■雨の中の作業
活動3日目の21日(月)、冷たい雨が降る朝を迎えました。
前日夜、病院にお電話し、翌日必要な物を伺ったところ、病棟は物資が足りてきたとのことで、外来患者さま(つまり、自宅で生活している方々)へ配布するために、ペットボトルの水・お茶が欲しいということでした。
いわき市では、電気・ガスは復旧しているものの、水は依然として断水中です。さらには、ガソリン不足のため、給水車も思うように動け回れないという問題も生じてきていました。
とにかく、この物資不足の根本的な原因はガソリンがないことにある!!!!!
ガソリン運びたい…。
という気持ちを押さえつつ、本日の物資は、
1.水、お茶のペットボトル
2.おかずになる食糧(さばの味噌煮のような缶詰、レトルト食品など)
3.紙おむつ(大人用、子供用の両方)
4.ウエットティッシュ
5.おしりふき
6.生理用品
としました。
さらに、2日目に一部送れなかった物(古着など)が出てしまったので、事前に、不要な物もアナウンスしました。
生鮮食品はクール便ではないので送付不可。また、毛布は、送付先の病院が海沿いではなく津波被害がないので普通にあることは、土地勘から分かりました。
13:00に集積所にしている営業所へ向かうと、前日まで作業場にしていた軒下が雨で濡れていて、使えそうにありませんでした。
どうしようかな・・・と悩んでいると、私が何も頼んでいないのに、営業所のドライバーさんたちのご厚意で、その日使わない10トントラックの荷台を、作業場として開放してくださいました。
毎日営業所にお邪魔して、ご迷惑ではないかな・・・と少し心配でもあったので、とてもとても嬉しかった。
さらには休憩用のおやつまでいただいてしまいました。
3日目は連休最終日でしたし天候も悪かったので、あらかじめ病院に「量は少ないと思います」と伝えてしまっていたのですが、3日目も多くの方にご支援いただき、最終的には段ボール50箱も集まりました。
最後に、作業場の10トントラックから、実際に運ぶ4トントラックへ積み込みを行い、いわき市へ届けられました。
ドライバーさんは3日間とも同じ方だったのですが、毎日30分ずつお届け時間が早くなっていきました。素晴らしい!
毎日、届けた後すぐに「届けましたー!」と丁寧にお電話をいただき、安心することができました。
3日間で合計して100名を超える方に横浜へおいでいただきました。ご寄付いただいた方の人数はそれを更に上回ります。
そして、合計約150個の段ボール箱に詰め込まれた物資は、いわき泌尿器科病院をハブにして系列の医療法人施設へ配布され、患者さま、高齢者福祉施設の入居者さま、職員の皆様の手に渡り、今頃ご活用いただいていることと思います。
■そして未来へ
活動は、3日間で終了しました。行政の物資支援が行き渡るまでの、明日の命を繋ぐ「応急手当」としての役割は、果たせたのかな、と思っています。
皆様の、温かいお心。利他的な精神。本当にありがたかったです。
一方で、個人活動の限界を感じたのも事実です。影響を与えられる人が少なすぎます。
今回は何人に物資をお渡しできたのかな?分かりませんが、いわき市は35万人もの人が住んでいます。
これからは、中長期的な活動に軸足を移したいと思います。
facebookで既に在京いわき市出身者の有志が集まり、議論しよう、という動きがあるので、そこに参加させていただきながら、やれることを見つけていくつもりです。
(既に、他のメンバーが、全く情報交換がなされていない避難所同士の連携を高めるべく、ローラー作戦で避難所の様子を聞き、一覧にしてweb上にアップロードしています。これ、役立つはず。病院もそうですが、避難所も、職員の方がてんてこ舞いすぎて、情報連携してる暇がない)
中学生の頃から東京に憧れ、高校卒業後すぐに上京。正直なところ、地元に興味すら持っていませんでした。
ただ、その自分の無関心さに罪悪感を抱いてもいました。
この複雑な気持ちを、震災が解決してくれました。離れていても、できることがあることが分かりました。
今回の活動、アポなしで突撃アタックではなく、結局、全て人のご縁で実現したものです。
発案は、韓国に住む高校の同級生から。
トラックは、前職の同期から。
送付先は、新聞記者をしている高校の同級生と、医師をしている中学の同級生の情報から。
物資ご支援は、会社の皆様、大学院生の皆様、お友達、友達の友達、友達の友達の友達…から。
孤独死が社会問題になったりもしているけど、まだまだ日本、捨てたものじゃないな。
この国が、東北が、そしていわき市が好きなんだということに気づかされました。
こうして、人生で5本の指に入るくらい、充実した3日間は、幕をおろしました。





