因でもあった![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
とはいえ,多忙な日々が続き,両親の健康の悩みやらなにやらと自分以外の心配がでてくると
これは少しどんよりも,する。
未来を想像できないこと,夢見る力を失うこと,こそが生きる希望を失うことと思う。
生きることは“活きる”ことであると考えるが,身の回りをみると“息ん”でいる人が多いような気もする。
さてさて,気分ドンゾコなときには,やはり書店へ行くに限る。
本屋を冷やかしているとその時の気分の食指に触れる本に出会うことができる。
いつも変節や転機には書物の出会いがあった。
学ぶものとして,そしてそれを伝授してゆくものとして,知的スキルを向上させることは不可欠だ![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
仕事を多く抱え,こなさなければならない仕事が増えた最近,私の食指に触れた本は次の2冊である。
〔1/23~2/3〕
① 斉藤孝『地アタマを鍛える知的勉強法』 講談社現代新書,2009年.(720円+税)
② 園善博『頭がよくなる魔法の速習法』 中経出版,2009年.(1300円+税)
①は精神面と具体面からによる勉強法。学生向けの勉強本ではなく人間として学びつづけるための必要性を教えてくれる一冊。
②は学習障害であった筆者が認知心理学をもとに速習法を述べており,いわゆるハウツー本。だが,単に目を早 く動かしましょう,,,とかそういう類のものとは異なり一読の価値はあるかも。
①は,あらゆる角度からの「勉強法」を述べており,目からうろこと合点合点と納得うなずきづくめの一冊だった。特に共鳴したのは,「知・情・意・体」を整える勉強法。
感情≠論理であると考えるが,筆者は感情=論理,という。とかく勉強,研究などは知と情は別々と考えられ,知の世界に情を持ち込むことを是としない。
が齋藤氏曰くかつての日本は,体を整えることを抜きにした知性にはむしろ違和感があり,体を使った勉強法をすることによって,意識の深いところに知識がすっかりと染み込まれてゆき,漢文の素読などはその典型だという。
「知・情・意・体」 たくさんの人に接していると,姿勢を正して規則正しく生活をしている人はやはりそれなりの成果を生み出している人が多い気がする。姿勢を正していないと,健康状態があまり芳しくないと,やはり気分がすぐれなくなり,やがてその気分は思考に影響を及ぼすようになる。
確かに。自身を考えてみても,また大方の人をみていても,体調が悪いときカラダが思い通りにならないときには,何かとネガティブな発想をする傾向があり,また言葉にもそれがでる。
気分をフラットに持ち続けるためにも,健康であることは不可欠であるし,何よりの財産でもある。
ニヒルとアンニュイがカッコイイと思い,それこそが知性,と思っていた過去。そういう人に傾倒し,そういう人をレスペクトしていた時期もある。ただ,お付合いをしていくなかでそうした人はきまって,姿勢がどこか乱れており,偏屈なところがあった。それを個性といえばそれまでだが。
「知・情・意・体」
それを意識して,仕事に打ち込んでみよう,と思う。
同じことの繰り返しでは成長しないから,過去を捨てられないとか,自らの経験のみをすべてとしそれがすべての学びとしてそこに囚われて,一元的なものの見方しかできないような人間にはなりたく,ない。
「年を重ねる=成長する」であるように,いつまでも柔軟な思考のできる人間でありたい。
柔軟なカラダの人は思考も柔軟とある人が言っていた。
いつまでもそうありたし。
明日も朝は30回腕立てではじめることにしよう。