3.11に思う | マールの気まぐれ日記

マールの気まぐれ日記

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その時間
黙祷しました
あれから7年なのですね

私はあの日
横浜の自宅マンションで
中1の息子と揺れていました

大きな揺れに
小学生の時の避難訓練の影響か
息子はダイニングテーブルの下に
すかさずもぐって、
私の方を見たまま
横たわりながら揺れていた

私は液晶テレビが
パタパタと揺れるので左手で
押さえながら
右手で息子の姿を写メして
無事を伝えるメールを
夫にした
通信回線が途絶えてしまい
お互いに
時間がかかって受信された
かも
電話は最初はつながっていて
会社から電話をしてきた夫に
すぐにホテルの予約をして
帰って来なくていいからと
伝えた
(会社にいる人は、あの映像を見ていない
事の大きさを目で見ていない)

夫はネットでホテルを押さえたので
安心して、同僚と飲みに行って
いざ夜中に泊まりに行ったら
帰宅困難者に取られていた?
ダブルブッキングで
泊まれなくなっていた
(災害時はネット予約を信用しては
いけない)
都内の弟宅に歩いて泊まりに行き
ベッドもなく床で寝て
次の日にヨレヨレになって
帰宅した夫(残念な人)

玄関の飾りものが1つ
落ちて割れた音
我が家の被害はそれだけだった

同じ横浜西区でも
駅前は亀裂が出た場所もあったし
みなとみらいのマンションは
すべての食器が割れたほどの
揺れがあり
(横浜駅前の海抜の低さと
埋め立て地は地震が怖いなと思った)

息子の中学は都内にあり
帰宅困難者になるところだったが
普段なら部活もあり帰宅していないのに
その日は、試験期間中で
早く帰宅していた。
私も仕事の日ではなく
習い事に行っていて、
普段ならランチも
してゆっくり帰宅するところを
息子が試験中なので
お昼ごはんのために早く帰宅
していた。運の良さに感謝
(通勤通学が都内なので
多摩川で分断された自宅の位置は
災害時に困るなと思った)

そしてテレビで
タイムリーに届く
嘘みたいな津波の映像を
観てしまった
ずっとずっと。
映像の影響が大なのは
知っていて
それでも見続けてしまった
(情報は見たいが見過ぎた。
わかってはいたが
その後の影響がキツかった)

その2週間前に父を亡くしていた
こともあり、
7年前は深く深く
落ち込んでしまった

現実的には、
仲の良いお友達が
九死に一生スペシャルな体験をし
友だちを失うことも無く

それでもかなりキツイ、
あの時の、東北の
東日本の悲しみの記憶
(今日、その思いも思い出した)

震災被害者の方の
ご苦労は
計り知れない
今なお続く心労を
抱えながら生きている方々

暖かい
家族のいる
安全な家のありがたさを
普段は忘れがちだけど
忘れてはならない

家を失った方の補償は
安心して住める環境が整うまで
ちゃんとして欲しいと願う

本当に忘れっぽい私
忘れっぽい日本人

忘れた方がいいこと
忘れてはいけない部分

防災の意識が薄れていた
安心出来る家にいる
電力ありがたい
友だちや家族の大切さ

ありふれた毎日
もうすでに幸せだということを
また気づかせてもらった

3.11
でした