日本には“察する文化”というすばらしい文化があると思っています。
日本人の“察する”能力たるや、天才的!
文化と言語は密接に関わっており、この察する文化の日本語は結論をも省略して成り立つという、スサマジー言語だと思います。
少し前の話ですが、日本へ帰る際の飛行機の中で、アイスクリームバーのおやつが出たことがありました。夕食タイムも終って、機内も暗くなってしばらく発っていましたが、起きていた私は、イエイ!と思って喜んで1本いただきました。
すると、斜め前の席で寝ていた日本人女性がおもむろに目を覚まし、周りがなにやらアイスクリームを食べているのを発見し、CAさんを呼びとめ、こう言いました。
Excuse me, I don't have icecream.
日本語で考えるところの、「すみません、アイスクリームをいただいていません」であろうと思います。
すると、CAさんはマンガみたいに人差し指をあごに添えて思考をめぐらし、
So, you want an icecream?
「だから、アイスクリームが欲しいの?」
と、確認を取りました。
この一件、文化が炸裂しあっていて、心が痛いです。アメリカ人のCAさんは、はぁ?ってなってたと思いますが、日本人の方はムッ!としたかもしれません。
まず、日本語の頭で考えたら、アイスクリームをいただいていませんと言う人に、だからアイスクリームが欲しいのか、と問うのは非情な感じがします。
そこは察してよ~当然そうだろうよ。逆に、失礼いたしましたとでも言って、さっさと持ってこんか~い!
となります。
英語の頭で考えたら・・・
なんで、結論を言わんねん?何をして欲しいのかをお言いなはれ。理由や状況はどーでもええねん。
という了見です。よってここは、
Excuse me, can I have an icecream?
すみません、アイスクリームいただけますか?
が英語としては正解な言い方です。そのあとで、「寝ていて貰ってませんのよ、オホホ」とかも一切要りません。2本目を要求してるんちゃうやろな、とも思われません。
(なぜなら、2本目は Can I have another icecream? なので。たかが冠詞一つで、決定的に違う意味になる英語の話にはこんなのも: 冠詞の a と複数形の s )
作文を書くときは、今でも「起・承・転・結」を学習するのでしょうか。アメリカの大学院で論文を書くとき、「結・根拠・再度結」と結で始め、結で終る論文の書き方を学びました。その後数十年。はっきりしたい英語は結論から始め、察する日本語は結論を省略するワタクシです。
あの~もしよかったら、こんな飛行機ストーリーもあるのですが、・・・・・・。
英訳→Check it out, yo!