林秀彦氏という名前を新聞紙上で知る機会がありました。
「七人の刑事」「ただいま11人」が代表作のTV・映画の脚本家であり、現在はオーストラリアへ移住。お歳70を迎え、いわば、文筆の大御所。
その林氏が怒りをあらわにしているのです。
その怒りを具体的に列挙しますと
・会話ができない人間は教養のない人間の最もわかりやすい根本だ!
・卑しい日本人に成り下がった人間!
・日本で出版される本の数は異常!!本の力は失われた。
彼の沸点は水の沸点の数倍もの温度に達しているご様子です。
要約すれば、なんだ、今の日本人の言葉の貧相さは!!といった嘆き節です。
この現代日本への不安、不満、怒りを集めたものが
林秀彦著 「苟も日本人なら知っておくべき教養語」です。
タイトルにある「苟も」は、日常に出回っている国語辞典や漢和辞典にはなかなかお目にかかることのない語彙で「いやしくも」と読みます。仮にも、かりそめにもといった意味に使われ、本書では
「卑(いや)しくも日本人なら知っておくべき教養語」
になぞらえて、読み手にとっては皮肉たっぷりの一撃です。
しかしながら、著者は現代の若者を露骨に批判したり、侮辱したりといった言い方は避けています。問題を若者に求めるのではなく、
明治時代の文明開化による他言語の輸入がもたらした弊害だと指摘します。
他言語の輸入によってある意味強引につくられた造語。しかし、
概念が欠落した状態でできあがったことで、現在非常に困った状況が起きているのです。
「コーポレートガバナンス → 企業統治」
「コミットメント → 必達目標」
「インテレクチュアル・キャピタル → 知的財産」
となんとも心苦しい直訳。
「メディア・リテラシー」
「ロジスティック」
「デフォルメ」
「クーリング・オフ」
などは、概念の欠落が生んだ『迷い「語」』達です。これらは日本語に訳すこともはばかられ、そのまま日常・仕事上で平気で使われています。これはまさに
「言葉の植民地化」
であり、欧米諸国がなしえなかった日本それ自体の侵略を言葉にすりかえて侵略しており、僕達日本人はそのことに気づく素振りも見せず、まんまと相手の術中にはまっているのです。
第4の権力であるマスコミ、出版で頻繁に使われる外来語の大洪水。
「読みにくくてしょうがない!」
といつも独りで怒っている僕ですが、そう思っている人は知らないところにたくさんいるはずです。
著者は、言葉の話を飛躍させて、「量の文化」「質の文化」という2つの言葉を持ち出します。
「量の文化」とは、現代社会に乱れ飛ぶ知識・情報と考え、それらは西洋が生み出したものであるとします。
一方「質の文化」とは、知り得た知識や情報を吟味し、自ら育てた知性であると考え、それは江戸時代までの日本が持っていたものとします。
さらに著者は「量の文化」が歴史上、戦争を繰り返してきたものであり、その現状を助け、世界に平和な社会を繁栄させるには「質の文化」の輸出しかないと言うのです。
以上は内容のほんの一部に過ぎず、少ないページ数には見習わなければならない教訓が満載です。文章やブログを書く方にとって、決して無駄な時間をとらせない1冊です。そして、ここが最も大切なところですが、
著者は日本が、日本語が、日本人が大好きであるということです。
この姿勢が最強の説得力となっているのです。
本当にごちそうさまでした。

著者: 林 秀彦
タイトル: 苟(いやしく)も日本人なら知っておくべき教養語
備考
金曜日までは出張のため留守にします。携帯電話での発信をしていないため、 不服ながら記事の更新が止まってしまいます。 土曜日から復帰したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
「七人の刑事」「ただいま11人」が代表作のTV・映画の脚本家であり、現在はオーストラリアへ移住。お歳70を迎え、いわば、文筆の大御所。
その林氏が怒りをあらわにしているのです。
その怒りを具体的に列挙しますと
・会話ができない人間は教養のない人間の最もわかりやすい根本だ!
・卑しい日本人に成り下がった人間!
・日本で出版される本の数は異常!!本の力は失われた。
彼の沸点は水の沸点の数倍もの温度に達しているご様子です。
要約すれば、なんだ、今の日本人の言葉の貧相さは!!といった嘆き節です。
この現代日本への不安、不満、怒りを集めたものが
林秀彦著 「苟も日本人なら知っておくべき教養語」です。
タイトルにある「苟も」は、日常に出回っている国語辞典や漢和辞典にはなかなかお目にかかることのない語彙で「いやしくも」と読みます。仮にも、かりそめにもといった意味に使われ、本書では
「卑(いや)しくも日本人なら知っておくべき教養語」
になぞらえて、読み手にとっては皮肉たっぷりの一撃です。
しかしながら、著者は現代の若者を露骨に批判したり、侮辱したりといった言い方は避けています。問題を若者に求めるのではなく、
明治時代の文明開化による他言語の輸入がもたらした弊害だと指摘します。
他言語の輸入によってある意味強引につくられた造語。しかし、
概念が欠落した状態でできあがったことで、現在非常に困った状況が起きているのです。
「コーポレートガバナンス → 企業統治」
「コミットメント → 必達目標」
「インテレクチュアル・キャピタル → 知的財産」
となんとも心苦しい直訳。
「メディア・リテラシー」
「ロジスティック」
「デフォルメ」
「クーリング・オフ」
などは、概念の欠落が生んだ『迷い「語」』達です。これらは日本語に訳すこともはばかられ、そのまま日常・仕事上で平気で使われています。これはまさに
「言葉の植民地化」
であり、欧米諸国がなしえなかった日本それ自体の侵略を言葉にすりかえて侵略しており、僕達日本人はそのことに気づく素振りも見せず、まんまと相手の術中にはまっているのです。
第4の権力であるマスコミ、出版で頻繁に使われる外来語の大洪水。
「読みにくくてしょうがない!」
といつも独りで怒っている僕ですが、そう思っている人は知らないところにたくさんいるはずです。
著者は、言葉の話を飛躍させて、「量の文化」「質の文化」という2つの言葉を持ち出します。
「量の文化」とは、現代社会に乱れ飛ぶ知識・情報と考え、それらは西洋が生み出したものであるとします。
一方「質の文化」とは、知り得た知識や情報を吟味し、自ら育てた知性であると考え、それは江戸時代までの日本が持っていたものとします。
さらに著者は「量の文化」が歴史上、戦争を繰り返してきたものであり、その現状を助け、世界に平和な社会を繁栄させるには「質の文化」の輸出しかないと言うのです。
以上は内容のほんの一部に過ぎず、少ないページ数には見習わなければならない教訓が満載です。文章やブログを書く方にとって、決して無駄な時間をとらせない1冊です。そして、ここが最も大切なところですが、
著者は日本が、日本語が、日本人が大好きであるということです。
この姿勢が最強の説得力となっているのです。
本当にごちそうさまでした。

著者: 林 秀彦
タイトル: 苟(いやしく)も日本人なら知っておくべき教養語
備考
金曜日までは出張のため留守にします。携帯電話での発信をしていないため、 不服ながら記事の更新が止まってしまいます。 土曜日から復帰したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。