ニッポンには、70年ほど前、こんなに立派な精神の先人が居られました。
この国の現状をみて、子孫達をみて、先人たちは何を思われるだろう。。
先人達の様に、志の高い生き方をしたいものだ。
『謹啓、初春の候とあいなり、その後ご両親様にはお変わりなくお暮らしのことと思います。 お父さん、お母さん喜んでください
祖国日本、攻防の時、しげるも待望の待命をはいしました。心身共に健康で任務につく日を楽しみに、日本男児と大橋家、父と母の子供に生まれたことを夢に描いて、後に続く生き残った青年が戦争のない、平和で、豊かな、世界から尊敬される立派な文化国家を再建してくれることを信じて、しげるは、たくましく死んでいきます。
男に生まれた以上は、立派な死に場所をへて大空の見立てとなり、好きな飛行機を我が墓標と散る覚悟でございます。親より先に死んで、親孝行できないこと、お許し下さい。お父さん、お母さん長生きしてください。お世話になった皆様に宜しくお伝え下さい。
この便りが最後になります。 昭和20年3月24日 特攻基地より しげる。
『 父上様、母上様、身はたとえ南の空で、はつるとも とどめおかまじ 神州への道 待命を果たして 18歳 しげる』