「お~い。あれが宿禰島(すくね)だ・新藤兼人」大幅改訂


  掲載間隔の問題で1月20日公開予定でいたが、トラブル続きのため、事実上の妨害を懸念して本日突如、昨夜の完成一歩前状態で掲載に踏み切った。
               

  2016年1月3日深夜、正確には1月4日未明、新藤兼人監督の『裸の島』を見た。 凄い迫力の映画であった。正確にはすごい生命力あふれる映画であった。撮影予算はわずか500万円だそうである。映画の解説は別の機会に譲るとして、この映画の舞台・宿禰島(すくね)に行ったときの解説を記す。

  新藤さんとの思い出は、公式Blog「夢か現か―5・『お~い。あれが宿禰島(すくね)だ』・新藤兼人」に掲載している。

 新藤さんの『午後の遺言状』(1995年)は、私の一言が影響を与えた可能性がある。TVに向かい、「人は誰でも老いる。ならば、その老いを逆手に取り、逆らわずに作品をつくったならばどうだろうか」と言ったことがある。その一年後くらいにこの映画が登場した。勿論、1994年から95年ころは単なる偶然としか思っていなかった。
  
 新藤 兼人(しんどう かねと、1912年4月22日 - 2012年5月29日)の名前は知っていたが、新藤作品は見たことがないと思っていた。調べたならば、新藤さんの「北斎漫画」(1981年)は見ていた。「裸の島」については全く知らなかった。それが、下記に記す偶然で裸の島の舞台・宿禰島の近くを2014年8月6日に通ることになる。
  そのときのいきさつを公式Blogと、撮った写真をおりまぜながら記す。
※写真物語安らぎの間・第四会場
http://takachan1.xsrv.jp/yasuragi/program5.html
      


  「あれが、宿禰島(すくねじま)だ」。
 「はあ~」
 「新藤兼人監督が撮った『裸の島』の舞台だよ」
 甲板にいた船頭さんが叫んだ。
        


   残念ながら、私はこの映画はまだ見ていないが、この映画のことは知っていた。


 この日の海は濁(にご)り、黄色であった。空は一面に雨雲が立ちこめていた。海好きの私は飽きることなく海を眺めていた。
         


  そのときに船頭さんが「宿禰島(すくねじま)」と叫んだのである。
……



宿禰島(すくねじま)


 
その数分後、海の上で鳥が出迎えてくれた。
 「ようこそ、瀬戸田へ」、と。
そう、新藤兼人監督にもいろいろと思い出があった。
 海を見ながら、その思い出に耽(ふけ)る。



  以下、本文参照。本文には写真14枚と動画3つを掲載。
写真物語安らぎの間・第四会場
  http://takachan1.xsrv.jp/yasuragi/program7.html


耕三寺救世観音像


 【追記】瀬戸田{広島県尾道市(生口島)}で、面白い写真を撮ったのであるが、観光と無関係な個人の家のため、家の所有者に遠慮して掲載していない。野麦祭りも、工女の服装をした子供を多数撮ったのであるが、肖像権に配慮して掲載していない。今、考えれば工女の服装をしていた以上、私のホームページで公開しても良かったかもしれない。問題ないと分かれば、再度、野麦祭りは工女の服装をした子供の写真も含めて掲載し直す予定でいる。
 なお、宿禰島(すくねじま)の写真が今一つのため、再撮影に行きたいと考えている。撮影後に、作品化の順番を待ち、作品として電子書籍か書籍にする予定でいる。
(2016年1月18日)