2025年謹賀新年

(2025/01/07)【🎍】
(💁正式公開)2025年年賀
①作製日2025年1月3日(金曜日)
②送付日2025年1月3日夜(まさや様ポスト投函)

Blog構成
年賀状:写真
年賀状のテーマ:権力者の苦悩編:解説付き
#天武天皇 #持統天皇 🆚 #天智天皇
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=48465
上記で公開開始
添付文書も全公開



【🎍】文書一般の雛形
謹賀新年。
裏の写真は天智天皇と天武天皇(天智の実の弟)と持統天皇(天智の娘・天武の妃)の墓(古墳)です。掲載理由(苦悶)は拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』(Kindle、Kobo各百円)参照🙏。年賀1/3作成

別に解説や一部手紙の内容も全公開
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=48465



(解説)何故天武天皇・持統天皇陵と天智天皇陵を対比したか
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 野麦への旅、それは一九八九年六月二六日と二七日のことである。一日目は夜、二日目は雨。だが、今日までの旅の中で一番思い出深い旅であった。この旅は、兄・辰二郎が病気になった妹・ミネを背負って歩き、一六七二メートルの峠を越え、家に連れて帰ろうとした、実話の舞台となった峠への旅である。

 この旅と併行して、私は天武・持統陵にもよく足を運んでいた。
 天武天皇は実の兄・天智天皇により命を狙われる。ちなみに天武天皇の嫁・持統天皇は天智天皇の娘である。さらに、兄なき後に彼が天皇となれたのは、実の兄の子を壬申(じんしん)の乱で破ってからである。
 彼には今で言う妻が九人と十七人の子がいた。彼の悩みは皮肉にもその子供たちにあった。
 様々な人生の傷を癒(いや)す場である家族こそが、彼にとっては悩みの場所であった。
 彼は権力と引き替えに、実の兄に対して身の危険を感じねばならず、また後に実の兄の子・大友皇子を討った(自害させた)。しかも大友皇子の妻は自分(すなわち・天武天皇)の娘であった。
 また、実の兄の娘四人と結婚し、そして、彼の悩みはその自分の子供たちのもめごとにあったからである。

 天武天皇の妻・持統天皇は彼女の祖父を彼女の父(天智天皇)により殺される。彼女の夫・天武天皇には多くの妻がおり、しかも彼女を含め四人が天智天皇の子であった。その上、自分の子草壁皇子を天皇にしようとし、天武天皇の子の中でも血筋も能力も優れていた大津皇子を事実上殺害する。この大津皇子は実の姉の子でもある。
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浜田隆政著『旅に心を求めて・不条理編(上)』―美は悲しみの中にあり。(概略:2017年6月9日修正掲載)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=68

【天武・持統天皇陵】

 

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【天智天皇陵】

 

 


(2025/01/07)【年賀付録】
姉・🚺従兄弟・🚹従兄弟には下記写真も同封。
父撮影。
向かって右端にZ家の稔小父さん、後ろの学生服が中学校3年生の私。1967年は埋葬であった。
当時の葬儀は、山に行き、深い穴を掘り、そして葬式行列などで大変な行事であった。
その前は花嫁行列があったか。
ホテルなどがない頃は結婚も大変であったと思う。
そこに組合などの存在価値があったのであろう。
だが、今は、結婚式もホテル、葬儀も葬儀屋の時代に変化。
それを受けて上部構造(村のしきたり等)も徐々に変わろう。

左端が今の住職の御祖父様。
よくご覧になるが良い。
お寺割り…封筒遅延…で祖父君の目に涙が。
#南無阿弥陀仏 🙏合掌 #礼拝



こんな文章書いている限り、今年もろくな年にならんわ😩