takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 直木賞受賞予想なるものを、こちらの勝手でやっており、 主催者側としてはまことに迷惑な話なのであろうが、 まあ彼らがシロウトのうだうだ話の相手などするわけでもないだろうし、 どの出版社でもあれこれ本のことを星1つだの星2つだのと評価された ところで、それもすべては織り込み済み。よって我がブログもたとえ 選考委員のメンバー達がご覧になったところで鼻で軽くあしらわれている ことは容易に想像ができる。ブログとは無責任なものなのだ。 ただし、過去に出した統計や確率についてはとことん調べたつもりだ。 その辺りについてはわかってもらいたい。 さて、次回の134回直木賞の候補作対象は 2005年6月 ~ 2005年11月 までに発売・発表された作品ということになっている。 ジャンルは大衆文学、あるいはエンターテインメントというやつだ。 そしてこの賞の位置づけはあくまでも新人作家に与えられる賞 であり、これに関しては選考委員の選評などに耳にタコができる ほど書き連ねている。 そしてこの賞を手に入れた方には生涯「作家」として食っていくこと のできるチャンスが与えられるといって過言はないだろう。 夢の印税生活が現実になる第一歩である。しかしここからがまた大変だ。 連載を重ね、出版点数を増やし、さらに世間に自身の認知度を広める ために一歩一歩努力を重ねなければ、出版の世界は非情なゆえに 売れなければすぐにでも抹殺されてしまいかねない。 候補作対象期間が過ぎれば、以下の過程を経て1月の中旬には 直木賞、そして芥川賞の受賞作が発表される予定である。 ①関係者350人によるアンケート調査 ↓ ②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定 ↓ ③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定 (「文学賞メッタ斬り」より参照) ③については、直木賞の選考委員はあらかじめ決められており、現段階で 9名が最終選考の役目を担う。その9名は 一人称を主語とする小説の選出はしばらくお断りだという宮城谷昌光 「シモ」の描写には人一倍厳しい 渡辺淳一 時代小説の衰退に心から嘆き悲しんでいる 平岩弓枝 時代モノにはとことんうるさい津本陽 男を助け女をくじく、林真理子 直木賞の選評記事がいつも長すぎる井上ひさし その他 阿刀田高 五木寛之 北方謙三 (敬称略) である。②において、候補作品がだいたい5~7作品選出されたのち、 彼らのもとへそれらの作品が届けられ、選考会当日までに各々の作品 の中で受賞にふさわしいものを選択し、 選考会当日に、受賞させたい作品に○をつける。 この○は1つとは限らない。ふさわしいと思えば2つでも3つでも よいだろうし、どれもふさわしくないと思えば○を付けなくてもよい。 そして9名のうち、過半数以上、つまり○が5名以上付けば無事、受賞する に値する作品というのが一般的な方法のようだ。もちろん多少の議論は 交わされるであろうし、大反対する選考委員もいるだろう。 ○の数が過半数に満たない場合は、○の少ない作品を除外したうえで 再び投票、そして白熱した議論が展開されるらしい。 時期によって受賞作が2つあったり、あるいは該当作品なしとなるのは ○の数の多少に関係する。 あと14日で次期直木賞の候補対象は締め切られる(11月30日まで)。 よって、気は早いのだが、候補作として①そして②を通過する可能性の ある作家と作品を以下に示す。 ただし、これはあくまでもtakam16が過去に選出された作品の傾向 より列挙するものであり、真の候補作の決定とはまったく別物であること をご理解いただきたい。
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takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 「こんな朝早く待ち合わせてどないするねん!!」 これがtakam16の第一声であった。 天気が良ければ早朝は確かに気持ちがいい。 なんといっても静けさだ。普段は人込みを掻き分けながら、時には肩同士 がぶつかりあいながらでなければ通ることのできない雑踏とした街が 早朝だけはまるで別の世界にやって来た気分にさせるとはなんとすばらしい ことだろう。 「明」から「暗」に変わりゆく夕焼け以上に 「暗」から「明」に変わりゆく朝焼けに新鮮味を覚えるのは、生まれてこのかた その空間に自分が身を置いている回数の違いによるもの以上に、後者には 静けさという前者には持ち得ぬ妙技を備えているからだ。 だからこそ、朝は非常に好いているのだ。 しかしである。 JR京都駅八条口(南側)に朝6時に待ち合わせてどうなるというのが こちらの言い分だ。 その場へ着くためには朝4時前に起きねばならない。しかしこれはまだよい。 早起きは三文の徳という諺に従順なtakam16にとって、 その行為は朝飯前である。 この日(10月31日)は、月末の多忙であるにもかかわらず、仕事が休み ということで、せっかくのお休みを家でしおしおしていても仕方がない ということで、京都市内を縦横無尽に練り歩こうというのがこの旅の狙いだ。 そして具体的な目的は次の3点である。 ① 京都歴史散策 ② 京都の書店・図書館・美術館巡り ③ 京都癒し旅 しかし問題は、朝6時に京都観光をスタートさせるにも、どこもかしこも 門を閉ざしているではないかということを言いたいのだ。 神社・仏閣の多くが早くても朝8時にならねばその歴史を一般人に披露しない のに、6時に待ち合わせても8時までの2時間の過ごし方をどうするねん! ということである。 そのくせに、連れのNは6時になってもいっこうに姿を現さない。 さっそく機嫌を損ねるtakam16。 とりあえずは気晴らしに荷物のチェックだ。 まずは本のサイズにいつも難癖をつけながらも、もはや京都観光の必需品 となりつつある、「るるぶ京都を歩こう」。1日をたっぷり満喫するにはぜひ用意したい「京都観光一日乗車券」。 ![]() |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 前編では読書世論調査に対する否定的な考え、そして文化定着の ための読書のあり方についてちょろっとお話した。 まあ、暗い話である。もっと秋らしい、短いながらも 最も花鳥風月を堪能できるこの季節にあわせるような楽観的な 語りをしたかった。 しかしぐだぐだ言ってもしょうがない。 この読書世論調査にはなんだか肌が合うのだ。 特集記事と図書館ネタで後編を語る。 さて、当調査における特集記事は旬なネタで勝負してくるのが常だ。 昨年の特集は、綿矢りさ、金原ひとみによる若手芥川賞受賞シーンの 写真がババンと出ていた。 特に綿矢りさにまつわる報道が記憶に新しい。 「綿矢カレー」などというメニューも登場したらしいが、50年ほど 経って、「平成史」なるものが活字か電子かはわからぬが出たとした時に 綿矢カレー、本人抗議で即中止。 と年表にでも記載されるのだろうか.... また、好きな芥川賞作家、直木賞作家のアンケートによる ランキング発表があった。 好きな芥川賞作家 1位 松本清張 2位 遠藤周作 3位 井上靖 4位 石原慎太郎 5位 田辺聖子 好きな直木賞作家 1位 司馬遼太郎 2位 五木寛之 3位 向田邦子 4位 井上ひさし 5位 平岩弓枝 多士済々の顔ぶれだ。泣く子も速やかに黙ってくれそうな名前だ。 いや違う。読書趣味を持たなければ、作家の名前などシロウト同然の 扱いであろう。野球を知らない者が野球選手名にとんちんかんなのと 変わらない。 ブログ読者様は比較的年齢層が若いと思われるので、知った名前とランク も少し列挙する。 村上龍 (芥川賞8位) 辻仁成 (芥川賞10位) 宮部みゆき (直木賞7位) 林真理子 (直木賞8位) ちなみに、出せば宣伝せずとも書店で売れる作品を出す村上春樹氏は これらの賞は獲得していない。 ここでのランキングはアメブロのランキングのごとくあてにはならないが、 1位の両者については納得がいく。本屋の文庫担当者は彼らの作品に常に 気を配っておかなければ、物言うリピーター達を怒らせる。 宮部みゆき作品、池波正太郎作品も含め、棚がスカスカしないように注意する 必要がある。まとめて買われるのがこれらの作家本の特徴だ。 西村京太郎作品もまたしかり。初めて文庫担当者の仕事に就いた時に その売れ方に驚く作家の一人である。彼も2つの賞には関係ない。 さて、今年の特集はフリーペーパーとブログネタできた。 特に後者はブログということで自分達のことを述べているので興味を持った。 「ネット上に書き込まれた小説、エッセー、日記、詩などを読んだことがある人」 よく読む 3% 時々読む 16% 全く読まない 79% 「自らネット上で自作の小説、エッセー、日記、詩などを」 掲載したことがある 3% 今後掲載したい 6% 「ネット上の出版物」 読んだことがある 7% 例) 「電車男」「DEEP LOVE」 ほほほほ。takam16はどうやら 「よく読み、掲載したことがある」者のようだ。 というか、この記事を読んだ時点で皆が同じ者のようだ。 ただし、自身ネット上の商業出版物読書経験はまだない。 ブログなどは、総数が400万を超えていると言われているが、 中には1人で2~3個運営しているという話もよく聞く。 また、放置プレイのブログも多く、中には退会ができないブログもあると 聞く。 まったく、小さなコミュニティでキーボードを打ち続けているのかぁ と改めて気持ちまでが縮こまってしまった。 ブログはダメ会社と同じで出入りが非常に激しい。つまりやる者の数と同じく やめる数もあり、おまけに無期限休職中な者も多い。 目が離せないのはやはり図書館ネタだ。 過去1年間に図書館を利用したことがあるかとの問いは ある 29% ない 69% と出た。自分は本もよく借り、調べモノも多くするので 「ある」の仲間なのだが、よくよく考えてみると、図書館に訪れる度に 「あ、この前見た人。」 という場面に頻繁に遭遇する。つまりリピーターの存在だ。 リピーターはマンガ喫茶のごとく非常に多いと感じさせられる。 下手をすれば、座席が以前も隣同士だったなぁという ことも時々ある。おのおの「指定席」があるようで、自分もそのひとりだ。 座りたい座席を他人に占拠されると虫の居所が悪くなる。 図書館勤めの方には楽観的な数字ではないが、69%が利用していないと いうのは実は驚いた。1ヶ月ならともかく1年だ。 その理由をアンケートでは聞いている。やけに準備がいいじゃないか。 ①忙しくて時間がない 52% ②近くに図書館がない 32% ③貸し出しの手間が面倒 18% ④読みたい本・雑誌がない 18% ⑤開館時間が合わない 14% (複数回答可) 近くに図書館がないというのは、近くに図書館がある自分がいかに恵まれた 環境にあるかを感じさせるものであるが、数字の低い分野により興味がわいた。 「貸し出しの手間が面倒」ということについては、図書カード作成段階のことを いうのか? ただ単に面倒ということなのかはわからないが、少し話がそれるかも しれないが言うと、各地域で時々見られるのが、 返却ポストを図書館以外の例えば駅前など人通りの多いところに 用意する試みがあることを思い出した。 また、コンビニでの受け取りが可能なサービスもあるという。こちらは有料 らしい。 自分の街にはこういったソフト面、特に館外でのサービスに誇れるものがない ので感心している。 また、「開館時間が合わない」というのは、確かに働く者にとって、 図書館の開館時間は都合が悪い。自分の街では夜8時まで開館しているが、 これは比較するとかなり遅くまで開いているようだ。 5時~7時頃に閉館するところが大半で、働く者が図書館を快適に利用する 最善の方法は、外回りのフリをして図書館でゴロゴロ過ごすに限る。 自分の図書館の開館時間に対する考えは、24時間だ。 コンビニが現代にウケがいい理由の一つは「時間」に束縛されないことである。 時間を定められると利用する側は気持ちが落ち着かず、自由を奪われる。 また、足を運ぶのもためらわれる。 しかし、だからといって図書館員に24時間、朝昼晩働けとは深くは思わない。 それは、さきほど持ち上げたコンビニを否定することになるのかもしれない のだが、 競争の社会において、例えばある店舗Aが8時まで開いていたとすれば、 店舗Aに負けたくない店舗Bは9時まで開けようということになる。 ならAは10時、Bは11時というのが昨今の流れである。 ただでさえ日本人は働きすぎだと思っているのにこれではますます労働時間が 長くなるばかりだ。長時間開いていて、しかも年中無休の店舗の店主の顔色 が紫色になっている光景にしばしば出くわすと、仕事から逃れたい心情が 伺える。プログラマーなども徹夜は当たり前と聞く。 自分も夜中に働くことは朝昼働くより嫌だ。ちゃんと寝たい。 だから、図書館員に無理強いさせずに利用者を束縛させずに快適に使って もらえる方法というものはないのかといろいろ思案するのだ。 最近図書館司書の非常勤が大変多いとのコメントをいただいた。 そして彼らの環境は劣悪らしい。それでは食ってはいけないようだ。 近年の図書館費節減が生み出した1つの形だ。 しかし24時間開館したとして、そこに非常勤司書をわりあてるという 以前に、深夜は人件費がよりかかり、また女性の多く働く職場に深夜 の自由な出入りが可能な図書館は危険度Aだ。 ならば警備員だ。 接客サービス満点の警備員。しかも司書免許を持っている警備員。 そんなお方、いませんか? 24時間利用できるためのハード面にも気を配るべきか。 返却・貸出すべて自動、書庫資料はスタート時は夜間は使用不可能といった 感じか。 図書館の運営を民間に任せるという手段もあるにはあるが、浸透はあまり 見られない。確かに知的で融通の利いたサービスが期待されるが、 採算にあわないことはやらない姿勢も生まれやすくなる。 アメリカはニューヨークの図書館は社会功労者の寄付により成り立つ 図書館だ。しかし、景気に左右される面もあり、寄付が集まらねば運営の選択肢 は限られる。財政の事情で休館にすることもあったと聞く。 今年の「読書世論調査」は、1ヶ月に読む冊数の平均という数字に疑問を 感じつつも、ブログ、そして図書館についていろいろと考えさせられることの 多い、そんな記事でありました。 特に紙面に多くを割いてはいないながらも図書館におけるアンケート結果は これからの図書館の位置づけを考える上で、自分の知的研究材料の起点になった 印象でした。 たかが「読書世論調査」、されど「読書世論調査」!! 以上、毎日新聞10月26日朝刊より。ちなみに10月27日は同新聞より 「学校読書調査」もあります。子供のおられる方、子供の意見に興味の ある方はそちらの新聞ももご覧下さい。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 読書週間とは、 出版社、書店、問屋、公共図書館の後ろ盾により 60年近く前から行われている読書普及運動の一環である。 その期間は、10月27日 ~ 11月9日。 よって現在はその真っ最中であるし、それについて合点のいかない 出来事があったということを前回の記事(クリック )でも触れた。 この読書週間のスタートの日、つまり10月27日は同時に 「文字・活字文化の日」 でもある。文字・活字文化振興法という今年から施行された法により 定められたものだ。第11条にそのことについて述べている。 法律をクリック 11月3日の文化の日に休館する図書館の話を前回したが、10月27日 を休館にする図書館はおそらくないと思われるが、興味があったら調べて もらいたい。 また、将来にわたり10月27日を休館日にする図書館もないと思われる。 それが定められた曜日であってもだ。例えば月曜日を休館にする図書館が あった場合、10月27日が月曜日であったとしても休みは禁物ということだ。 さて、10月27日が開始日の読書週間。出版社、書店、問屋、公共図書館 にプラスしてもうひとつその役割を担うところがある。マスコミである。 そして特に新聞は、それ自体が活字であり、また新聞の購読数が冷え込みつつ ため、力の入りようは尋常ではない。 活字文化の衰退は同時に新聞の部数減につながりかねない。 また、各社出版部門をかかえている。 つまり、死活問題である。 10月27日、つまり読書週間の開始日の新聞をちょっと見てもらいたい。 いくつかの新聞が、読書にまつわる特集を行っている。 その中でも個人的にお気に入りなのは、 毎日新聞による「読書世論調査」 である。 これに関しては10月26日に記事にしている。 ちなみにtakam16はサンケイ新聞購読者だ。しばしの浮気を許してくだされ。 どんな調査をしているかというと、簡単に言えば 「どれだけ読書をしているか」 である。そのついでに新聞やテレビ、ラジオにまつわる調査、そして おそらくこれが最も力を入れていると思われるのだが、 新聞社が注目しているであろう世間のここ1年の動きをピックアップして 特集として記事にしている。 まずは定番の「どれだけ読書をしているか」だ。 毎月どれだけ読書をしているか、冊数の調査である。 単行本 0.8冊 (昨年は0.7冊) 文庫・新書 0.6冊 (昨年は0.6冊) なお、1冊も読まなかった人の割合は50%を超える。 ここで言えるのは、冊数の多少にどれほどの意味があるのか、 例えばためにならない、印象に残らない本を月に10冊読むのと 非常に有意義であった本、将来役に立つであろう本を1冊読むのとでは 比較した場合果たしてどうであるかという点である。 よく、目標を月10冊やれ年間100冊やれ決める方を見かけるし、友人にも 多いのだが、冊数で評価されるのであれば、この調査、困り者である。 非常に易しい本なら20冊でも読めるだろうし、新たな知的分野にチャレンジ するなら1冊読むのに数週間を要する。 数字にはあらわれない中身の方が気になった。 その他のジャンルの調査もあった。 週刊誌 1.4冊 (昨年は1.2冊) 月刊誌 0.7冊 (昨年は0.7冊) マンガ 1.0冊 (昨年は1.0冊) ビデオ・DVD 1.5本 (昨年は1.1本) また、総合読書率という調査があった。これは 書籍・雑誌のいずれかを読む割合なのだが、 読む 71% 読まない 28% であった。 年齢別では、70代の読書率49%、20代の86%以外の年齢層では 低下傾向が見られたようだ。 ここで気になる点は、ある程度高い年齢層になると、読書率は下降するという ことである。これを活字離れの理由のひとつに挙げる例をどこかで見たことが あるが、高齢化と読書率の低下には自身ではどうしようもない健康上の問題、 特に老眼の問題がある。 どれだけ読書が好きだと言っても、その期限には限りがある。 老眼が始まると、正直あの米粒のように散りばめられた活字には正直うんざり することであろう。 読書世論調査の話はこの記事では納まりきれないため次回に持ち越すが、 ここで一度考えをまとめておきたい。 現在の日本において、教育分野での凋落をよく耳にする。 実際、諸外国との比較において確実に低下傾向のデータも新聞等で拝見した。 戦前も、そして特に戦後においては 「読み、書き、計算(そろばん)」 の徹底的な教育が日本を支えてきた。 お年寄りにわからない漢字の読み方を尋ねれば、だいたい的を得た答えが 返ってくる。人生経験の蓄積もあるだろうが、教育の力も確実にある。 また、今日の日本がアメリカに次ぎ世界第2位の力を誇るようになった要因の ひとつは団塊の世代と言われた昭和20年前半に生まれた方による部分が 大きい。彼らももちろん 「読み、書き、計算(そろばん)」 という基礎教育を受けて今日に至る。 その中で、「読み」、そして「書き」は漏れなく読書により培われてきたもの であると多くの人は考えている。 物書きが本業の斉藤美奈子氏の著書、「趣味は読書。」(関連記事はこちら ) において、著者は読書をする人のタイプを4つにわけている。
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takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... ブログ更新、11月になって初めての怠け者takam16です。 すっかり朝晩も冷え込み、日の出る時間も短くなりました。 他ブログ様はブログのスキンを秋らしく、あるいはパンプキンなものを 多く使っている中、独りだけとっくに冬色模様で記事発信をしております。 ----------------------------------------------------- さて、当記事の更新日である11月4日も含まれるのだが、 10月27日~11月9日は 「読書週間」と題して、各地で読書をすすめる運動が行われているのは ご存知であろうか。 とは言っても、別に本屋で本が安くなるわけでもない。複数の本屋では出版社 の企画に便乗したフェアやサイン会などが催されているかもしれないが、 本屋で働いている者自体が「読書週間」の手ごたえや歯ごたえというものを 感じているかどうかは疑わしい限りである。 実際、こういう期間があるからといって、特別に売上がUPするという 天国を味わえるわけでもない。 数週間前になると、「読書週間」のポスターが問屋を通じて本屋に 送られてくる。 本屋はそれを店頭の任意のポジションに貼る。 それに乗じるフェアをするかどうかはお店の判断だが、数店舗を訪ね歩いて みたが、特別なんだというわけでもなかった。 本屋にとって気になることとと言えば、フェアに便乗したことにより 大量に入荷された書籍達のフェア終了後の後始末、もうひとつは、 「読書週間」のポスターをテープ等で貼ったわけだから、それをはがすとき に棚やガラスにテープの跡が残ることだ。前者は在庫過多による支払いの 問題だが、ちゃんと計画を立てているだろうから心配は無用だろう。 実は後者が気に入らない。ポスターを一定期間貼りっぱなしにすると はがした後の跡形に最も気をつかうのは店長の役目だろう。 そんなこんなですべてが歓迎というわけでもない「読書週間」。 名目上は出版社、書店、問屋、そして公共図書館のバックアップでできあがった ものだ。60年近く前からあり、比較的歴史は長い。 図書館などではフロアの空きスペースを使ってのさまざまな催し物が 行われている。それは読書にまつわるものであり、芸術作品にまつわるもので あり、写真展の類であり、千差万別だ。 また、別室にて読み聞かせや紙芝居なども盛んである。 いろいろと知恵を絞り、なかなかいいもんじゃないかと独りでニヤニヤしながら 地元の図書館をうろついていたのだから、さぞかし他の利用者達は気持ち 悪かったことだろう。この場を借りて謝っておこう。 しかしである。側に図書館の開館カレンダーというものが用意されており、 ニヤついていた顔の緩みが一瞬にして強張った。 「なんで休みやねん。」 そうだ。なんで休みなのかがさっぱりわからない。図書館がいつどのように 休もうがいいだろう。月曜に休みたければそれでもいいし、利用者の反発を 受け止める勇気があるのなら日曜日に休館でもすればよい。 しかし、休むべきではない日というものが図書館には存在する。いや、存在する と思っている。それは 11月3日 文化の日 である。 「読書週間」というものは図書館のテリトリーだ。そのためにフロアを存分に 使って文化物をアピールしているのではないか。なのに11月3日は休館日なので ある。こいつはひと悶着しなけりゃあならないと思い、 「ちょっと、図書館員さん、アンタ、これはなんや?」 と悶着のリハーサルをしている最中に、 「そらぁアカンで、姉ちゃん。」 との声がした。その方向に首を向けると、1人のジイさんがすでにくらいついて いる。図書館員は困惑を隠せない。 「図書館がなんで文化の日に休みやねんな。おかしいやないか。」 そうだ!そうだ!と自分も応援に駆けつける。もちろん心の中でである。 「そもそも文化っちゅーもんはやなぁ......」 とジイさんの説教が始まった。相手の図書館員はなんとか身振り手振りで ジイさんの御託に対処しつつ、目線で仲間を呼びよせる。 職員が2人駆けつけた。うち1人はどうやら図書館のお偉いさんのようだ。 「ジイさん、大丈夫だ。俺が味方についているから。」 当然、心の味方である。 お偉いさんが言う。 「ですから図書館は祝日は休館ということに.....」 ちょっと待った~!!である。 「本と本屋と図書館に魅せられて」の管理人は、休日・祝日など関係なく 運営している全国の図書館を知っている。 そして文化の日にちゃんと開館している図書館が多いことも知っている。 東京都では足立区、中野区、渋谷区、新宿区.....八王子市、武蔵野市、町田市 ....... 神奈川県では横浜市、平塚市、横須賀市、鎌倉市、藤沢市...... 愛知県というと、名古屋市、豊橋市、豊川市、豊田市、犬山市、岡崎市...... 北海道、宮城県、福岡県下の図書館でも開館している。 他の都道府県だって開館しているところはある。 全部が全部開いているわけではないが、文化の日に休館することがいかに 理不尽であるかということはどう考えてもわかるはずだ。 あとで家に帰って調べてみた。自分は大阪府である。するとどうだ。 大阪府立図書館 × 大阪市立図書館 ○ 豊中市 × 吹田市 × 泉佐野市 × 岸和田市 × 堺市 × 茨木市 × 藤井寺市 × 高槻市 ○ 池田市 ○ 門真市 × 箕面市 × ........... すべてを調べるのは困難だが、この大阪府下のこの有様はなんだ! データやアンケートにおいて活字文化が衰退していると危惧して さらなる読書を薦める運動をしておきながら、これらの図書館はなぜ休む? 「読書週間」期間中の、しかも「文化の日」に公共図書館が休むというのは、 朝11時から昼の2時までを準備中にする定食屋と同じだ。 たこ焼きを買ってきたのに、食べてみたらたこが入っていなかったのと同じだ。 風邪で内科に診察に来たら、ウチは風邪は診ませんというのと同じだ。 銀行に入ったらそこはサラ金だったというのと同じだ。 女に抱きついたら実は男だったのと同じだ。 ジイさんはワーワー騒ぎ立てながら、渋々帰っていった。 そして自分も心の中でワーワー騒ぎ立てながら、ちゃっかり「満冊」借りて 帰った。 11月3日の文化の日、ついに行動に出た。 休館の図書館のドアにめがけて 「ドンドンドンドン、開けろよ!! ドンドンドンドン、開けろって言ってるだろ!! ドンドンドンドン!!」 ドラマ「積み木崩し」さながらのパフォーマンスであった。 そしてもちろん、それは 「心の中」 での出来事だった。 全く意気地のない男である。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... さて、最近街をブラブラうろついていると、デジカメでいろいろな風景を撮って いる方の姿をしばしば見つける。 すると思案するのである。 さては..... ブログに更新する気か、おぬし。 だってそうだろう? 人の顔写真や観光風景を撮るのはまだしも、 向けるカメラの角度が奇妙だ。 あまりにも上空に向けすぎていれば 「澄みわたった空、きれいだな~。」 とでも書くのかと予想する。 また、あまりにも地面に向きすぎていれば 「雨風にもめげず、必死で生きている雑草。私も頑張らなくっちゃ!」 という文章を想像する。 朝日や夕日を眺めていると、 「ああ、どれほど多くの人がその光景にカメラを向けているのだ?」 と自然に思い浮かぶ。けっこう現実的な考えの人間かと少し自分で自分の 性格を評価してしまう。良くも悪くもだ。 例えば、図書館で本を読みながらいろいろとメモっている人がいるとしよう。 おぬし、書評でも書くのか? 肩を叩いて尋ねたくなるときがある。 しかし、それには躊躇する。自分も時々やっているかもしれないからだ。 行き交う人々みんながブログをやっているような気がする。 相手も同じことを考えているのだろうか.... ふふふふ。 -------------------------------------------------- 次期直木賞の候補作、並びに受賞作の選考は1月に行われる。 今日は10月30日。のんびり構えていればいいさと思いきや、 そうも言っていられない。 というのも、次期直木賞候補作の対象作品というのは 2005年6月から11月までに発表・刊行された中から選ばれる。 夏休みの宿題や試験勉強を直前になってスパートをかける輩もしばしば 見られ、自分もその一味であったことが今となっては懐かしいのであるが、 そういうにっちもさっちも行かなくなる前にしっかりと勉強というものは しておくものだ。 それに習い、直木賞予想の傾向と対策も早めにしっかりと練りたいと思う。 とりあえず、過去の記事で述べたことをおさらいしよう。 過去20年に文藝春秋社が候補作に選ばれる確率 100% 文藝春秋社が直木賞を受賞する確率は 過去20年間で 57.5% 過去10年間で 50% 過去5年間で 80% 文藝春秋社から2度候補作として選出されながら、受賞できなかった作家が 同じ、あるいは別の出版社からまたまた選出された場合、受賞できる確率 過去20年間で 22% 過去10年間で 0% 過去5年間で 0% と、文藝春秋の身内の賞である直木賞の受賞データに焦点を当ててきたが、 今回は別の出版社についても調べてみようといろいろ試みた結果、面白いデータ が表れた。紹介しよう。 それはズバリ、 「恐るべし!! 講談社のパワー」 である。 実際には決して講談社の作品が多く直木賞を受賞しているわけではない。 過去20年間の受賞回数は7回で8作品。(96回直木賞は講談社が2作品受賞) 過去10年間では3回。 最近5年間においては ゼロ である。 では、いったいどこにそんなパワーが存在するのか。 それは、作家が直木賞の候補作としてはじめて選ばれた作品はどこの出版社であるか に注目する必要がある。そしてその注目が講談社というわけだ。 以下に列挙する。なお、データは過去20年間(94回~133回)に限定している。 94回 志水辰夫 「背いて故郷」 94回 山崎光夫 「サイレント・サウスポー」 96回 常盤新平 「遠いアメリカ」 97回 高橋義夫 「闇の葬列」 98回 堀和久 「大久保長安」 99回 藤堂志津子 「マドンナのごとく」 101回 多島斗志之 「密約幻書」 104回 出久根達郎 「無明の蝶」 110回 佐藤雅美 「恵比寿屋喜兵衛手控え」 112回 池宮彰一郎 「高杉晋作」 114回 藤原伊織 「テロリストのパラソル」 115回 浅田次郎 「蒼穹の昴」 118回 桐野夏生 「OUT」 119回 乙川優三郎 「喜知次」 119回 重松清 「定年ゴジラ」 122回 福井晴敏 「亡国のイージス」 123回 金城一紀 「GO」 125回 奥田英朗 「邪魔」 これらの作品はすべて講談社の作品かつ、直木賞初選出の作品である。 色分けの意味は 黒字 → 後に直木賞作家になれず 青字 → 後に直木賞作家になる 赤字 → この作品(つまり初選出)で直木賞作家になる である。 過去20年間では、確率 61.1% (該当作品18作中) 過去10年間では 確率 87.5% (該当作品8作中) 過去5年間では 確率 100% (該当作品は1つしかない) 文藝春秋と比較してみよう。講談社の場合と同じ条件で 過去20年間では 確率 42.4% (該当作品33作中) 過去10年間では 確率 27.2% (該当作品21作中) 過去5年間では 確率 60% (該当作品10作中) 侮れない数字である。 ただし、ある作家AがいたとしてそのAが3度受賞候補になった場合、 2度目、あるいは3度目に講談社の作品として選出された時は 大して魅力的な数字はない。 あくまでも初選出が講談社の場合がポイントである。 その条件であるならば、その後他の出版社、例えば 文藝春秋、新潮社、集英社での受賞でもよいし、同じく講談社からの 受賞も十分ありえる。 今回の紹介データは未来の直木賞作家を探すのに適した数字であると して理解していただければ助かる。 そして、このパターンにうまく引っかかる作家が1人いる。 福井晴敏氏。 122回に講談社より「亡国のイージス」で初選出。 132回にも同じ講談社でより「6ステイン」で選出。 現在は刊行の話はまだ聞いていないが、もし選出される作品があれば 間違いなく有力候補となると信じている。 ---------------------------------------------------- ここ数日はカゼで鼻水をすすりながらの毎日であるが、どうやら腹の具合も ちょいと悪いようだ。 たまらず正露丸に手を出したところ、 「takam16さん、正露丸臭い~。」 と言われた。 正露丸を飲んだことと、みかんを食べたこと、この2つは すぐに人にバレるものだ。 両方やったらどんな臭いを発射するのか....。 腹を下してみかんはないだろうと皆は思うだろうが、今度やってみることにする。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 前回の記事では、 「家族・友人・知人にブログのことは言えません。」 でのお話で皆様の鼻をムズムズさせたようで、多くのコメントを いただき嬉しい限りなのですが、すっかり秋も深まった10月後半、 最近の朝晩の冷え込みにもかかわらず、 窓を開けっぱなしにして「ガ~スカ」寝たものだから 本当に鼻がムズムズしてしまい、大変不覚なtakam16です。 は~っくしょん。 さて、ブログよもやま話で皆様を賑わしても所詮は 「本と本屋と図書館に魅せられて」。 長い休暇の後に元の生活に戻るのが困難なように、当ブログもまたタイトル に沿って話を元に戻さねばなりませぬ。襟を正して真面目にいきましょう。 は~っくしょん。 あなたの仕事は何ですか? と尋ねられれば、私の仕事はなんと答えるであろう。 私の仕事は本屋さんです。 私の仕事は図書館司書です。 私の仕事は新聞記者です。 私の仕事はパイロットです。 私の仕事は○○会社の社長です。 私の仕事は専業主婦です。 私の仕事は学生です。 人によっては、なかには魅力的な答えもあるかもしれず、それは 特殊な仕事か高給が期待できる類のものだろうが、 まあありきたりだ。妙味がやや欠けている。 だったらこういうのはどうだろう。 あなたの仕事は何ですか? 私の仕事は「死神」です。 「!!!」 生きた人間の魂を死後の世界へ連れて行くのが死神の仕事だ。 そんな死神を主人公にした作品が文芸誌での数回の掲載を経て 単行本となって世に生まれた。心配するな。この本自身に死神はついていない。ネタが死神なだけだ。 胸を張って堂々と読もうではないか。 本書の主人公は当然、「死神」である。 しかし、先述のように 私の仕事は 死神 です。 などと教えるわけがない。もしも死神であることをバラしたら、 それでこの物語にはケリがついてしまう。そんな設定を 作家、伊坂幸太郎が望むわけがない。 この主人公の死神は、どうやら情報部というところが部署らしい。 ならばこれは株式会社「死神」か、というとそういった部分はこの 物語には不要のようだ。 主人公の名前は千葉という。そして千葉は情報部に所属する。 では情報部とは何をするところなのか、 あらかじめ別の部署が近々死が必要ではと選んだ特定の1人の人間を 情報部が調査に行って、その人物が「死」を実行するのに適しているか どうかを判断し、その報告をするのが仕事である。 調査期間は7日間。その間に必要だと判断すれば「可」の報告をし、 8日目にその人物は死ぬことになるのだ。担当した情報部の死神は 8日目にその「死」を見届ける。それで仕事が完了する。 「死」を扱うテーマといえば本来、重くてずしりと肩にのりかかった、 読後感もこってりしたものが多い中、この「死神の精度」における爽快感は いったいなんなのだというのが第一声である。 主人公の死神こと千葉は、与えられた「死」を判断する仕事のために、 対象の人物にあわせて、年齢や風貌を変えている。例えば、 ・20代前半のOLには、イケメンの20代の男。 ・やくざには、40代の中年男。 ・服屋の若手社員には姿勢のよい好青年。 ・殺人を犯した者には、30代の会社員。 のようにである。 また、いろいろと含み笑いを連発してしまう妙な主人公である。 本来は7日間で死を判断せずとも、すぐに判断して「可」にしてしまえば 仕事は終わりだ。なのに主人公は7日間ギリギリまで判断を遅らせる。 理由は仕事に真面目だからではなく、仕事が早く終わってしまうと自分も 人間の世界からいなくなってしまい、それではCDショップで音楽の視聴 をする楽しみがなくなるからなのだ。 この死神、人間の作ったもので最もすばらしいものを「ミュージック」といい、 最も忌み嫌うものを「渋滞」というのだ。 気持ちはわかるがこれでは普通の人間と同じじゃないか。 ところが、対象の人間に変な質問を浴びせかける。 「恋愛とはなんだ。」 とか 「旅行とは、どういう行動のことを指すんだ?」 これらを訝しげながらも説明する人間もまた面白い。 さらに主人公は死神であるゆえに、妙な特性がいくつかある。 人間に素手で触ると、触られた人間の寿命が1年減ったり、 食べ物の味がわからなかったり、 おなかが減る・いっぱいになることがなかったり 殴られても痛みを感じなかったりと.....。 人間でもない、妖怪でもない、そして妖怪人間でもないこの死神。 妖怪人間は 「早く人間になりたい~!」 などと主題歌で叫んでいたが、結局その夢を果たせなかった。しかし この死神は人間なんて滅相もないことが文中ににじみ出ている点にも注目だ。 なのに人間の姿・形で普通に対象者に接触し、会話をし、時には衣食住を 共にする。もちろん指は5本ある。そして決して見た目は怪しくない。 6つの短篇を単行本にしたのが本書であり、どれも工夫をこらした一級品だが 中でもお気に入りだったのは、ある館に招待状により集められた数名が次々に 死んでいく事件が題材の物語だ。普通に考えれば、よくある古屋敷で次々に起こる 連続殺人として読み手をとりこにするはずが、この話は死神の物語。 死んだ発端はもちろん情報部各々の業務のひとつというわけだ。 死神は千葉だけではない。他にも多くの死神が働いている。 一人一人に死神が付いて、忠実に仕事をしたというわけだ。 これほど客観的に屋敷の連続殺人を楽しんだことはなかった。 図書館に行っても伊坂幸太郎の作品はそう易々と借りられるものではない。 新刊の予約の件数は常に2桁。大きなところでは3桁だ。死神こと千葉の 嫌う「渋滞」言い換えれば「行列」が図書館ではおきている。 一方、すばらしいと死神が褒め称える「ミュージック」。 これは伊坂幸太郎が実際に好むジャンルの1つだ。 著者が繰り返し聞く3枚のCDが週刊文春で紹介されていた。 昨年の8月12日号である。 ・THE ROOTSTERS ・斉藤和義の全アルバム ・ソニー・ロリンズ 「ソニー・ロリンズ vol.2」 本書におけるミュージックが上記の音楽であるということではないの だが、他書において音楽の話を盛り込んだ作品、一文を見つけたなら、 伊坂幸太郎と音楽との関わりについていろいろ思案するのもありなのでは ないだろうか。 さてこの死神。あろうことか大阪に居を構える管理人ことtakam16 が愛してやまない阪神タイガースにもどうも付きやがったらしい。 4連敗だ。死神の仕業に違いない。 死神は7日間で「死」の判断を行い、調査の結果「可」としたならば、 8日目にそれを実行する。 つまりは昨日(10月25日)、「可」の判断をし、今日(10月26日)に 実行の運びとなったわけだ。調査が始まったのは10月19日か。 そして死神はその「死」をちゃんと見届けることでその業務を終える。 阪神は今日4敗目を喫し、「死」を迎えた。そして、それを見届けたのは 誰だった? 「死神の精度」の主人公は誰だった? 千葉だ。 大変遺憾である。 は~っくしょん。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 先日、「趣味は読書。」という本を記事 にした。「字」に衣を着せぬ表現 で、人気のある斉藤美奈子氏の著書の中の1冊である。しばしば履歴書欄には趣味・特技などという項目があるのだが、 そこに書かれていることというと、 音楽鑑賞 映画鑑賞 スポーツ観戦 ショッピング 旅行 と、まあ当たり障りのない深みの欠けたものばかりだ。 その中でも、「読書」という言葉はその最右翼に挙げられるであろう。 以前はバイト面接などもした経験があるのだが、 「読書」を含め、以上のような表現を見かけると、履歴書というものに 空欄は不謹慎だといわんばかりで、 テストで何も書かずに答案用紙を提出するよりも、当てずっぽうでも何か 書いた方が得点の可能性があるのではという学生時代の先生達の教えを 受け継いだものと同類なのかと思ってしまう。 だから、趣味や特技の欄には冗談でも面接官を笑わせるものを書けよと 心で叫んだり、あるいは白紙も謎があっていいじゃないのと考えたりするので あるが、そんな自分も趣味や特技はなんだと尋ねられれば、 読書 旅行 音楽鑑賞 と書いていた。学生時代からこの3点セットだ。さぞかし面接官をつまらなく させただろうと今更ながら回顧し、しおしおとしてしまったのだが、 先日、友人が彼の勤める会社でアルバイトを募集し、その面接を担当したそうだ。 というより以前よりそういう業務もしていたという。 そこで、 「こいつはたまげたぜぃ。」 と目を西川きよしのようににして話してくれたことがあった。それが 「趣味は、ブログである。」 というので、話を聞いた自分も一緒に目を西川きよしのようにした。 アルバイトの面接にやって来たのは大学生活をエンジョイしていることが 見るからにわかる小麦色に日焼けし、茶髪ぎみの男性だったらしい。 その男、履歴書の他の箇所は何の見栄えもしない杓子定規な内容だったの だが、 「趣味はブログ」 という書き込みには友人も さすがに驚いたようだ。おまけにご丁寧にもブログのタイトルとアドレス までちゃっかり記入する有り様だ。 友人は、面接で相手の当然ながら緊張した素振りをもてあそぶのが非常に 大好きだ。フェチとかいうやつだ。緊張フェチとでも言おう。 あるアルバイト希望者が、履歴書欄の趣味に 「野球」 と記載してあれば、友人は 「例えば?」 と尋ねる。緊張で物の言えない相手に会話の応用力を問う厳しい質問だ。 明石家さんまが若手芸人の困惑を誘う、人気番組「踊る!さんま御殿」 でのあの手口だ。 実際、友人はそれをパクったと語っていた。 どんなことでも 「例えば?」 と友人は尋ね、相手をヘロヘロにさせるのを楽しむのだ。 奇麗事をいうなら会話力を試したのかもしれないが、下手をすれば、 愉快犯だ。 ところが その友人が「例えば?」と尋ねる前に「趣味はブログ」の大学生が 例えば...と話し出したのだ。先手をとられたと思ったかどうかは定か ではないが、愉快犯としては失格だ。 面接といっても仕切られた場所での密室空間ではなく、デスクにPCが 載せられた自分のポジションの横に椅子を置き、そこに面接者を座らせる 形式だから緊張は密室ほどではないにしろ、周囲の職場風景に面接者が 圧倒されるらしい。そんな場所で 「ちょっとアクセスしていただけませんか。」 と予想外の会話の展開になすがままに友人はインターネットで当該ブログ にアクセス。そして 「例えばですねぇ.....。」 と画面を指しながら大いに雄弁をふるいだしたのだからたまらない。 適当に相槌して早々と帰宅させたらしいのだが、いろいろと興味深いことがあった。 まずはブログタイトル。なんと実名で、 「田中亮太と申します」(←名前はここでは仮名です) だ。おまけに画像写真まで鮮明にUPされている。 その中で日常の出来事、特に女ネタやコンパネタ、趣味ネタに加え、 友人から聞いたアルバイト面接の前後の話もしっかり書かれている。 その面接前日の気持ちとやらを綴った記事を面接官である友人に見せたらしい。 早めにお引取り願った気持ちもわかる気がする。 これらの一連の出来事を聞かされて面白いなと思ったのは、 ブログを現実の世界に導入したことだ。 しかも面接だ。その男にぜひ会ってみたい。 企業の社長や著名人などの赤裸々日記というものはいくらでも拝見する。 私的な先生や弁護士、講師の肩書きを持つ者が実名でブログに綴るのも 結局は同じようなことで、画像写真もよく目立つ。 しかしながら、すでに400万を超えるといわれるブログ。その管理者のほとんど はブログが生活の主役ではなく、目的はいろいろあろうがあくまでも個人の 内面を包み隠さず日記調にするパターンだ。 よって、しばしば口には出せないこともいっぱい書いている。 だから、ブログを持っているということを知り合いに容易く知らせるわけ にはいかないのだ。 日記や雑記というものは、自身の周りで起きる出来事をテーマにすること が第一だ。そこに口には出せないことを書くのだから、どうしてもカミングアウト ができないのだ。 また、趣味を語るジャンルや特定のジャンルというものは実を言うと知り合い に読まれることが日記以上に恥ずかしいことが多々ある。 本の書評や感想は読めば読むほどメルヘンな言葉のオンパレードになりがちだ。 いろんなところがくすぐったくなってくる。自分で自分の記事を読んでいて 正直キモい。 小説や詩も、それが商業出版を目指すならともかく、目的が別にあるなら 知り合いにはちょいとばかり恥ずかしい。 日常の色恋物語を綴るのは最も知り合いに伝えづらいことだ。 彼氏あるいは彼女へブログの存在を明らかにせねばならない場合、その タイミングは整形やカツラに近いほど困難をきたすだろう。 ニュースや新聞記事の批判はどうだ。 名前を出せないから批判できる。名前を出したら責任と災いが及ぶ。 ただしこちらの場合は家族や友人に知られてもさほど影響はなさそうだ。 仕事にまつわるブログはどうだ。雇われている者がそれを書くことが 知れたら、職場の情報を漏らしたということでお咎めはハンパではないだろう。 仮に仕事場でブログ記事でも作成しようものなら、いかにバレずにやるかに ばかり気をつかう。こちらはアダルトサイトを職場で閲覧するぐらいスリルの ある行為だ。 ブログというものをどう位置づけるかと考えた。 それはおそらく 「秘め事」あるいは「隠し事」であろう。 しかも、その「秘め事」「隠し事」は現実の「秘め事」「隠し事」に匹敵する。 いや、現実のそれらをブログに書くのだ。イコールの関係だといえる。 だからこそ、先述の 「田中亮太と申します」(←名前はここでは仮名です) というシロウトの実名による赤裸々ブログは気に入った。 実のところ、当ブログ「本と本屋と図書館に魅せられて」は 約3名の友人・知人が知っている。 そしてその3名ともに個人のブログを持っている。 お互いは取引きをしている。 もしもブログで実名を公開したら、こっちも公開するよといった感じだ。 「本と本屋と図書館に魅せられて」において、管理者takam16が 色恋ネタや仕事に直結するネタに触れにくいのには理由がある。 それは当然ながら自分を知る人間がこのブログの存在を認識しているからだ。 ちなみに本日登場の面接官の友人はこのブログのことは知らない。 多くの方ははブログの存在を隠しながら生活をしているようだ。 友人同士で楽しんでいるブログも見られるが、はじめからブログをすること を知らせた方が途中から知らせるよりは楽である。 個人的に記事の中で最近お気に入りのジャンルは、 ブログが他人にバレたかどうかの切羽詰った記事である。 修羅場の告白。そのアタフタする様が言葉は悪いが痛快だ。 バレたことがきっかけでブログをやめるとは言わないでほしい。 さて私事なのだが、 1週間ほど前、学生時代以来の友人が、 「takam16、なかなか魅せられてるねぇ。」 などと言ってきた。なんだか嫌な予感がする。 しばらくアタフタするかもしれない。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 本屋さんという仕事は、 「わ~、本好きなんですぅ、働いてみたいな。」 などと美女にラブラブ目線で訴えられた時にゃ~ 「はい。あなた採用!」 と言って即断するかしないかは皆様の想像にお任せするのだが、 たとえ採用ということで、アルバイトとして記念すべき本屋さんデビューを 飾ったところで3ヶ月が関の山である。 恋愛などもこの最初の3ヶ月がポイントだと耳にしたことがあるが、 本屋さんも、最初の3ヶ月が通過点であろう。 特に、 「わ~、本好きなんですぅ、働いてみたいな。」 などという短絡的な考え方で本屋でバイトを始めたとしたならば、残念無念、 それはあなたの選択ミスである。 まあ2週間も仕事をこなしているうちにどうやら次の2点のこと に気づきはじめる。 まずはなんといってもカネである。時給の安さはピカイチだ。 最低賃金ギリギリのところは珍しくもなんともない。 そしてこの安さにモレなく付いてまわるのが、筋肉だ。 二の腕はみるみるうちに男らしくなり、隠されたふくらはぎのサイズも 数%増加するであろう。たくましさこの上ない。 それほど本を出し、並べる作業というものはお嬢様方の美貌とは 正反対の位置にある。 カネをもらって体が鍛えられるのは悪くないが、世の中には比較ということが まかり通っている。 暇つぶしに本棚のラックに陳列しているリクルートあたりの無料バイト情報 でその割りのあわなさをひどく痛感したあげく、 「やめま~す。」 だ。笑いもなんだか苦くなる。 さてこの 「本を出し、並べる作業」 のうち、本を出すことにつなげるならば、 未経験者には少し驚かされることがある。 それは どんな本がどれだけ入荷したかが当日になってはじめてわかる点 である。中にはわかる本屋もあるだろうが、そんなものは一部のデカいところに 限られる。 わからないという未知の世界。 その新鮮味、そしてワクワク感は決して隠し切れるものではない。 目の前にはダンボール箱だ。もちろん透きとおっているわけがなく、 箱を開ける楽しみといったらない。 しかし、開けた瞬間に運命は天国と地獄の2つに別れてしまう。 まず天国は、箱を開ける人がどのような仕事を任されているかで違ってくる。 各自、担当というものがある。 あなたは文庫担当、 あなたはパソコン書籍担当 といった感じだ。よって、文庫担当者が開けた箱の中身が文庫であれば それは天国だ。 自分の仕入れた本が入荷したのだ。しかもそれが自分が売りたいために 「文庫担当者のお薦め」 などの御触れで仕入れた本が来た日には、天国のそのまた天国である。 さて、地獄である。 だいたい文庫担当者が開けた箱に担当外の書籍が入っていたりするなら、 まあつまらない。文庫専門がビジネス書などもってのほかである。 しかし、この程度であればかわいい地獄だ。 ファンには大変申し訳ないのだが、 タチの悪い地獄の最先端は間違いなく「コミック」であろう。 箱を開ける。ワンピースのキャラクターの表紙が出てきたとしよう。 あるいはNANAが出てきたとしよう。 その時点で、地獄行き、しかも各駅停車である。 つまり作業の度に地獄を感じるということだ。 それがコミック担当者であれば地獄ともいえまい。 含み笑いながらこの瞬間を味わうのだろう。 しかし、コミック担当者の多くは学生であり、彼らのシフトは夕方か休日だ。 よって、朝の品出しは主婦層に任せられる。 奥様達でもコミックは好きかもしれないだろうが、さすがにコミックの品出しを するくらいなら、赤ちゃん夜鳴きで困った方がいいという意見もある。 何をするのか、述べてみよう。 まずは入荷した品を伝票とチェックする検品作業。これが気が遠くなる。 「トマトジュース10箱」 「正露丸 50個」 と書いているならその個数を数えればよい。 それにひきかえ、本は圧倒的に1作品1冊の入荷だ。 「パタリロ 50巻」 「ケロロ軍曹 9巻」 このような形で何十、何百とコミック名が書かれた伝票が何枚も出てくる。 この作業を簡略化する一番の方法は検品作業をやったふりをする以外には ない。 もしも検品作業をちゃんとやったとしよう。 次に待ち構えているのは、コミックを袋に入れる作業だ。 よく新刊書店のコミックが読めないようになっているアレだ。 あのビニール袋はシュリンクというのだが、あの1冊1冊に施す単純作業 あたりから、奥様連中のグチ合戦がスタートする。 朝1人でそのような作業はまずしない。中規模書店で2~3人必要だ。 社員がいないとこのグチ合戦はすこぶる進行し、奥様方の舌もよりなめらかだ。 こういうきっかけから派閥というものが出来上がる。 本をいじり、シュリンクをいじった時点で10人中7人は手がやけにカサカサ になる。クリームは必需品だ。用意しておけとあとで社員は奥様に怒られ、 そして社員はうなだれる。 ようやく以上の作業が完了すると、今度はシュリンクに収まった本を 熱風にさらしてシュリンクと本を粘着させる作業が必要だ。 実際は熱を発する大型の機械がバックヤードに用意されているのだが、 とにかく暑い。そして奥様方も熱くなり、汗の発射と同時に口から愚痴が 発射される。ますます饒舌だ。 いいかげん、この時点で彼女達はキレているのだが、 「わ~、本好きなんですぅ、働いてみたいな。」 と言うギャルとは違い、彼女達は食べていかなくちゃあいけない。 生活のために働くのだ。 理想と現実とはそういうものだ。キレながら、仕事をこなす。 しかしやっかいなことだ。 体力的に冗談ではない奥様方にとって、さらに精神を蝕む作業が最後に訪れる。 コミックの陳列法は奥様にとっては未知の領域だ。 出版社別の陳列が書店のコミック棚の並べ方の一般だが、 レーベルというものが各出版社にはある。 「ちゃお」「りぼん」「マーガレット」「花とゆめ」 「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」「チャンピョン」 の各雑誌で連載されたものがそのレーベル別コミックとして販売されるため、 同じ出版社の中でさらにごちゃごちゃ分かれていることに奥様方は まったく合点がいかないようだ。 それに、3巻とか7巻とか数字で並べるのは簡単そうに見えて、案外 目の調子が悪くなるものである。混乱をきたすようである。 目薬もどうやら用意しておいた方がいい。 このストレスにはさすがの奥様方も 「いや~ん。」 と言う。しかしその言葉を使うには20年遅かったと言わざるを得ない。 これらは売れた本を補充注文したものが2,3日後にダンボール箱にやってきた ものの一例である。 さらにやっかいなことは、 コミックにも発売日というものがある。いわゆる新刊だ。 出版社によってコミックの扱いは違うのだが、雑誌扱いの場合と書籍扱いの場合の 2種類がある。 名の売れた出版社の出すコミックはほぼ雑誌扱いとなる。 雑誌扱いで発売日に入荷したコミックというものは、ダンボール箱に密封など されていない。 スケスケの厚めのビニールにその姿があらわになっており、 実際に雑誌といわれる類のものも同じ状態である。 コミックに重点を置く書店というものの多くは、 著名な作品に関しては1作品に何百冊と入荷される。 おまけにコミックの発売日はレーベルごとにまとめて一気に発売され、 時々別の出版社同士の発売日が同じになるなどという目に遭わされる。 もう奥様方の怒りは頂点だ。 お昼にみのさんに「おもいっきり生電話」をしようが怒り・悩みはいっさい 解決しない。 というか、昼を過ぎてもコミック品出し作業は終わらない。 よって、自然と仕事は延長だ。奥様、ますますご立腹、 よってたかってご立腹である。 歴史の「大奥」の世界というものは、末恐ろしいもののようだが、 本屋の「大奥」の世界というものも、結束力があってこの上なく 末恐ろしいものである。 そしてこの「大奥」の世界に君臨する奥様方はとっくに3ヶ月の壁は 突破している。容易にである。 注意! この記事は自分の過去の経験に基づいた内容ですので、すべての書店に あてはまるわけではありません。各書店やり方はさまざまです。 |
てっきり昨年の10月18日が自分がブログを始めた日とばかり思っていたのですが、 どうやらこちらの勘違い。指摘を受けて「あれ?」と気づきました。 10月13日の初更新からあれこれ書きながらのらりくらりとやってきた我がブログ。 2年目を迎えることができたのは皆々様のおかげかな(←素直じゃない)、などと思い、 感謝している次第であります今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。 すべての記事をお読みになれば、当管理人がどのような人物なのかは少しはわかるように してはいるのですが、そんな時間も暇も根気(←失礼)もはさらさらないはず。 途中からお越しになった方にとりましては、当管理人の素性がさっぱりわからない らしく、プロフィール欄にはスーツ姿の「お礼」の画像、その下に本の画像というのでは あまりにもヤミにつつまれております。 というわけで、ワタクシtakam16がどのような人物かを、 「経験バトン」 で明かします、とは言いつつそれでもわかりにくくしてあるのではありますが、 この経験バトンで読者様の想像を働かせ、takam16の人物像を思い浮かべていただければ 幸いであります。 なお、この「経験バトン」は読者様からのお呼びがかかったものではなく、その記事を見て 自分で勝手に試したものであります。 また、本来の「経験バトン」とは少し離れた内容です。 「勝手に改良!? 経験バトン」。しかも誰にもバトンを出せないこの内容。 これからもよろしくお願いいたします。 「経験バトン(改)」。 生まれてから今日現在まで自分の経験したことを○×形式で発表します。 妙な経験もありますが、その辺りはご想像にお任せして......
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