(比叡山 文殊楼)

2月22日

(はじめに)

酒井雄哉(さかいゆうさい:1926~2013)さんは、比叡山の千日回峰行を2回達成した僧(大阿闍梨)としてよく知られています。

酒井さんの生き方、考え方に興味があり、「一日一生」(朝日新書)を読んでみました。

以下は、その中からの抜粋です。(なお、この本は、酒井さんにインタビューしたものを文字化してあります。)

 

(抜粋と感想・補足)

(酒井)<僧になるまで>

ぼくの人生は、うまくいかないことの連続だったんだよ。小学校や中学校は中途半端、兵隊に行けば落ちこぼれてうろうろしている間に終戦。

戦後、アルバイトをすれば挫折する。ソバ屋もだめ、いろんな仕事をするんだけれどうまくいかない。

33歳で結婚したんだけど、嫁さんが結婚2か月で死んじゃったんだ。

(私の感想・補足)

酒井住職(大阿闍梨)は、自分のことを飾らずに話しています。大阪で生まれましたが、5歳の時、父親の事業が失敗し、東京へ転居します。

戦争中は、特攻隊基地である鹿屋で働きました。仲間の若者が特攻隊員として空に飛び立つのを見送っています。

 

(酒井)<比叡山との出会い>

30代半ばになってから、大阪で仕事をしながら、折に触れて比叡山を訪ねるようになった。

あるとき、たくさんの信者さんが集まっていたので「どうしたんですか」と尋ねると、ある偉い行者が、千日回峰行の中でも最も厳しい行である「堂入り」を終え、籠もっていたお堂から出堂するところだという。堂入りは、9日間不眠不臥、断食断水に耐える非常に厳しい行だと教えてくれた。

世の中には、ただひたすらに行に打ち込む人生がある。翻って自分はどうだ。ただふらふら生きているだけじゃないか。

 

家出同然で飛び出して、比叡山で1か月ほど住み込ませてもらったのは38歳のときだったかな。一生懸命小僧さんのまねをして朝起きて掃除や洗濯をしたり、一日3回の真言を唱える行をさせてもらったりした。

(私の感想・補足)

千日回峰行の中でももっとも厳しい「堂入り」を目撃し、酒井さんの人生は変わりました。

酒井さんは、「圧倒的な何か、思わずひれ伏してしまうような出来事との出会いだった。そういう瞬間が、必ずあるもんだな」と語っています。

酒井大阿闍梨と同じような衝撃をうける体験が誰にでもあるとは言えませんが、あとで振り返ると、あのこと(人)が自分の人生に大きな影響を与えたな、と思うことはあるのではないでしょうか。

 

(酒井)<千日回峰行と一日一生>

行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出て行く。登りが10キロ、わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。一日山を歩き通して帰ってくると、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。

一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。

 

今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。一日が一生だな。

(私の感想・補足)

千日回峰行では、7年間をかけて1000日の修行をします。一日に山の中を40キロ歩きますので、延べ4万キロ。地球を1周する長さです。酒井大阿闍梨の場合は、2度、千日回峰行を行っていますので、8万キロということになります。

千日回峰行をするなかで、草鞋と自分の一日が同じだと気づき、「一日一生」という心得で毎日を生きることを諭しています。今の私にとっては、全く同感の教えです。

 

(酒井)<生と死>

自分の地金は自分が一番よう分かっているでしょう。大事なのは、人からすごいと言われることじゃない。人間は金持ちでも貧乏でも、頭が良くてもできが悪くても、誰でもいつかは死ぬ。死んだら終わり。誰でも同じなんだ。

大事なのは、今の自分の姿を自然にありのまま捉えて、命の続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな。

(私の感想・補足)

謙虚な心で生きること、「死」に関してはみんな同じであること。これらは単純なことですが、深みのあることばです。

それゆえにこそ、自分の心に沿って、自分の人生をしっかり歩みなさいと諭してくれています。

 

(酒井)<今を生きる>

私は、82歳になる。しかし、それは地球の歴史に比べたらほんのはかないもの。大事なのは「いま」。そして「これから」なんだ。いつだって、「いま」何をしてるのか、「これから」何をするのかが大切なんだよ。

 

朝起きて、空気を吸って、今日も目が覚めたなあってなったときにね、さあ何するかなって思って、起き上がらなくちゃ。それが、今を生きるっていうこととちがうかな。

 

大きな存在からみれば、10年も80年もそれほど違いはないよ。

誰にとっても、人生はほんのわずかな時間なんだよ。一生懸命、今を大切にして、今をがんばらないといけないと思うよ。

(私の感想・補足)

地球の歴史や宇宙の歴史からみれば、10年であれ80年であれ、ほんの一瞬に過ぎません。

それゆえにこそ、誰もが、その一瞬の人生を、「今」を大切にして生きて欲しいという、大阿闍梨の教えです。

「今」あるいは「今日」という単位で生きることは、現在の私にとっては、正にその通りとして納得するところです。