毒饅頭教育批判第Ⅱ部・「偏差値のイドラを斬る」(第一話)から(第六話)である。
第五回「現代のイドラ・偏差値批判(その一)」 偏差値とは
第六回「現代のイドラ・偏差値批判(その二)」 偏差値操作の手口
第七回「現代のイドラ・偏差値批判(その三)」竹の筒
第八回「現代のイドラ・偏差値批判(その四)」偏差値は固定化の欺瞞
第九回「現代のイドラ・偏差値批判(その五)」実力を阻害する偏差値
第十回「現代のイドラ・偏差値批判(その六)」偏差値の出鱈目さ?
◇―1・『偏差値とは何か』
商品は何を基準に買うか。まず、価格と商品の価値である。
アイスクリームが食べたい。アイスクリームは実に美味(おい)しい。アイスクリームを発明した人は天才である。しかし、歴史の授業では誰が発明したかを教えてくれない。
1860年にイタリアの人が発明したという説もあれば、ユリウス・カエサル(紀元前100年~紀元前44年)やアレクサンドロス3世(紀元前4世紀の人)とか、3000年以上前に中国で作られたという説もある。こうしたアイスクリームの話も書きたかったのであるが、様々な形で仕事の妨害、本当に催眠をつかっての妨害……などで、こうした話(「徒然なるがままに」シリーズ記述・執筆)も妨害されてできなかった。本来は、私のHPではこうした話も頻繁に書きたかったのである。
本題に戻る前に、それでもアイスクリームの話をまだ書きたい。ウィキペディアによれば《日本初のアイスクリームは、1869年(明治2年)6月(旧暦、新暦では7月)、遣米使節団のメンバーであった町田房蔵が米国に密航した後に帰国した出島松蔵から製法を教わり、横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したものである》そうだ。本当に素晴らしい。でも、町田さんは東大を卒業してはいない。松尾芭蕉にいたっては、大学も高校にも、それどころか中学校にも通っていない。学校教育の国語の授業を受けていない。だから芭蕉さん大好き。
徐々に本題に戻ろう。
私ほどのアイスクリーム通となると、味を気にする。アイスクリームは味がピンからきりまである。そこで、まず美味(おい)しいアイスクリームを選ぶ。だが、価格が余りに高いと躊躇(ちゅうちょ)する。味と価格を天秤(てんびん)にかけて、通常の人はアイスクリーム(商品)を買う。学校を選ぶことも本来は同様でなければならない。味が良くて安いアイスクリームが良いのである。学校も、然(しか)り、である。
だが、アイスクリームと異なり、パソコンを選ぶとなると、簡単に善し悪(あ)しは分からない人が多い。パソコンを買うときには、通常の人は価格だけは分かるため、価格をまず気にする。しかし、安物買いの銭失いになってはならない。そこで、次に、スペックを気にする。CPUはどの程度か。メモリはどの程度あるか。ハードディスクの容量はどの程度か。さらに、同じCPUやメモリでも型番を見て購入する。
パソコンに余り詳しくない人は外見とか、附属品を見て大体の購入順位をつける。次に価格でふるいにかける。
それ以上はわからない。いや、そこまでも分からないことも多い。そこで、分からない人はたいていは店員さんに聞く。
再度、大学に話を戻そう。まず、価格(授業料など)を本来は気にする。だが、価格、即(すなわ)ち、授業料と入学金はほとんど横並びとなっている(国公立は国公立で横並び。私立は私立でほぼ横並び)。では、商品の質は。大学の設備、教育システム、何よりも一番の商品である教師の問題、……で学校の善し悪しを見極め、進む学校を決めなければならない。だが、誰も大学のこうした商品の価値は分からない。そこで、あることを試みる。一つは店員に聞く。つまり、受験産業に聞いてみる。
だが、他の商品と異なり、大学の一番重要な商品である教師は、これまた横並びであり、しかも授業の質においてはろくなのがいないとくる。すると店員さんも分からないとなる。
そこで、日本ではこのように考えることにした。入手しにくい商品が良いのではなかろうか。この入手のしにくさ、これを難易度と言う。その一つの形態を、私は偏差値と考えている。
即ち、入手しにくい物は、まず良い。入手しやすいものはよくない。行列のできるラーメン屋は一般的に良いだろう、という発想である。Aというラーメン屋さんでラーメンを食べたことはない。しかし、行列ができるほど並んでいるのだから、良いに違いない。こうして、特に戦後の大学・高校の序列は決まる。この入手のしやすさ・しにくさの度合いなるものが偏差値である。
だが、ちょっと待ってほしい。「男はつらいよ」という映画があった。車寅次郎が行商をするときに、彼の相棒が客の振りをして、商品を褒(ほ)めまくる。その珍しい風景に大勢の人が見学にくる。行列ができた。寅次郎の売る商品を買うには行列の後ろに並ばなければならない。学校で言えば偏差値は上がった。サクラ商法である。これから幾つも事例をだすように、実際に日本の学校で行われた有名な手口の一つである。
学校が受験生を引きつけるには、本来は教育サービスの質と、価格(授業料)の安さで引きつけなければならない。後者は大抵横並びとなっている。では、味は。ラーメンと異なり、高校も幾分そうであるが、大学となると学外の人間にとっては実体は不明の場合が多い。
だから、入手しにくいからといって良い商品という保証はない。大学というのは、ブラックボックスであり、全く実態が世間には不明であり、どの商品(大学)が本当に教育サービスが良いのかは誰も分からない。そこで、コストパフォーマンスは不明である。
しかし、価格は大体、四年間で生活費を含むと一千万円する買物である。一千万円の商品を購入するにもかかわらず、コストパフォーマンスを調べるための材料はない。だから、手に入れにくいものは良いだろう、と想像して入手のしにくさを表す偏差値を頼りに、一千万円の商品を買う世界が今日の大学受験である。
次回から、偏差値を上げるのに使われた(サクラ商法を含む)驚くべき手口を幾つか紹介する。さらに、読者の中で、君はこの学校には受からないと言われて受かった人が結構いると思う。その逆も然(しか)りであろう。それは偶然ではない。その謎も、じっくり後日記す。
その前に、偏差値をはじくために模擬試験なるものを受ける。日本の大手模試二つ(駿台模試、進研模試)などには私がかかわっていたことがある。私が作成した問題であなた方の偏差値がはじかれた。これだけで、如何(いか)に偏差値はいい加減か。いや訂正。私は真面目であった。しかし、問題作成者によれば……。ひどい……、いや、今は何も書くまい。(なお河合塾模試・代々木ゼミ模試等も知っている)。
偏差値や大学で人を評価すべきではないという高尚な議論の前に、偏差値の出鱈目(でたらめ)さを、模試に関与した私、政治経済に精通している私、教育産業に長く携わった私が生々しい話をゆっくりと記すことにする。この種の偏差値批判は前例がないか少ないため、大いに参考にしていただきたい。
あなた(私)の言うことは間違っている。就職率があるだろう、というかもしれない。それは逆。企業も面倒なときは学校の偏差値で判断するときも多く、それが習慣化されていった。さらに、就職率ほぼ百パーセントの学校は通常は問題が多いときもある。それらも追々(おいおい)にふれることにする。
※【アメーバ用追記:2015年9月3日】
毒饅頭教育批判シリーズ終了後(「偏差値のイドラ・第六話」終了後)は、少し、観点を変えて「フォットエッセイ・小さな旅」(自作撮影)シリーズか、世界の音楽・動画(193カ国からの誘い)か、専門の政経か別ジャンル特集予定。同時に十月は故意にピッチを落とす予定。ただし、両方とも変更はあり得ます。