セーブル | 脱社畜 今は楽しく人生を送る男

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香川県高松市在住の五十路男がお届けする纏まりの無いブログ。
近頃は、再びバイクに目覚め 一番したいことはツーリングキャンプ。
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西洋の磁器と言えば、ドイツの「マイセン」、デンマークの「ロイヤルコペンハーゲン」、イギリスの「ウェッジウッド」等有名どころはありますが、プジョーの生まれたフランスにも「幻」とも言われる?名磁器がございます。その名を「セーブル」!! 正直、わたくしもソレに出会うまではその存在を知りませんでした。

セーブル」に出くわしたのは、前職時代、308のカタログを四国中央市のお客様の所にお届けにあがった時の事でした。 「白獅子くん、時間があるならお茶でもどう?」と、連れて行って頂いた素敵な喫茶店併設のギャラリーででした。 



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以前から、食器とかには興味があったので、入った時から「うわ、マイセンや~、バカラや~、リヤドロ」と、ややテンションも上がりウロウロとしてしまいました。 マイセンに「ドラゴン」と言うのがございまして、洋食器でありながら中国のテイストがあってなかなかカッコイイんです。 これも、4色揃っててお見事でした。
おそらく、高松三越でも、この品数は無いのでは無いかと思います。

我を忘れて、見入る私に、「お好きなんですね?こちらにセーブルもありますよ!」なんて声を掛けて頂いたのですが、 「ええ、まあ、・・・セーブル?何?それ?ガーンと言った具合でありました。 

訳も解らずお見せ頂いたのですが、初めて見たその食器達のオーラ?と、価格にビックリです!!叫び 


お話によれば、兎に角、希少な物らしくあまり世に出てこないとの事でした。 

ヤホーで検索にひひしても、あまり、情報は出て来ませんでしたが、下記の様な感じのようです。

*フランス王立セーブル製陶所*

フランスが誇るセーブル窯の前身ヴァンセンヌ窯は、デュボア兄弟が国王の支援を得て開窯。その後、王立窯として発展を遂げていったそうです。

 その頃の”磁器”はすべて軟質の磁器だったそうで、フランスで硬質の真性磁器が焼成されるようになったのは、1767年以降の事だそうで、この頃にフランス磁器が開花したのです。



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1756年、王立御用達ヴァンセンヌ窯が、パリからベルサイユの眼下セーブルの地へ移されました。1759年、フランス王立セーブル製陶所となり、国窯として2世紀半、今もフランスの文化と美を伝える優れた陶磁器を生み出し続ける国立セーブル製陶所の歴史はここに始まります。 セーブルの功績は、国家的使命ともいえるフランス独自の意匠を確立し、時代を反映した、完成度の高い芸術作品を作り続けてきたことにあります。

18世紀、その前身でもあるヴァンセンヌ窯(1738年設立)は、東洋芸術の模倣が顕著でした。セーブルは、その様式をうけつぎながらも、当代一流の化学者、画家、彫刻家、金工家の参加によって独自の世界を創造しました。「王者の青」「ローズ・ポンパドール」と呼ばれるセーブルの色、華美で鮮麗な装飾、独特の風合を持つソフトペーストなど、ヨーロッパ陶磁器界でも他の追随を許さないセーブル芸術が、宮廷文化の中に華開いたのです。

こうしてセーブルは、当時ヨーロッパに君臨したベルサイユ宮殿を飾るにふさわしい豪奢にして繊細、華麗にして優美な陶磁器を製作しました。また、時の王や王妃の日用品、贈り物にも用いられ、時代様式を色濃く反映して、まさに富と権力の象徴として発展していきます。 盛名を馳せたセーブルも、国窯という背景から生産は非常に限定され、世の人々の目に触れることはなく、「希少な陶磁器」と呼ばれました。

今日に至っても、生産量は年間約6000ピースと限定され、そのほとんどがフランス国家のために作られます。この少量生産は、「最高の作品を作り出す」ための必然であり、その稀少性ゆえに、誇り高きセーブルの名声は一段と高まっています。



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で、前置きが長くなりましたが、「セーブルの青」と「プジョーのモンテベロブルー」がとても、良く似ているなあ~と言う話。 意識してんのかなあ?? PSAがニコニコ


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