(白浜  三段壁)    

3月19日

(はじめに)

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、死者・行方不明者は2万人に及びました。

この3月11日は、8年目の日に当たり、テレビ等でも現地のニュースが取り上げられていました。その中に、一人の医師が被災者の有志と読書会を開いている様子が紹介されていました。読書会の教材は、「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著)でした。

 

この本がいかにして東北の被災地の人々を勇気づけるのかと興味を持ち、読んでみました。

著者のヴィクトール・E・フランクル医師は、ユダヤ人であるため、第2次世界大戦の折、ドイツのナチスによって強制収容所に入れられましたが、幸いにも生き延びた人です。

 

ナチスが、ユダヤ人を強制収容所に集め、600万人をガス室などで虐殺したことはよく知られています。

著者のフランクルは、ナチスを糾弾するのは勿論ですが、同胞であるユダヤ人が、強制収容所の中で追い詰められ、人間性を喪失し、単なる動物のように堕していく様子を体験記として書いています。

少し、同書から引用してみます。

 

引用(A)

「カポー(強制収容所でユダヤ人を取り締まるユダヤ人のこと)は、性悪なユダヤ人から選ばれた。この任務に堪えられるのは、もっとも残酷な人間(ユダヤ人)だけだった」

(私の感想)

ナチスは、一番嫌な事を、ユダヤ人自身にやらせた。生か死かと追い詰められた状況下で、ナチスの手下(カポー)になり、ユダヤ人に遠慮無く暴行を働くユダヤ人がいた。

人間の弱さ、醜さの一例であり、ユダヤ人に限らず、歴史上で、あるいは現代においても見られる現象である。

 

引用(B)

「収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされて多くの収容所で過ごしてきた被収容者は、概ね生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命を繋ぐことができた。私たちは、ためらわずに言うことが出来る。いい人は、収容所から生きて帰ってこなかった、と」

(私の感想)

ユダヤ人は、土木作業のできる者は生かされ、それに役立たぬ者はすぐに強制収容所からガス室へと送られた。なんとか命を繋ぐことが出来た者も、我が身を守ることに必死になり、道徳心や他人を思いやる気持ちは消失していった。

このような過酷な環境において、人間の堕落する様として理解はできる。(但し、肯定はできない。)

 

引用(C)

「収容所にあっても完全な精神的な自由を表明し、苦悩があるなかで可能な価値を実行したのは、ほんのわずかな人だけだった。けれども、それがたった一人だったとしても、人間の内面は外的な運命より強靱なのだということを十分に証明している。

これはなにも強制収容所に限らない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかを成し遂げるかどうか、という決断を迫られるのだ」

(私の感想)

読書会で、この本を持ちだした医師は、こういう段落を伝えたいのであろう。

強制収容所という虐殺と隣合わせの場所においても、少数の人は魂の気高さを保ち、他人に自分の貴重なパンを与えるなど高い人間性を示した。

一般社会において、震災の被災者のように、過酷な運命の下にあっても、人間は何かを成し遂げることができる。これは、容易なことではないが、不可能なことでもないと思う。

 

引用(D)

「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。私たちは、その問いに答えを迫られている。ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとは、つまり、生きることの問いに答える義務、生きることがもたらす課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務、それらを引き受けることである。」

(私の感想)

生きるとは、自分で生きる意義を見つけて実現することである。その中には、家庭や職場、地域等での義務を果たすことが含まれている。

生きるとは、受け身のものではなく、自分が積極的に中身を作ることである。その営みの連続が、人生なのだと思う。

 

(私にとっての意味)

私自身にとっては、やはり「末期がんで、余命1年」ということと重なってきます。

悲観的な予想はしたくないですが、抗がん剤投与が今月末で終了すれば、がんの転移がさらに進むと思います。それは、体調の低下、痛みや痺れの増加となるでしょう。

 

その中で、弱音や愚痴をこぼさず、「前を向いて生きる」ことが求められていると思います。これは、「強制収容所」にいるのと同じで、「言うは易く、行うは難し」です。

 

しかしながら、「今日在ることに感謝する」「今日を、旺盛な生命力で、楽しむ」道を、ささやかでも、探りながら生き抜く所存です。