よくある話。




紙の月









93点


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傑作《桐島、部活やめるってよ》以来の吉田大八監督最新作ということでみてきました。

この監督、一見歪ながらも確かに本質を捉えている青春映画の名手という感じがしました。《腑抜けども~》や《クヒオ大佐》や《桐島~》など何かを求める人たちが、その何かを見出すためにあがきもがく姿を様々な捉え方で切り取っていたのかなと紙の月を見て強く思いました。

今回は「善良な」人々からだまし取った金欲望全開に直走った結果、社会的にも精神的にも追い詰められてく腐れマンコを主人公に青春を描き、更にそれに対する複数の視点からの”価値”を見出していくという映画だと思いました


まずこの映画の素晴らしいところは何と言っても映画的としか言いようのない演出の数々です。まさに映画的演出の宝庫というか、映画的演出のラーメン二郎です。一つ一つ取り出して書いていくとただでさえ読みづらい乱文が更にごっちゃごちゃになっちゃうので、特に印象深いものをいくつか書き残しておきます。

まずは

・駅で宮沢りえが池松壮亮と出会うシーン一回目。この二人ここで初めて会話らしい会話をぎこちなく交わしてから電車の中で宮沢りえが気付いているのかそうじゃないのかを長回しで見せる→電車を降りる宮沢りえとそれを追わない池松壮亮→ホームを歩く宮沢りえを背後から追うカメラ→そして・・・の一連の流れ。ここの説明的なセリフもなくメインの芝居は目線と瞬きのみというスクリーンでないとわからない細かな演技とセリフではない緊張感の上での鮮やかな説明。これこそが映画的演出でその後を左右するハラハラ感を出すということだと思いました。まあこのシーンのオチは予告編で観れちゃってるので魅力は半減しますけど。ここで何故二人が既に互いを意識しているのか何て考えるのはこの映画的に野暮なんですけど、一応ぼくが思ったこととしては、お互いの臭いを嗅ぎつけたということだと思います。エロじじいの孫であり、池松壮亮さん自体のエロい目つきというか、飄々とした雰囲気の奔放さにお固い環境の宮沢りえは魅かれるし、池松さん側もその逆って感じで。というかこの俳優二人の説得力が勝利していると思いますよ(投げやりです)。

次に駅で宮沢りえが池松壮亮と出会うシーン二回目・・・。と書いていて気付いたことは一回目だけで上のような文章量なのでもう各シーンを上げていくだけにします。

・二人が公園で話すシーンで、自転車を止める→池松壮亮のもとに宮沢りえが駆け寄る→二人が並んで話すところ。

・初めての横領を犯罪サスペンス並みにその手口を丁寧に積み重ねる→女を使っての横領成功!→かと思ったら後ろにクソばばあ!(小林聡美のことです)。

・ワンカットで伊勢志摩の居心地がどんどん悪くなる件。

・いちゃいちゃして満足げな表情の宮沢りえ→真面目に勤める宮沢りえの抑制の利いた切り替え

・アクション映画での出撃直前の武器装備シーンばりの横領に必要な機器をそろえてゆく過程のモンタージュ

などなどあげていったらそれだけで記事が終わりそう&だんだんネタバレに近づくので椅子でどっかーんするところとかは書かないでおきます。なるべく前情報なしの方が楽しい映画だと思うので。



今さらですけどなぜ映画的な演出があるからいいのかというと、それは映画でしか得られない何か、感動や楽しさや面白みといったものがあるからです。

何にも代えがたいものを体感できた時の喜びです。



どうしようもないクサレマンコの話ですが、金をだまし取る相手が金持ち年寄りばかりだったり、聖書の教え=(この映画の中では)同義的な正しさに忠実だからこそ社会的に歪な存在となってしまっていたり、そもそも銀行に最近勤めだしたということからも夫からの扱いからしても”責任”を求めている人というのがその是非は別にして誰しもに当てはまることだったり、このクサレマンコは別に悪人ではないはずなんですよ。

ただ自分がしていることの本質が何なのかを、それが偽物なのか本物なのかを知りたいという欲求があっただけだと思います。

それを追い求めるうちに露わになってしまうダークサイドに蝕まれていったことが大問題になってしまうので結果的に悪人になったというか、この人がアウトになってしまったのは根からクズとかではなく結果論としてだと思いました。

だからこそラストの彼女の行動はとても爽やかな印象を残すように、今まであった出来事をすべて受け入れた上での行動のように映っているんだと思います。彼女がやりたいことをやった、やるべきことと折り合いをつけることではなく、本物にたどりついた瞬間だと思いました。



エピローグのシーンは宇多丸師匠が《藁の楯》評のラストシーンに言及した際におっしゃっていた「心霊的なシーン」というニュアンスがあったと思います。

そして最後の最後に町中に消えていくのは本物をつかんだ彼女が雑踏の中に消えていく=人混みにのまれていく=彼女もまたその他大勢の人物と変わりのない人=この映画もまた”ありがちな話”、ということだと思いました。(思いっきりネタバレですがどうしても書きたかったので白字になってます)





まだまだ言いたいことはあって、この映画で会話シーンが続くと観客の受け止め方の答え合わせという感じが強まってしまう気がしたんです。特にラスト近辺の小林聡美とか。

あと上記した電車のシーンはフレンチコネクションの電車乗るのらないのシーンなみにハラハラしたのにそのシーンのオチを予告で見せちゃってるのはやっぱりいただけないとか。

色々ありますがこのくらいにしておきます。

ちなみに最初に書いた「よくある話」っていうはあるキャラクターのセリフですが(ちょっと違うかもしれませんがニュアンスは同じです)本当にこれをちゃんと宣言しているのは素晴らしいと思いました。

今回も非常に読みづらい乱文失礼しました。最後まで読んでくださりありがとうございます!



海老蔵の生首!



喰女-クイメ-











80点



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海老蔵や山田孝之や伊藤英明など、過去に問題がある人と相性のいい監督が、そんな人たちと調子のってるバカが痛い目に遭う怪談の古典「四谷怪談」を映画化ってかなり期待できると思ったので観てきました。


三池監督のホラーといえばオーディションとか着信アリとか牛頭とかインプリントが有名でしょうか。エクストリームなグロやギャグを突っ込んでくると、冷めるとか笑えるとか通り越して不快だったり不気味だったりなまさに三池監督な出来に仕上げてくれる信頼できる監督ですが、近年はホラーから離れ気味で来た仕事を要望に沿った形での最良な作品に仕上げる職人監督な傾向にあったと思います。そんな監督の最新作である今作も海老蔵の持ち込み企画だそうで、現代を舞台に四谷怪談を入れ子構造で語るてのはどの段階から決まってたのかは知りませんが、古典の新解釈として現代を舞台にすると時代性の違いとかで結構無理があるイタイ作品になりそうなところを今回も上手くさばいていました。





劇中劇と同じようね展開が実際に起こる作品だと、劇中劇と同時進行か、劇中劇が先の展開を暗示するか、劇中劇の展開が実際に起こったことと同じだと後から気付くかのパターンを織り交ぜて物語が進行していく(他にもあるかもしれませんが)のが思いつきます。

今作は物語で起きていることと実際に起きていることの境界線が曖昧になっていくことを、誰からの視点によって混沌とした猟奇的で不気味な映像が映し出されているのかをわからないようにした「信頼できない語り手」法を用いた一種のミステリー形式になっていました。

ですが伏線もあるし、そもそも登場人物が少ないので海老蔵の幻想であることは確かなんで別にだれ視点だからとかいう怖さはなかったりします。

柴咲コウの行いがどこまでが本人でどこまでが海老蔵の妄想なのかも曖昧なので、もしかしたらあの生首オチも海老蔵の幻想なのかもしれないですし、正直つじつま合わせとかそういうのは放り投げてる気がしました。

というか、会話で説明とかを一切省いて小道具や目線で説明することで解釈に幅を持たせていると、良く言えばそうなんだと思います。




この映画のなにが面白いってとにかく不穏。お化け屋敷的な化け物が出てきてびっくりとか、急にでかい音出したりとかではなくねっとりと淡々としているというか、三池監督の演出でもってっていると思います。何分かに一回は人形が、海老蔵が、柴咲コウが気持ち悪いことになるのですが、それを待つための溜め場面が続くのではなくそれはアクセントとして付随しているだけ。映画全体がラストまで息切れすることのない緊張感というか不安をあおるように作られていました。画面に映る全てのものに何かが起きるんじゃないかというミスリードと確実にこれは後にこうなるという観客に対する説明のバランスが巧かったです。


海老蔵の首が何回も飛んだり、柴咲コウが痛かったり、伊藤英明のなんかしだすんじゃないか感が面白かったり、三池監督はフリークスの使い方がやっぱりうまいとか色々ありますがこのへんにしときます。


この気持ち悪い怖さというか、全てのシーンの不気味さはシャイニングの序盤と中盤のあの居心地の悪さを思いだしました。劇場の暗い中で観てこその怖さだと思うので、観るなら劇場か真っ暗な部屋で一人で見た方がいいと思います。



以上、今回何言ってるのか分からなかったり読みづらかったりの乱文失礼しました。最後まで読んでいただきありがとうございました!

ウォークマンとケヴィンベーコン



ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー






95点


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大傑作です。とにかく最高な映画でした。今年日本で公開されたマーベル製作映画として、まあまあ面白かった《マイティ・ソー/ダークワールド》とアクションつるべ打ちの陰謀もので大傑作の《キャプテンアメリカ/ウィンターソルジャー》に続き三本目の作品です。先に公開された2本やこれまでのマーベル作品の中でもずば抜けて明るい、ご機嫌なヒーロー映画でした。


映画としてはダークナイトから始まったかどうかは知りませんが、主人公が自身の境遇や存在意義に悩んだりトラウマに固執してたりする鬱っぽい面を強調して描くヒーローものがノーランがバットマンやり始めたあたりから多い気がするんです。別にやらないでほしいとか、嫌いというわけでもないんですが、去年で言うと《マン・オブ・スティール》とかもはや映画をつまらなくするためとしか思えないぐらいに鬱な面を強調してたじゃないですか。ヒーロー論もいいんですけど、それを語ろうとすればするほどに観客を置き去りにしているというか、ヒーロー論を広げようとするあまりにヒーロー映画じゃなくて、イタイ自主映画作ってるカス大学生が考えたインポ思考な自分語りになっててつまらない以上のものでなくなってしまうと思うんです。


この映画はそれぞれが持つ影の部分、置かれている環境やそれまでの境遇は母と死別して誘拐されたり、妻子が殺されたり、望まぬ身体にさせられたりとわけありなキャラクターたちが主人公です。これからの人生の選択の余地を狭められて、その上盗みや殺しを平気でしてる連中なんで自業自得と言ってしまえばそれまでですけどろくな目に遭わない負のスパイラル状態な所謂負け犬どもです。

このキャラクターたちがどこか抜けていたり、影を抱えながらも無理なく明るく振る舞う(ひっでえド下ネタあり)様を体現しているメインの5人は素晴らしいと思います。映画が終わった後も思い出すと「あいつはあんなやつだよなあ」と5人の人格がわかるほどキャラクターがそれぞれ立っていました。


こいつらが、最初は利害の一致で協力しあうなかでそれぞれの境遇を知り、初めの目的ではなく自分たちがするべきことをお互いを理解しあう中で見つけていき達成するという筋だけ言えばスタンダードというか、ヒーロー物に限らずある話です。








地球でのわずかな思い出がいつまでも主人公を支えているという設定がなによりもよかったです。ウォークマンやフットルースが主人公の人格を形成しているんですけど、この思い出たちと主人公の距離感というのが絶妙でした。思い出に浸って懐かしがるわけでも、地球に戻りたい思いに縛られて鬱になるわけでもなく、ただ流れている、心に残っているという距離感って現代だと特に普遍的だと思うんです。音楽が持ち運べて、いつでも聞きたくなったら大抵の曲はネットで聞けたりする現代において曲はBGM的に聞き流してるだけかもしれませんが、それでも必要とされているわけです。それは自分にとっての大きな決断を下したり不安な中での行動だったり、人生の岐路的なところで奮い立たせてくれたり、いつも通りでいさせてくれたり、支えてくれる音楽を流すことが容易だからだと思うんです。そして心に残った映画はいつまでも自分の指針になっていたりする、

つまり音楽や映画は多様な面で救いに似た、自分にとって有益な何かをもたらしてくれるということを描いていたと思います。

そして音楽や映画は自身だけでなく周りにもその影響を与えるということも同時に描いていたと思います。

それと曲選が映画の内容に沿っていてかつかっこいいのも素晴らしいです。






ジェームズガンの演出がアバンタイトルから素晴らしく、死を目前とした母の最後の願いを叶えられずに悲観する主人公が宇宙船にさらわれ幾数年が経ち、レイダースっぽく何かを探しに来た主人公が取りだしたウォークマンから陽気な音楽が流れてドでかくタイトルがドン!ってところ。ここに設定説明から伏線や映画のノリを短く順に見せていく手際の良さ。そしてタイトルがドン!と出るところのカッコよさ。

アライグマの境遇を主人公がメンバーの中で初めに知ることを自然な流れで見せ、後にメンバー間の和解の潤滑としてそれが活かされるなど伏線の張り方も絶妙でした。

「私はグルート」しか言葉を発せないグルートが、最初はその台詞を連呼することでギャグとして扱っていたのが、いざ敵に立ち向かう直前の会議の中でそれを連呼するほど彼の固い意志が明確に伝わってきて、クライマックスではその手できたかという手を使ってきて死ぬほど泣かされます。

クライマックスで死者が出ていることを強調して見せて、その死に様を感傷的でなく賛美するようでも滑稽なようでもない絶妙な見せ方をしていたのもよかったです。





もうこんな満点に満点を上塗りしたような映画にケチのつけようはないんですが、不満点はベニチオデルトロの件がベニチオデルトロ出すためだけに見えてしまわなくもなかったり、曲によって歌詞字幕が付いたりついてなかったりしたり(これは配給のせいですけど)、最後に出てくるあいつが微妙に元の映画のあいつと違うのが嫌だったりした気がするんですが、たぶん気のせいです。

他にもヨンドゥが男前とか、切株描写が多くてよかったとか、宇宙船の造形がカッコイイとか、吹き替えもいいけど字幕も見なきゃロブゾンビとブラッドリークーパーとヴィンディーゼル確認できないとか、今年一番映画館で泣いたとか、グルートの凶暴さがグロいとか、いろいろありますが

とりあえず見なきゃ大損

ということですのでここら辺にしときます。


以上、いつも通り読みづらかったり何言いたいのか分からなかったりな乱文失礼いたしました。また、最後まで読んでいただきありがとうございました!