黙祷しました
あれから7年なのですね
私はあの日
横浜の自宅マンションで
中1の息子と揺れていました
大きな揺れに
小学生の時の避難訓練の影響か
息子はダイニングテーブルの下に
すかさずもぐって、
私の方を見たまま
横たわりながら揺れていた
私は液晶テレビが
パタパタと揺れるので左手で
押さえながら
右手で息子の姿を写メして
無事を伝えるメールを
夫にした
通信回線が途絶えてしまい
お互いに
時間がかかって受信された
かも
電話は最初はつながっていて
会社から電話をしてきた夫に
すぐにホテルの予約をして
帰って来なくていいからと
伝えた
(会社にいる人は、あの映像を見ていない
事の大きさを目で見ていない
)

夫はネットでホテルを押さえたので
安心して、同僚と飲みに行って
いざ夜中に泊まりに行ったら
帰宅困難者に取られていた?
ダブルブッキングで
泊まれなくなっていた
(災害時はネット予約を信用しては
いけない
)

都内の弟宅に歩いて泊まりに行き
ベッドもなく床で寝て
次の日にヨレヨレになって
帰宅した夫
(残念な人
)



玄関の飾りものが1つ
落ちて割れた音
我が家の被害はそれだけだった
同じ横浜西区でも
駅前は亀裂が出た場所もあったし
みなとみらいのマンションは
すべての食器が割れたほどの
揺れがあり
(横浜駅前の海抜の低さと
埋め立て地は地震が怖いなと思った
)

息子の中学は都内にあり
帰宅困難者になるところだったが
普段なら部活もあり帰宅していないのに
その日は、試験期間中で
早く帰宅していた。
私も仕事の日ではなく
習い事に行っていて、
普段ならランチも
してゆっくり帰宅するところを
息子が試験中なので
お昼ごはんのために早く帰宅
していた。運の良さに感謝

(通勤通学が都内なので
多摩川で分断された自宅の位置は
災害時に困るなと思った
)

そしてテレビで
タイムリーに届く
嘘みたいな津波の映像を
観てしまった
ずっとずっと。
映像の影響が大なのは
知っていて
それでも見続けてしまった
(情報は見たいが見過ぎた。
わかってはいたが
その後の影響がキツかった
)

その2週間前に父を亡くしていた
こともあり、
7年前は深く深く
落ち込んでしまった
現実的には、
仲の良いお友達が
九死に一生スペシャルな体験をし
友だちを失うことも無く
それでもかなりキツイ、
あの時の、東北の
東日本の悲しみの記憶
(今日、その思いも思い出した
)

震災被害者の方の
ご苦労は
計り知れない
今なお続く心労を
抱えながら生きている方々
暖かい
家族のいる
安全な家のありがたさを
普段は忘れがちだけど
忘れてはならない
家を失った方の補償は
安心して住める環境が整うまで
ちゃんとして欲しいと願う
本当に忘れっぽい私

忘れっぽい日本人

忘れた方がいいこと
忘れてはいけない部分
防災の意識が薄れていた
安心出来る家にいる
電力ありがたい
友だちや家族の大切さ
ありふれた毎日
もうすでに幸せだということを
また気づかせてもらった
3.11
でした
