北海道の長い冬が過ぎ、この街も待ちわびた春が訪れる。

日本で花と言えば、春の季語「さくら」であるが、さくらのようで、さくらではない「コブシ」が花咲く。今年はどうであろうか、今年は、どのように花咲くか。

心待ちの春の訪れに田植えが始まる。

 

今年で、40回目の田植えの時期である。祖先から受け継ぎし土地や土地神が見守るこの地域に今年も実り多き田畑になるように、せっせと母や父、妻子とともに耕すこの土地を想う。

 

私が、この土地を所有するようになったのは、私が22歳の頃だ。

当時のここは、まだ人口も多く、第2次ベビーブームがあった。

まだ機械もない頃で、みな同じ気持ちで、みな同じ志で豊かさを一つの道として、励んでいた。私の両親は、昭和の初めに生まれた。当時のことはまだよく知らないが、母親からはよく聞かされものだ。

 

近頃、よく思う。進歩ってなんだろうか?機械化ってなんだろうか?本当の豊かさってなんだろうか?

「イナ作は毎年が一年生」は、今も昔も変わらない。

「月の満ち欠けとともに耕す」ってことは、今も昔も変わらないんじゃないだろうか?

 

◎今は、私の住む北海道は、150年ほど命名されてから経ちましたが日本はそのころ鎖国をして外貨を断ち、自分たちだけの生活を、自分たちだけの生活物資を生産し、消費し、自国内で経済が循環していた国。そんなお土地柄だからこそできる、BACKTo Natureがあるように私は、おもうのです。

 

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(回想シーン(起承))

◎農家の子どもは、1月~3月に生まれることが多い。私の長男は、3月31日に生まれた。その子の手を見るに、感極まるものがある。コブシが小さい子の手を握る形というのもうなづける。

◎昔、父から聞いたことがある。奈良県から入植した頃の話。昔の人は自分の苦労話は何も言わず、寡黙な人が多かった。その祖父の面影は僕にはないが、苦労をして、山々を切り開き、その土地を守り続けるその志。「一旗あげて故郷に錦をあげる」。多分、祖父は「故郷」を見れないまま、その生涯を終えたことだろう。

◎「極寒の北海道に稲作は向かない。米のとれない北海道はパン食にすべきだと言われたが、やっぱりわしらは、コメがくいとうての。貧乏は良いが慣れ親しんだものがくいとうての。」と父からそう聞いた。

昔詠んだ「北海道農業発達史」に、稲作農業の急速な発展の要因が記されている。

1 内地において、コメを常食とせし者が北海道移住後全く之を廃し、他の食物を以って代わるは実際困難なることにして米を購入しようとするも資力に乏しく、交通は不便で容易に求めることはかなわず、大いに米作の必要を感じたること。

「求めよ、さらば与えられん。」「必要は発明の母。」と西洋語ではいうらしい。まさにその通りでございます。

2 移住民は内地において、幾分か米作の経験を有していること。

「門前の小僧習わぬ経を読む」とは、正にこのことかと。

3 北海道は、冬季長きため、一酔の酒を以って、寒さを凌ぐ習慣を有していること。

酒に十の徳あり。つまり、独居の友、万人和合す、位なくして貴人と交わる、推参に便あり、旅に食あり、延命の効あり、百薬の長、愁いを払う、労を助く、寒気に衣というが、大人の味あいである。

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(転~農作業を語る)

◎3月、白い花を身にまとう「コブシ」の木。

◎アスパラガスは、「春先60日で年間農作業終了」という素晴らしいうたい文句であるが、お米百姓はちいと違う。「米」と言う字はの、八十八の手間があるんじゃ。よう教えられんが、よう見ておけよと。ただしの、「コブシの花の少ない年は凶作」、「コブシの花が上を向いて咲くと豊作」と言い伝えられてきたそうですが、そんなの気にしても仕方がない。自然次第だけどな、自分の勘と経験に裏打ちされた「思い込み」で、一心に手で確認したらよい。凶作だ豊作だ騒ぐな。まずはの、作を肥やさず土を肥せ。堆肥百貫米一石という。麦は肥で作れ、稲は手間で作れ。田は下から掘れ、溝は上からさらえ。一種(いちたね)二肥(にこえ)三作(さんつくり)。朝起きと、早作りに損をしたものはない。

三粒に種(一粒は空を飛ぶ鳥のために、一粒は地の虫の中のために、残りの一粒は人間のために)と良く教えられての、そうしてあげたらいい。

◎海ではの、ニシンだがの、「念仏一心、田もにしん」なんじゃよ。してな、「最初の田植えは丑の日に始めるな、不幸のとき米になる。」といんじゃ、心せよ。太陽をもっての。

 

1、抜き穂 =田んぼの中から来年の種子を採取するため、異種種の疑いのある穂を抜きます。 2、採  種=種にする籾をほ場から収穫します。 3、唐箕選 =採取した種籾を唐箕(とおみ)」にかけ、選別します。 4、のげ取 =稲の籾にある芒(ぼう)を取り除く。 5、塩水選 =種籾を比重1:14の食塩水に付け、浮かぶ籾を取り除き、良い籾だけを選別します。 6、水  洗=塩水選で塩水に浸した籾を水で十分洗います。 7、種子消毒=一般栽培では、農薬に塩水選した種を浸して、馬鹿苗病、籾枯細菌、イモチ病の予防を行います。自然農法では、温湯浸法と言って、温湯に種籾を浸けての防除を行います。 8、浸  種=発芽には100度の積算温度が必要なので7~10日水に浸します。水は毎日交換して、酸素欠乏を防ぎます。 9、催  芽=浸種した籾を風呂に浸け(35℃位)発芽させます。鳩胸状態にするのが良い苗を作るコツです。 10、育苗土 =育苗土の準備、最近は、市販の消毒済みで肥料が入った物を使うのが多くなっています。自然農法では,ほ場や、山の霜崩れの土を篩い(ふるい)にかけて、育苗土を作ります。 11、育苗土消毒=苗立枯病の予防に育苗土に農薬を混ぜる。自然農法では、菜種粕液肥などを使います。 12、育苗土施肥=育苗土に肥料を混ぜます。 13、苗箱の消毒=苗立枯病の予防に苗箱を塩素系の殺菌剤で消毒します。自然農法では、省略します。 14、播 種  =種籾を苗箱に播き、覆土します。 15、新聞紙貼り=苗箱に新聞紙を被覆します。 16、苗代作り =苗代田に水を溜め、約3週間置いて耕し、苗代を作る。 17、苗箱並べ =苗代に苗箱を並べる。 18、保温資材被覆=苗箱並べが済んだらその上に新聞紙、有孔ポリなどで覆う。 19、カラスの害対策=カラスの害を防ぐ為、糸などを苗代の上に張る。 20、育苗管理 =発芽が5cm位になれば、新聞紙、有孔ポリなどをとり除く。その後、水が涸れないように、水管理をする。 21、苗 追 肥=苗の生育の為、液肥を苗に散布します。 22、苗の防除 =苗にも苗立枯病、イモチ病になる場合があるので、薬剤散布をします。自然農法では、健苗育成に努め、農薬は使用しません。 23、耕起(1回目)=稲刈りが済むと直ちに、田んぼを耕耘しイナワラをほ場に鋤きこみます。  24. 豆殻を散布=転作で栽培している大豆の茎葉は良質な有機肥料です。大豆、小豆などのからは、田んぼに積極的に還元します。 25、堆肥 運搬 =前年の秋に作っていた山野草の堆肥(のり面の草)を ほ場へ運びます。 26、堆肥 切断 =ほ場に運搬した山野草の堆肥を刈払機やカッターで小さく切断し、ほ場に鋤き込みやすくします。 27、堆肥 調達 =山の腐敗土、近隣の畜産農家の堆肥などを調達し、良質有機物を田んぼに施します。 28、耕起(2回目)=トラクターで耕耘し、堆肥をほ場に鋤き込みます。 29、溝 上 げ =水溜の時、水が田んぼに早く回るように、畝たて機 (うねたてき)で田んぼに溝をほります。 30、畦草 草刈 =水溜をする前に、田んぼの畦(あぜ)及びのり面側の草を刈ります。 31、溝 掃 除 =雨水をため池の入れる為の水路を集落あげて行う。 32、水 溜 め =雨が降ったら田んぼに引き込んで、トラクターで耕耘し水溜をします。トラクターで2~3回耕耘し、水持ちを良くします。 33、畦 塗 り =田んぼから水漏れを防ぐ為、クワで畦塗りをします。 34、元肥 散布 =元肥を散布します。自然農法では、元肥には菜種粕、米糠等を施肥します。 35、代 掻 き =散布した元肥を土に混ぜるとともに、田んぼを均一にする為、代掻き(しろかき)ロータリー耕をします。 36、苗 取 り =苗代から苗箱を取ります。昔は、苗を1本1本手で取って、束ねて田んぼに運んでいました。 37、苗 運 搬 =苗代から取った苗を運搬機で田んぼに運びます。 38、苗箱 施用 =田植前に殺虫剤、殺菌剤を苗箱に散布します。勿論自然農法では、行いません。 39、田 植 え =田植え機で田植えします。昔は、田植え機がないので、手植えでした。束ねた苗を投げ込み、1本1本手で植えていました。 40、補 植 え =機械でうまく植えられなかった所、欠株の所に手で植え直して行きます。(実は少々の欠株は、稲の収穫に影響がありません) 41、苗箱 荒い =苗箱を洗います。 42、除草剤散布 =田植え後7日目位に除草剤を散布します。私共の自然農法では、ここで除草剤を1回だけ使用させて頂きます。アイガモを放飼するアイガモ農法もあります。 43、除草機押し =除草剤を使用すると手取り除草はほとんど不要です。 自然農法では、除草機を2~3回押します。 44、手取り除草 =除草機を押してもやっぱり草が残ります。最後は手による人力除草です。 45、追  肥  =6月の分けつ肥・7月追肥・8月穂肥を2回実肥を4~5回追肥します。 46、穂  肥  = 47、穂  肥  =自然農法では、ペレット状の有機肥料を散布します。 48、防  除  =4~5回本田に農薬を散布して、病虫害を防ぎます。 自然農法では、農薬の代わりに木酢液を散布する事があります。 (病虫害を防ぐ波動調整をする) 49、水 管 理 =田植え後出穂までは水を切らさないよう深水管理、出穂後は、間断かん水の水管理をします。(これが意外と大変なのです。) 50、揚  水  =日照りが続くと、水不足になります。水持ちが悪い田んぼはポンプで水を汲み上げます。 51、悪水 除去 =大雨が降ると必要以上の水が田んぼに入ったり、畦畔が崩れたりします。大雨の時は大水が田んぼに入らないようにします。 52、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。 53、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。 54、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。 55、ヤネ刈り =7月中旬に再度田んぼの、のり面の草を刈ります。 56、草  刈 =採草地、田んぼの、のり面の草を刈ります。 57、草 束 ね=-刈った草は数日そのまま乾燥させておき、束ねて、のり面 に重ねておきます。これが来年の米作りの堆肥になります。 58、のり面の管理=のり面にススキなどが生えるのは良いのですが、クズや木が生えると草刈作業が大変なので、こまめに抜いたりします。 59、溝 切 り =排水の悪いほ場では、田んぼに鍬等で溝を掘ります。 60、落  水  =稲刈りの20日位前に、落水します。落水は、田んぼに水の出口を掘って行います。 61、抜き 上げ =落水の時、排水の悪いほ場では、稲株を堀上げて、排水溝を作ります。 62、ヒエ 取り =ヒエの穂が出てきます。ヒエは種が田んぼに落ちると大変ですので、ヒエの株を鎌で切り取ります。 63、猪  害よけ=猪よけをする。 64、雀  害よけ=稲穂が実ると雀がやってきます。案山子(かかし)や ピカピカ光るテープを張ります。 65、稲 刈 り =昔は、鎌または、バインダーで稲を刈りました。天日乾燥しむしろで干し、それを脱穀機で脱穀していましたが、今はその行程をコンバインの一行程で完了します。 66、ホギ 作り = 67脱   穀  = 68、籾 運 搬 =コンバインで刈った籾は運搬車や軽トラックで乾燥機の所まで運びます。 69、乾  燥  =収穫した籾の水分が15%位になるよう乾燥機で乾燥します。15%に乾燥する理由は、虫害の防止、籾摺りしやすくする為、そして米の検査基準があるからです。 70、籾 摺 り =乾燥した籾を籾摺機にかけて。籾殻を取り除き、玄米にします。 71、米 選 別 =籾摺した籾を米選機にかけて、未熟米を除きます。 72、計  量  =選別した精玄米を米袋に詰めます。30kgの紙袋に入れます。 73、出  荷  =出来上がった米袋を出荷して検査を受けます。 74、保  管  =米は常温で保管すると、翌年の梅雨明け以降に食味が大きく変化します。その為低温貯蔵庫で保管し新米の食味を維持に努めています。 75、精  米  =直接消費者の皆様方にお届けするお米は、玄米を精米機にかけて糠を取り除き、白米にします。 76.石 抜 き =時には、米の中に異物が混入する事があります。石抜き機で小石や異物を除去します。 77、焼きずくも =籾摺り後に出る籾殻を焼いて燻炭(くんたん)にします。 78、畦 落とし =水溜の時塗った畦をスコップや畦切り機で落とします。 79、畦畔シート除去=畦に使ったシートを除去します。」 80、田面の均平化 数年間稲作りをしているうちに、ほ場の外側が高くなったりします。低い所の土を高い所から運びます。 81、暗渠の整備 =ほ場の排水を良くする為、暗渠(あんきょ)は毎年掃除しないと機能を十分発揮できません。田んぼに溜まった泥を鍬であげます。 82、土手の草刈り=溜池や土手の草刈をします。 83、機械の整備 =使用した農機具はその都度、きちんと整備して置かないといざと言う時に不都合が生じます。 84、機械の点検 =冬場でも時々エンジンなどをかけ点検をしておきます。 85、記  録  =作業の実施状況、水田の管理、作柄、経営の記録をつける事は大切な事です。 86、栽培技術の研鑽=栽培講習会に参加したり、栽培技術の高い農家の視察などをし、常に美味しい米作りを目指します。 87、販売 宣伝 =販売ルートの確立と美味しい米の試食会などを開催します。 88、米 作 り =米作りは人作りにつながります。日々自然に学び・人に学び・土に学びます。

 

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(結)

いま、ここには、昭和20年頃と同じようになった。

昭和32、33年頃の、列島改造論、所得倍増論などの言葉に象徴されるように、他産業もますます盛んになり、農家の人でも大きくその方に流されていった。

「夢多き 年過ぎ去りて 遥かなる ふるさとのカコ 夢み楽しむ」

 

都会に出る私に諸先輩が残し伝えてくれたことがある。

「都会砂漠に住んだ人もそうではない人も、いろんな人も一様に「ふるさと」あるものでしょう。母のふところが「ふるさと」というもいらっしゃるでしょう。その恩は忘れないでしょう。昔の人は良く言ったものです。「三つ子の魂百まで」と。あなたもきっとそうでしょう。」と。

 

今後どのような変遷をここ私の「故郷」が遂げるかは、私の知ることはできないだろうが、願わくば、「ふるさと」の山川草木は、我々の子孫に限りなき恵みを与え、村を貫流する天塩川が悠久の流れを続けるように、子孫繁栄をわが子、わが孫に託す。

だか、まだ我々の時代である。ふるさとの山はありがたい。