ハインケルHe116輸送機は,ルフトハンザがユーラシア線と南米線用に開発した長距離輸送機
テーマ:民間旅客機 ハインケルHe116輸送機は,アフガニスタンのパミール高原越えを計画したルフトハンザ航空の要求に対応して設計がはじまった.ヨーロッパとアジアを結ぶ長距離飛行ルートを実現するには,燃料の搭載負荷が大きい状態で離陸し,さらに海抜7600mの山を飛び越えられる高度飛行能力が必要とされた.
ハインケル70の双発化を基本にHe116輸送機の開発が進められたが,長距離飛行用燃料の負荷に耐えて8000mの高度まで上昇するために当時入手可能なエンジン(出力250馬力)を4基装備することになった(ターボ過給器エンジンを新たに開発する計画だった).
機体はジュラルミンのセミ・モノコック構造で新しく設計された.洋上に不時着してもしばらく浮いていられるように水密構造とした.He116の試作1号機は1937年早々に完成した.この時点でもエンジンは未完成だったが,サイズの合う低出力のHM508C(270馬力)を装備した.
1938年にルフトハンザに納入した2号機と4号機は南米の航空郵便ルートに投入された.
日本に販売した5号機と6号機はパミール高原越えが不可能な長距離海上飛行タイプだったが1938年4月に,1万5251kmを6日間で空輸してきた(実飛行時間は54時間17分).
なおHe116の3号機は長距離記録飛行用に改造され,まず翼を25mに伸ばして翼面積を75.8m2とし,胴体の燃料タンクを大きくした.
この記録飛行では高度性能を改善する必要はなく,燃料効率の良いHM508H(240馬力)エンジンに換装した.
さらに燃料負荷が増加してエンジン出力が低下したために離陸補助ロケットを4基装備した.
これで1938年6月30日に無給油,無着陸の長距離飛行に挑戦し9942kmを平均速度214km/hで飛行した.
1938(昭和13)年ころ国際航空株式会社(満州航空特別航空部から資本金500万円で1937年5月に分離独立)は, 新京~ベルリン間の定期航空路線[東京~新京(長春)~安西~カブール(パミール高原ワカン峡谷の峠は海抜5600m)~バクダット~ロドス~ベルリン]を開設するために活動していた.
国際航空は日本航空輸送と統合されて1938年12月に大日本航空株式会社となり,国際航空時代の企画は大日本航空欧亜部に引き継がれた.
その使用機材としてドイツのハインケル航空機社(ロストック市)から4発低翼単葉の輸送機(ヒルトHM508B型空冷式倒立V型8気筒240馬力×4基)2機を購入し,8人の搭乗員が技術習得と空輸のため渡独した.
この2機は4月23日~29日にベルリン(テンペルホフ飛行場)~東京(羽田空港)間を途中6か所を経由して,全航程1万5340kmを143時間43分(実飛行時間54時間17分)で飛行した.
民間輸送機として大日本航空に所属し,乃木号(J-BAKD),東郷号(J-EAKF)と命名され,主に日本と中国東北部間の郵便貨物輸送に使用され,東京~新京(長春)間を6時間無着陸の定期航空路線に1939年1月1日より就航した.
さらに1939年に乃木号に中尾機長以下4人が搭乗して日本タイ親善飛行を1月25日~2月5日に実施した.
その帰路にバンコク~立川間4880kmを途中で台北を経由して18時間36分,実飛行時間17時間50分で飛行した.
1940年になると福生の陸軍航空技術研究所の所属となり,陸軍航空学校で航法訓練機として使用された.