こんにちは、たーぼーです。


ブログを見てくれてありがとうございます。


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ミャンマーの僧侶で

有名な瞑想指導者でもあるウ·ジョーティカの

「ゆるす」という本を読んでいます。



この本は昨日、横浜市内の図書館で借りました。


人口が372万人以上いる横浜市の図書館に、なんと、

1冊しか無い本でした。


大変に貴重です。



貴重な本を待たずに借りられたのは、とても運が良いです。






この本は「怒りの手放し方」について詳しく説いてあり

日々さまざまなストレスに晒されている私には有益な本でした。



中でも 「スピリチュアルな徳性」についての記述が勉強になりました。



こう書いてあります。



・・たとえ思考の中だけのことであっても、

とにかく自分を傷つけた人を許すことを思い浮かべてください。


その瞬間にあなたは自由を感じます。



怒りはまた戻って来るかもしれませんが、同じことを、

すべての人とすべてのことについて許せるようになるまで

繰り返すのです。



もうこれ以上、誰のことも何についても責めることがないように。


こうした種類の心、

もう誰のことも責めることがない心の状態を想像してみるのです。




すると心はどれほど自由になることか。






私は恨みを持っていない。


私は誰のことも責めようと思わない。


私はすべての人を、

彼らが自分に何をしたか、そして未来に何をするかを問わず、

解放する。



この種の心を持って生きることは、本当に並外れて素晴らしいことなのです。



スピリチュアルな徳性を本当の意味で育てるためには、

この種の自由が必要です。



世俗的な(世間の)レベルを乗り越えて

それを超えた(出世間の)理解に踏み入るためには

ーー つまり世界を乗り越え世俗的なものを乗り越えるためには ーー



それが必要とされます。




そんなわけで、

怒っている時には私たちはこの世界に囚われている。


この世俗的な世界に囚われているのです。



腹をたてているかぎり、

恨みを持っているかぎり、思考の中で誰かを罰し続けているかぎり、


私たちはこの世界に囚われている。



ダンマとは、これらすべてを乗り越えることです。



ですから、このことを深く深く理解するようにしてください。


誰かを許さないことで、私たちは何を得るのでしょう。


何かを得ていると思っているから、私たちはその行為をするわけです。



では、何を得ているのか?





・・・長いからここでいったん引用を止めて、



「徳性」という耳慣れない言葉はどんな意味か、ググッてみたんです。


すると「徳がある」とか「道徳心がある」という意味でした。




スピリチュアルな生き方の土台は道徳心?





この続きはまた次回に。



ではでは。