宮部みゆきさんの作品「理由」は、現在映画公開されており、アメーバブログにおいても原作本や映画の寸評記事が盛んです。
荒川のマンションで起きた一家4人の殺人事件をそれが解決してから改めて関係者の証言をもとに真相究明していく、ルポルタージュの色濃い推理小説です。本書は書き手による綿密な取材がベースになっているため、視点は主観とはいえ、結果としては客観性を存分にうちだした小説といえます。
「理由」の冒頭部分には以下の一節がありました。
「そうとも、これでおしまいだ。おれたちのような者に次の世でもう一度チャンスがなければ。おれたちのような者、おれたちみたいな連中。」
これは、ジム・トンプスン著「内なる殺人者」の引用で、しかも本書の最後の部分にあたります。
読書の趣味を広げる方法は読書の中にある
と考えている僕にとっては文字通り、まさに「読書つながり」。
「理由」がルポルタージュ式の典型的な三人称形式である一方、
本書は完全な一人称形式です。
主人公である保安官補のルー・フォードを「俺」として、物語は進行するわけですが、この「俺」は青年時代の義兄を死へ追いやった人物への復讐のために、「殺人」という行為へと走るのですが、1つの「殺人」行為が新たな「殺人」行為へと発展し、複数の人間の命を奪うことになります。それが最終的に上記の引用部分へとなるわけで、「俺」の連続殺人を第三者から見れば、
「異常性格の殺人狂」
となります。しかしながら、ここが最大のポイントなのですが、この物語は終始
一人称形式です。一人称小説を読む時の心構えはなんといっても
感情移入。
読み手が主人公になりかわることで、面白さは"バイバイゲーム"へと膨らみます。主観的に読むことで著者の作品はモノにでき、逆説的には客観的な高み見物では全く本書を楽しむことができません。
感情移入には短所もモレなくついてきます。「内なる殺人者」では、「異常性格の殺人狂」である主人公の異常さが時として感情移入によって消されてしまう点がそれです。つまり、普通に読ませてしまうのです。
しかし、著者のジム・トンプスン氏は、物語の中盤で主人公の犯した殺人事件の1つに関して先に「殺人」という結果を伝え、後づけという形でその経緯を記しています。その記述方法によって、ふと我に返らせてくれるのです。
その意味では非常に読者の感情をうまくコントロールさせる作品であると関心しました。ピッチャーがストレートを10球投げたあとにスローカーブを1球投げられた時のバッターの心境を思い浮かべました。
「理由」の冒頭部分での引用をここで改めて考えました。
「理由」で殺された4人、そして犯人も境遇こそ違うものの、殺される直前、犯してしまった後に思い浮かんでも少しの違和感も感じない言葉。
そして、タイトルの「理由」。死んだ者、殺した者、相反する両者でも必ず理由があるのです。「内なる殺人者」においても、「殺人狂」となった理由が存在し、本書ではその原点を子供時代に求めています。
1977年にこの世を去ったジム・トンプソン氏。彼がファンである有識者も多く、スティーヴン・キング氏やマックス・アラン・コリンズ氏がいるそうです。そして宮部みゆきさんもその1人ではないでしょうか。
そうそう、本書の寸評のまとめを忘れていました。では、俳優の大滝秀治の発言を誰の断りもなく拝借いたしまして、
「たまらん。おまえの話はたまらん!!」

著者: ジム トンプスン, 村田 勝彦
タイトル: 内なる殺人者
荒川のマンションで起きた一家4人の殺人事件をそれが解決してから改めて関係者の証言をもとに真相究明していく、ルポルタージュの色濃い推理小説です。本書は書き手による綿密な取材がベースになっているため、視点は主観とはいえ、結果としては客観性を存分にうちだした小説といえます。
「理由」の冒頭部分には以下の一節がありました。
「そうとも、これでおしまいだ。おれたちのような者に次の世でもう一度チャンスがなければ。おれたちのような者、おれたちみたいな連中。」
これは、ジム・トンプスン著「内なる殺人者」の引用で、しかも本書の最後の部分にあたります。
読書の趣味を広げる方法は読書の中にある
と考えている僕にとっては文字通り、まさに「読書つながり」。
「理由」がルポルタージュ式の典型的な三人称形式である一方、
本書は完全な一人称形式です。
主人公である保安官補のルー・フォードを「俺」として、物語は進行するわけですが、この「俺」は青年時代の義兄を死へ追いやった人物への復讐のために、「殺人」という行為へと走るのですが、1つの「殺人」行為が新たな「殺人」行為へと発展し、複数の人間の命を奪うことになります。それが最終的に上記の引用部分へとなるわけで、「俺」の連続殺人を第三者から見れば、
「異常性格の殺人狂」
となります。しかしながら、ここが最大のポイントなのですが、この物語は終始
一人称形式です。一人称小説を読む時の心構えはなんといっても
感情移入。
読み手が主人公になりかわることで、面白さは"バイバイゲーム"へと膨らみます。主観的に読むことで著者の作品はモノにでき、逆説的には客観的な高み見物では全く本書を楽しむことができません。
感情移入には短所もモレなくついてきます。「内なる殺人者」では、「異常性格の殺人狂」である主人公の異常さが時として感情移入によって消されてしまう点がそれです。つまり、普通に読ませてしまうのです。
しかし、著者のジム・トンプスン氏は、物語の中盤で主人公の犯した殺人事件の1つに関して先に「殺人」という結果を伝え、後づけという形でその経緯を記しています。その記述方法によって、ふと我に返らせてくれるのです。
その意味では非常に読者の感情をうまくコントロールさせる作品であると関心しました。ピッチャーがストレートを10球投げたあとにスローカーブを1球投げられた時のバッターの心境を思い浮かべました。
「理由」の冒頭部分での引用をここで改めて考えました。
「理由」で殺された4人、そして犯人も境遇こそ違うものの、殺される直前、犯してしまった後に思い浮かんでも少しの違和感も感じない言葉。
そして、タイトルの「理由」。死んだ者、殺した者、相反する両者でも必ず理由があるのです。「内なる殺人者」においても、「殺人狂」となった理由が存在し、本書ではその原点を子供時代に求めています。
1977年にこの世を去ったジム・トンプソン氏。彼がファンである有識者も多く、スティーヴン・キング氏やマックス・アラン・コリンズ氏がいるそうです。そして宮部みゆきさんもその1人ではないでしょうか。
そうそう、本書の寸評のまとめを忘れていました。では、俳優の大滝秀治の発言を誰の断りもなく拝借いたしまして、
「たまらん。おまえの話はたまらん!!」

著者: ジム トンプスン, 村田 勝彦
タイトル: 内なる殺人者