こんにちは、たーぼーです。


このブログを見てくれて、ありがとうございます。


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「運命の人」とか「運命の相手」と言う言葉があり、

理想の恋人やパートナーを意味しているようです。


「運命の人を見分ける方法」などのタイトルを見る事があります。


誰にでも運命の人がいると言う考え方があるんですね。





だとしても

「運命の人」の意味するものが、
「わたし」の趣味や好き嫌いを理解してくれて
「わたし」が不快になる事を一切しない相手・・


という意味であるならば、
そういう人は存在しません。


「わたし」を絶対に不快にしない人と言うのは
論理的に存在できません。


なぜなら、
他人の言葉や態度をどう感じるかは、
百パーセント自分の解釈や思考の問題だからです。


同じ「おにぎり」の味が
空腹で死にそうな時と満腹の時とではまるで違うのと同じで、


同じ人の同じ言葉でも
こちらの心身の状態によって

有り難く感じる場合も、不快に感じる場合もあります。




また、
長い時間をかけて身に付けてしまった心の習性によっても
人の行動は全然変わってしまいます。


小さい時からずっと、
自慢話や人の悪口やうわさ話などはすべきでない
恥ずかしい事だと教えられていたなら 


大人になってもそういう事はしないし、
人を見下すこともないはずです。



逆に、自分の気持ちは時と場所を考えずにペラペラ話すのが普通で

他人に対して不満や批判を言うのは人間なら当然だ、
本人に言えない時は陰口を言ってやれ・・


という雰囲気の中で育つと
怒りや嫉妬に支配されやすい
大人になってしまうかもしれません。


(私もそういう環境で育ちました。)


なので「運命の人」と呼べるかどうか判らないけど、


争わずに平和に協力しながら
一緒にいられる相手を得るためには


まず自分が相手に期待を持たないで非難をしないでいられて、


そのときどきで
相手の状況を理解して
母親のような態度も友達のような態度もとれるならば、


長く平和にいられるはずです。



人に期待ばかりして感情的にふるまう人には
「運命の人」はあらわれないと思います。


「わたし」と言う人物は本当はどこにもいません。

小川を流れる水のように「わたし」の中を酸素や水や栄養が
入っては出ていき、


五感にさまざまな刺激が入って心に変化を起こして
心の状態が次から次に変わりながら流れていきます。


なので「わたし」が感じるワクワクにしても
イライラにしても、

ただ脳の中で電気信号があっちこっちでついたり消えたりするから起きているだけで、

「わたし」が喜んだり怒ったりしているのではありません。


なので、電気信号に操られて「ああ、なんて素晴らしい人かしら」とか
「嫌だわ、こんな人とは思わなかった」とか

あれこれ騒ぐと心の平安が保てなくなるのです。


「運命の人」に出会いたいなら、
とにかく感情的にならないで
理性的でいる練習をした方が良いと思います。



 
今日も、最後まで読んでくれてありがとうございました。


ではでは。