まぁちゃん 行ってらっしゃい 元気でね
元気でね
まぁちゃん
本当に元気でね
ママ
いつも そんな事言わないのに
変なママ
そんな不思議な想いを感じながら
学校へ行った
ちゆこがが帰って来ないよ
どうしよう
まぁちゃん
学校から帰ると
パパが
私の膝にすがりながら
私に
どうしよう
どうしよう
と泣きながら
すがってきた
母親の最期に見せた
笑顔と
人間の本当にすがる顔というのを
48歳の今になっても
7歳の私の記憶は鮮明に残っている
もしかししたら
ちゆこから電話がくるかもしれないから
そうしたら
パパに変わってね
そう言って
私たち 私と兄と父親は
数日を過ごした
その3日後あたり
夜の7時頃
黒電話が鳴った
ちゆこ
ちゆこなのか
今どこに居るんだ
何か話せ
黙ってないで
何かを話せ
何か...
電話が切れたようだ
多分
ちゆこだったと思う
お父さんじゃなくて
お前達が出たら
何かを話していたかもしれない
その後
その日の晩か
翌日か
そう長くない時間に
連絡が入った
ちゆこは...
具合が悪くて
今病院に居るから
電話がきたら
ママ頑張ってって
言ってあげて
父親はそう言った
でも
その二日後
学校に行くと
担任が泣いていた
ニコニコニコニコ
優しいおばあちゃん先生
私が喘息の発作になると
学校からおんぶして家まで
運んでくれた
あの時代には
そんな優しい先生が存在した
その優しい先生の視線が
私に向けられ
近ずいてくる
お父さんが迎えに来たから
今日はもう帰ってね
これからたくさん 苦労すると思うけれど
どうか 負けないで 強く生きて行ってね
そう言って私と兄は自宅に帰った
ちゆこが死んだんだ
わぁ
私と 兄で
たくさん泣いた
たくさん泣いて
止まらない
ただ 父親の
お父さんはもう
たくさん泣いたから
今度はお前たちの番だ
力なく
同じ言葉が繰り返され
3人の時間が
半日程過ぎた
1番仲のいい女の子
真っ直ぐに
私を見て
大丈夫?お母さんが死んじゃったの?
元気を出して
気持ちが伝わる
とても伝わる
学校から
担任の先生と
クラスの子供達
合わせて43枚の
お手紙をもらった
その日から
その手紙は
私の宝物となり
1番仲の良かった子の
手紙。
まぁちゃんのお母さんへ
どうかまぁちゃんを守ってください
天国からどうか
まぁちゃんを守ってくれるように
お願いします
そう書かれていた
その言葉が
とても強く感じられ
私は安心した
もし 私 ま〇〇ちゃんなら
自殺する
だって そんな辛い人生生きていられない
私たちは
7歳だった
なんて 大人な会話をしていたんだろうと思う
いいえ
元々
赤ちゃんの頃から
私達には備わっている
ただ小さいだけで
話せないだけで
同じ感情が
記憶だって
だから 子供だって 馬鹿にしてはいけない
この後
遺体に会いに
北海道の雪が
積もり過ぎる
森の中の坂道。
私の幼稚園の
同級生だった みちる君と弟とお母さんの乗ったタクシーと
私達のタクシーが通り過ぎ
わたしが
みちるくん!
とそのタクシーに手を振り
声をかけようとした時
父親が
いけない!もう関わってはいけない人間だ
やめろ
そう言った
タクシーの運転手が
娘さん とっても綺麗ですね
と事情を知らずにニヤニヤしていた
この子は息子です
そんなカオスな空気が終わり
警察署に着いた
旦那さん
ニュースにはしますか?
新聞には載せますか?
いいえ
載せないで下さい
そうですかわかりました
6秒で終わる会話
母親と並ぶみちる君のお父さんの
棺2つ
この母親は
別人に見えた
私の見てきたママとは違う人
涙などは出ない
私達は
そこから直ぐに
森を下り
宿に行った
宿に付くと
庭に
野生のうさぎの群れ
多分
20匹位
一緒に走り回り
その中に
子うさぎがいた
まぁちゃん
あの子欲しい
あの子可愛いなぁ
父親が
程なく
部屋を出て
戻ってきた
うさぎ
くれるって
え?そんな事ある?
ちょっと
普通じゃない人だから
普通の人なら
常識で止まる事も
言ってしまう
旅館の人が、
骨壷を持って入って来たから
何かを感じ取り
配慮したのだろう
人の優しさとは
瞬間で
生み出されるものだ
感謝しかない
1番仲良かった子の手紙だって そう
夜父親は
骨壷を持ち
お父さん
ちゆこと酒を飲んでくるから
お前たちは
朝まで寝てなさい
お店の人
父が
テーブルに骨壷を置いて飲んで
さぞや
不気味では無かったでしょうか
感謝してやみません
そのうさぎを
ちゆこにしよう!
父親が名ずけた
うさぎは
野うさぎだから
全く慣れませんでした
抱っこをさせてくれない
いいえ
うさぎは
抱っこが嫌い
だけど
ちゆこちゃん
抱っこさせて
わたしは静かに泣いた
お兄ちゃんが
あんまり泣から
お父さんが
ま〇〇どうしよう
どうしよう
ってあんまりすがるから
あの日私は決めました
私がしっかりしないといけない
もう泣いてはいけない
おばあちゃんと
歩道橋を登る時
とびきりの笑顔で
よいしょ
よいしょ
って手を繋いで 登った階段
あの日から
あの笑顔は
無くなってしまった
だから
わたしは笑顔を振りまき
ま〇〇は大丈夫よ
元気よ
学校でも
笑って
振る舞った
わたしには
子供時代がありません
常に
周りから見られる
私
を生きていました
13歳
父親がお前を殺して俺も死ぬ
車を壁に激突させようとした
全く怖く無かったのは
そうまでしても
父親という
安心感を信じていたのか
どちらにしたって
わたしは生きたい
私には未来があるんだと
力になってくれた親友と
同じ道に居たくて高校に行きたくて
自分から養護施設に願いを伝え入りました
今でも
小さな時の友達と
13歳の時の友達は
私の親友
高校の時の友達と
今一緒に働いていて
私が人生
友達がいれば生きていける
という生き方をしてきたから
今を生きる
若い人
心の弱い方
どうかどうか
どんなに、腐っても
死ぬな!
それを言いたいだけ