こんにちは、たーぼーです。


ブログを見てくれて、ありがとうございます。

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ある日のことです。

私は午前中に掃除や洗濯を完了し、
用事を済ませるために外出しました。


銀行口座に電話料金を入金したり、
未払いの税金をコンビニで支払いました。


すると、
財布の中に現金が60円だけになりました。    

「明日は給与が振り込まれる日だから
今日は何も買わずに帰ろう。
晩ごはんは冷蔵庫にあるもので作ればいいし。」


・・と考えた私は、
時間があるのでワザワザ普段は通らない路地に入って
遠回りして帰りました。


歩きながら

「途中で業務スーパーの前を通るなー。
今日は荷物がないから
サバ缶を買ってかえりたいなー」とか

「あそこはカード使えないんじゃないかなー?」とかいう考えが浮かびました。




しばらくして
私鉄の線路の高架橋の下のタクシー会社の駐車場の前を
通過するとき


目の前のアスファルトの上に
三つ折りにした千円札がありました。


その紙幣を拾い、
よくみて見ましたが、間違いなく千円札です。


「現金が無いから困ったな」と考えていたら目の前に
現金があらわれた・・



この時、私は量子力学の
「状態の重ね合わせ」を思い出しました。



原子より小さいミクロの物質は
観測するまで

「存在する」と「存在しない」の両方の状態がかさなっているという話です。

ミクロの物質とは電子とか、
陽子とか中性子です。


仕切り板で2つに区切る事ができるようにした箱に 
電子を1個入れ、仕切り板で箱を2つに区切ると、

箱の中の空間は2つに分かれます。


目に見える物質の場合なら
一個のものを箱に入れて仕切り板で箱を区切ると
 

ものは右側の空間か左側の空間かどちらかに存在し、
どちらかには存在しません。


ところがミクロの物質である
電子の場合は、
観測するまではどちらの空間にも「ある」と「ない」が
かさなっているという話です。


人間が箱の中を
観測した瞬間に電子は「粒」になってどちらか一方に収まる・・という事です。
 



普通は、存在するのと存在しないのが同時に起きてる
とか言われてもぜんぜんピンと来ないと思いますが、



私が駐車場の前のアスファルトの上に千円札を発見した時、


私が観測する瞬間まで、この千円札は
存在していると同時に存在していなかったのではないか?


という疑問に囚われたのです。



私が人間ではなくて野良猫だったとしたら
目の前にお金があっても
特に注意をはらわず通り過ぎたと思いますし、


私が杖をついた老人で
目がよく見えない上に足もとがおぼつかない人であったなら


常に自分の足元にしか注意がいかないから
道に落ちているものをいちいち確認しないだろうから


野良猫や目がよく見えない老人や、
アスファルトの上にある小さな紙切れに注意が向かない人には


あの千円札は存在しないのと同じこと。


私がその場所を通りかかり
「これは紙幣だ。」と気づいた時に、
初めてその紙幣が現実のものになったのです。



ここで
すごく大きな疑問が起きました。


「気づく」という心の働きは
何故起きるのでしょうか?


いつも歩いている街や公園に
珍しい虫や鳥がいても
気づく人と気づかない人がいる。


玄関のホコリやゴミに気づいて掃除する人がいる一方
気づかない人がいる。


風呂場の壁にカビが発生しても気づいて掃除する人と
気づかない人がいる。


自分の子供の長所に気づいて それを伸ばそうと気を配る人がいたり、

子供に長所がある事にすら気づかない人がいる。

 

自分や家族や友人知人の長所に気付けるほうが
短所にばかり目がいく人よ
楽に生きられますし、



自分が育った地域や時代の良いところ、有利なところに
気づける人は不満をためこんだりしません。



「気づき」は自分が意識していない時に起きます。


「気づき」は自力でおこせるものじゃないようです。


という事は、地震やカミナリや台風のような
自然界の流れの一部だということかもしれません。



私の経験から考えると
何かに気づく時は自我が薄まっている時です。


自分の損得や好き嫌いを忘れている時に
新しい気づきが起きやすいと思います。



今日も、 
最後まで読んでくれて
ありがとうございました。



ではでは。