東日本大震災救援物資募集のお願い

日時:

4月9日(土)10日(日)

16日(土)17日(日)    23日(土)24日(日)

4月いっぱい毎週土日に下記場所にて募集致します平日も可その場合はご連絡08051224302西川まで


場所:高松市太田上町353-2

塩江街道沿いサミット左つきあたりの倉庫にて


いまなお物資が届かず一日おにぎり一個野菜やおかずもなく落ちていく体力電気がなくロウソクでの生活高熱が出て下がらない乳幼児下水が止まり悪化する疫病一月近く着替えられず泥をかきだす作業に追われている地域があります

ちいさな子供を抱えているお母さんが殆どの母の会では物資提供を急速に考えています

高松市トラックで迅速に物資を被災地に届けます個人、企業問わず大量に募集いたします

心ある皆様のご協力をお願いいたします

           

          高松母の会 西川



 

救援物資一覧


食料品

1.米 

2.レトルト食品(パウチ)

3.インスタント食品(ラーメン・スープ・みそ汁等)

4.乾麺

5.かんづめ(缶切り不要)

6.調味料

7.離乳食

8.粉ミルク(哺乳瓶も)

 飲料(常温可能のもの)

9.野菜ジュース

10.果物ジュース

11.水


衛生用品(全て新品未使用)

12.アルコール消毒スプレー

13.除菌ジェル

14.除菌ハンドソープ(ミューズなど殺菌力があるもの)

15.消臭剤

16.ペーパータオル

17.うがい薬

18.哺乳瓶消毒液消毒用品

19.歯ブラシ・歯磨き粉・マウスウォッシュ

20.サランラップ

21.義歯洗浄剤・容器

22.コンタクトレンズ洗浄剤・容器

23.トイレ除菌洗剤(ドメストなど強力なもの)

24.トイレブラシ

25.石鹸・ボディソープ・シャンプー

26.水を使わないシャンプー

27.生理用品

28.おりものシート(下着の替えがないとき代用)

29.洗剤(除菌系)

30.ひげそり

31.洗面器

32.耳栓・アイマスク(集団生活や心労で眠れない方が大勢いる)




衣服(全て新品未使用)

33.女性用下着

34.子供用下着

35.幼児子供服

36.ベビー服ベビー肌着

37.靴下


泥をかき出すとき使うもの(目標二万枚)

38.土のう袋

39.ゴムつき軍手

40.レインコート上下

41.作業服(撥水加工)

42.長靴作業靴

43.ほうきちりとりレーキモップ等清掃用品

44.アイガードサングラス(泥砂ほこりから目を守るもの)・目薬


その他

45.調理用具(大き目のナベお玉すりおろし器など)

46.使い捨て食器・紙コップ・割り箸

47.サランラップ

48.筆記用具

49.学用品

50.たらい

51.洗濯機

52.加湿器


医薬品等(市販薬新品未使用消費期限過ぎていないもの)

53.ビタミンサプリ・滋養強壮剤・肝油ドロップ

54.マキロン等消毒薬・傷薬・バンドエイド・目薬・等外用薬全般

55.風邪薬・痛み止め・バファリン等鎮痛剤・下痢止め・小児用シロップ

・等内服薬全般

56.アイスノン・氷のう

57.懐中電灯・電池・携帯充電器

58.ラジオ



以下が私母の会西川がここまでに至った経緯です

私のことを少しお話しします
地震があった当日子どもと家でホットケーキを焼いていました
そしてそこにこちら高松に住む親友から一本の電話が入り

「えっちゃん(わたしのことです)東京が大変なことになってるよテレビつけてすぐ」

と言われ胸騒ぎがしました
そしてリアルタイムであの津波を見て一瞬ああ日本は終わったと直感ですが感じました
ただただすさまじい映画で見るような光景にこれは現実ではなくCGかなにかなのだからと自分に言い聞かせ現実逃避をはかりました
と同時に身体中が震えまず身の危険を感じ子どもにジャンパーを着せ着替えや水など身支度を始めました
日本全部が地震に見舞われ沈むと思ったのです

そして母が福島県いわき市にいるのでテレビで東北太平洋沖地震ときいてすぐ電話をかけました
母とはすぐにつながり腰が抜けましたが母にすぐ家を出るよう指示しそれから30分後にまたかけると約束しましたがずっとかからず
当然東京にいる妹たちとも電話が繋がらずそこからは災害対策本部や防衛省総務省至るところにところ構わず電話をかけました

「母がいわき市平にいます電話が繋がらないので救助をお願いします」
防衛省は電話が繋がりしかるべきところに連絡しますとの回答がいただけました
それからパソコンで被災地を調べ(Google被災地一覧)災害対策本部一覧を調べ(読売オンライン災害対策本部一覧)至るところに連絡をしました

そこから3日後母と連絡がつきいわき市平は断水になり町中がパニックとききその旨もすぐいわき市災害対策本部に連絡し翌日給水ポンプ車がきたと母から連絡がありました
災害時の行政の仕組みを知りしかるべきところに連絡をすれば被災地の方は助かる

それを身を持って知ったわたしはそれからツイッターでヘルプの情報を拾い自分で災害対策本部に電話をするを繰り返しました

地震があってから1週間はほとんど寝ずにその作業を繰り返しましたが拾いきれない

その切迫感たるやシンドラーのリストのようでしたそこで思いついたのが災害対策本部の連絡先をツイッターでツイートし被災者その場所を知る家族友人等各個人に情報提供することでした

そして今安全な西日本ができる最優先のことは昨日が低下しつつある東日本にとにかく物資を送ることだと気付き

地震から1週間経った18日の夜母の会を友人と立ち上げ自分の携帯に入っている全ての友人にメール転送し
同時に自分の昔からの仲間のNPO団体(てんつくまん)のメルマガで掲載をお願いし
救援物資は被災地に直接電話し欲しいものを問い合わせ
またネットで救援物資内容を独自にしらべ品目をあげてメールを発信しました

そして3月19日20日とルートも確立しないまま見切り発車で物資を集めて8トン分もの救援物資を
市のトラックにねじこみました物資を集めました
当初は旦那の会社トラックで輸送予定でしたが行政の方が早いと踏んで無理やりこぎつけた形になりました

県会議員だろうが官公庁のお偉いさんであろうが構わず意見し食ってかかりました
なぜならこの救援物資の行く先は命だからです
命より尊いものはないはずだしこの際行政ルールなんて言ってってられないのは明確でした
面識もなく初めてわたしを知る方にこれを言うのは恐縮なのですが
わたしは覚悟が決まっていたからできたと思います

偉そうで本当に申し訳ないのですが

母の住んでいるいわき市で原発が叫ばれ続け母とわたしは最後の会話も交わしました
死ぬなら精一杯の死に様を見せようと水がなく食料も届かずそのうち人は奪い合い争うようになるだろうけど自分たちだけはそんなご先祖に恥ずかしいことだけはすまいと誓い合いました

母の母私の祖母方の先祖は豊臣班の武家の出で母の父や祖父私の祖父や曾祖父はいわき市江名のマグロ漁業の漁師の網元で小名浜や四倉の親戚は全て多分もう海に還ったと想像しています

母の父方の家は港から歩いて五分くらいのところでしたし小名浜や四倉は幼い頃わたしも毎年泳ぎに行っていましたから
武士は食わねど高楊枝そしてわたしは東京生まれの江戸っ子です
わたしの生まれ故郷である東京が原発の影響で機能がストップしオイルショックのような状態だと妹はぼやきその原発がある地域に母が取り残されている
善意や道徳を飛び越えて死を覚悟した帰る故郷をなくしかけたわたしにこわいものはなかったです

自分の生きざま死にざまを真剣に考えました
そしてどうせ死ぬなら人と奪い合い争うのではなく人の役に立ちたいと
何より東京で散りたいと考えました
東京は私の元風景で東京湾含む太平洋はわたしの大好きな海なんです
ですからツイッターやメール様々なところに私の携帯番号やメールアドレスを公表するのも
今の今身元がわからず亡くなる方々死亡届けすら出せずにいる方を思えば本当に個人情報保護法なんて全く意味なくばからしいと思いますし気にならなかったです

3月28日香川県知事にこのことで知り合いになった市議会議員の森川先生という方にご指導いただき嘆願書を作成して(ほとんど森川先生が書いた)知事に直談判して来ます

高松市は救援物資に対しての対策が遅れているので被災地の職員の方との温度差を感じずにはいられませんでした
このままではいけないとおもうのでわたしは行政に働きかけ被災地に迅速に大量の物資を送るように動きます

母の会は自宅の近く(高松市太田)に地元の社長さんのご好意で無償で4月末まで倉庫も確保しておりますが
輸送ルートが確立しないと物資が配送できない状態です
香川県トラック協会によると県の緑ナンバー業務用のトラックに政府の許可が出れば大量に物資が送れるのですが
香川県はその許可を下ろしていないのです
東京は石原都知事が早々に許可を下ろしましたなので東京の営業トラックはピストンで被災地に物資を運んでいます
これはかんたんに言うと香川県で物資を送りたい人は自腹で行けということです
これではいずれ物資の供給は止まってしまうそして企業も圧迫します
政府や各自治体県市庁の対応が遅いのはわたしも今回の一連の救援物資活動のなかでわかりましたがそれを怒りながら放っておくのもまた同罪です
そしてその行政の指示下で命をかけて人命救助にあたる自衛隊の方々に恩返しする為にも今動ける人は論じるよりはやく動かなければいけないと思います


私の好きな言葉にジャンコクトーの

美よりもはやく走れ

という言葉があります

私に繋がる全ての人が論より美より早く走れる人でありますよう願っております

長々と駄文におつきあいいただきありがとうございました


西川えつこ

2011.3.28