私たちは人と関わりをもちながら生活しています。

家族や友人関係、夫婦、カップル、仕事の仲間、その中でも、ある程度のことに目をつぶり許しながらやっていかなければなりません。

相手に対し大きな愛情がなければ許すということは難しいことです。

例えば

暴言を吐く…

暴力を振るう…

嘘をつく…

自分の意見を押しつける…

など、人としてあまりしてはいけないことを許してもらいながら、家族や夫婦、カップルや友人を続けて今があるという人たちがいるでしょう。

許すことは大切ですが、仏の顔も三度までという言葉があるように、限界を超えるほど許すのは愛情ではありません。

私たちは仏ではありません。

許す人の心にも限界があり、傷ついたり苦しんだり悲しみを感じているのです。

ムリがたたりすぎれば、人を信じられなくなったり思いやる優しさを忘れかけてしまったり、反動が何等かの型でやってきます。

そこまでして相手をまだ許すということは分かって欲しいと見返りを求めているのか、離れられなくなって依存している場合があるようです。

それは相手を思っているようで自分のことを考えていることにもなるのです。

相手を考えた時、ある程度の許しが必要ですが、心の限界を超えたら、時には相手を突き放し別れを選ぶことにも大切です。

自分の心が壊れてしまっては、相手を大切にすることもできなくなってしまうからです。

自分を大切にできない人が人を大切にすることはできません。

悲しんでいる姿をみて、あなたを心配し、思ってくれる人が心を痛めていることを思いだしてください。

許しは必要ですが、私たちは仏ではありません。

自分の限界を相手に伝え、何でも我慢できないということに気づいもらいましょう。

あなたを思ってくれている人なら伝わる時がくるはずです。


許しは大切ですが許しすぎれば当たり前になり、愛情もあまり感じなくなってしまう…

人は複雑な生き物です。