こんにちは、たーぼーです。



ブログを見てくれて

ありがとうございます。

🪓 🍎 🪓 🍎 🪓 🍎

数回連続で、

お釈迦様の語られた「十二因縁」について書いてます。


ここでちょっと、

今まで得た知識を整理してみると、




「十二因縁」は、

無明→行→識→名色→六処→
触→受→渇愛→取→有→生→
老死 


の12段階を順番にたどる事で
苦しみが発生しつづける法則ということでした。



「無明」から「受」までは
この世に生まれたら
誰にでも必ず湧いてくる現象だと言うことでした。




それなら「受」の次に起きる 

「渇愛」がなるべく現れないようにしたならきっと、



イライラ、嫌悪、罵り合い、
落ち込み、独占欲、
うぬぼれや自己中、

心配で眠れない、将来を悲観する、憂うつや無気力、
他人を呪う・・



などなどの不幸から
離れることができると思います。



前々々回のブログにのせた
「十二因縁」の説明のなかでは
「渇愛」とは
「とんじんち」と同じものだという事でした。





「とんじんち」とは

貪(とん)=好きなものに引き付けられる動き

瞋(じん)=嫌なものを自分から離そうとしたり、攻撃する働き

癡(ち)=刺激がないからぼーっとしたり、

同じ思考が頭の中でぐるぐるまわるような働き



という事でした。




・・・😨
・・・😨



好きなものには進んで近づき、
嫌なものから離れようとし、
刺激がないとぼーっとしたり
無駄な思考が頭の中をぐるぐるまわる・・




これって私です。
私が日常いつもやってることです。

私は100パーセント「とんじんち」でできている?


私は100パーセント「渇愛」でできている?



「渇愛」が現れないようにするのは至難の業?



私は死ぬまで「渇愛」のエネルギーに翻弄される?



でもそれはちょっと、
残念無念だから
抜け道は無いのかと考えてみると、



たまには「とんじんち」で行動してない時もあると
気が付きました。




それは
人気のないバス道沿いを歩いている時や
誰もいない森林公園を歩いている時などです。


私は、歩いているときには
一切何にも考えないことにしています。



すると、藪の中から
ガビチョウが飛び出したり
リスが木の幹をかけ上るのが見えたり


高い場所でカラスが2羽、
何か語らうように寄り添っているのが見えます。


そうした時には、
何も考えていないのに突如として


「この生物たちは

誰からも保護されてない。

何かを保証されてもいないのに

こうやってつつましく淡々と生活しているんだ。

私より立派なかたがただな。」


という気持ちになるのですが、
その時は「とんじんち」がまったく無い
キレイな心になっています。


また、今の時期に
里山などに行くと田に水が張られていて

水の中にはゲンゴロウとか
ヤゴなどの水生昆虫のこども、
オタマジャクシやタニシ、
エビみたいな生き物、
名前は知らないけどイネの葉にくっついている昆虫などがいます。
ヒルとかボウフラとかもいます。



田んぼの水の中は
ひとつの「世界」になっていて
さまざまな生物が共生しています。


「この生物たちのお陰で 
水田の環境が維持され稲が育つのだな。」

と感じる時にも「とんじんち」がない心になっています。




だから、
「とんじんち」=「渇愛」
を減らすには
他の生命体の生き方を観察することが助けになると思います。




今日も、
最後まで読んでくれて、
ありがとうございました。

ではでは。