こんにちは、たーぼーです。



このブログを見てくれて
ありがとうございます。

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「私」はもともと生まれてないのだから「自我」は錯覚だ。


「自我」は薄めた方が良い・・


前回のブログはそういう内容でした。




「自我」とは、自分に実体があると思い込み、

自分の肉体、持ち物、グループ、権利、子供、趣味、能力、意見などに執着すること・・

です。



日本には、勝ちか負けか決めたがる人が結構いますが、


AさんとBさんの一生を比較して


どちらが勝っている負けていると判断する事は不可能です。


「勝ってる」「負けてる」という考えが浮かぶ瞬間はあっても


「勝ってる人」とか「負けてる人」という固定的な存在はどこにもいないからです。



なぜ多くの人の意識が勝ち負けに向くのかというと、

 
ひとつは
学校で身に付けた習慣かも。

一番はだれ、二番はだれと、
常に序列を作りたがるんだから。



あとは、
新聞やテレビの内容が
勝ち負けを強調するからかもしれません。




この前のブログと同じことを言いますけど、

「私」はもともと生まれてないので、

勝つ「私」も負ける「私」もいないのです。



もし「私」の誕生の日から
老人になって死ぬ日まで、

「私」を毎日10秒ずつ撮影して繋げた映像があったとして、



90年生きたとしたら
おそらく91時間分の記録映像になるでしょう。


それを100倍の速さでスクリーンに写したら
おそらく50分ぐらいで見終わります。


90年分の「私の歴史」が
すごい早さでスクリーンに写っていたなら


たぶん、次々に変化しているのが見えるだけで、
Aさんの90年でもBさんの90年でも、

ぜんぜん変わらないように見えるのではないですか?


最初はおっぱいを飲んでいて、
最後は棺おけに入ってる


という印象しか残らないと思います。


AさんでもBさんでもCさんでも別に変わらない。
ラストシーンは死体。


そういうことだから、
誰の一生もあまり変わらないのです。




おく外の水桶などに
ボウフラがいる事があります。


卵から出たボウフラは、
脱皮を繰り返しながら水の中で伸びたり縮んだりして

水中の微生物や細菌、生物の死骸、排泄物などを
食べて生きているそうです。


1週間くらいでサナギになり
さらに2~3日たつと
羽化するのだそうです。



ある特定の環境で発生して
呼吸や運動や食物摂取をして
体が大きくなって
 

一定期間が過ぎると、
その環境から消える・・


この部分だけ見ると人間とボウフラはあまり変わりません。


ところがボウフラと人間の行動にはあまりにも
違いがあります。


ボウフラは水中の汚れを食べて水をきれいにしています。


羽化してからは
多少は他の動物の血をすったり、

病原菌の繁殖を手助けしたりしますが、

他の生き物を大量に殺すような事はしません。

 

人間はどうかというと、
生きるために他の動物をたくさん殺してしまい、

家畜やペットにして自由を奪ってしまい、

医薬品のために生きている動物を実験台にしてしまい、

山を崩して草木や虫たちを大量に殺してしまい、


国や民族が違うからって差別や暴力行為をしてしまい、


場合によっては違う国の上空に飛行機で飛んでいって
他人の頭の上に爆弾をばらまいて殺したりします。



不思議な事に、
他の民族に戦争をしかける時

「神が守ってくれてるから
我々は勝つ」

なんて考える場合もあります。


他の民族を殺して土地や権利を奪う人々を

積極的に守り助ける存在が「神」なんであれば、


「神」と「悪魔」は同じものだという話になります。



本当は「勝ち負け」なんかないのに戦ってばかり。



こんな感じで
ボウフラの行動と比べて
人間の行動は、


あまりにも意味不明で
頭がおかしいとしか言いようがないのです。


こうしたおかしな行動をしているのも「自我」なんですよね。


「自我」は何故、
おかしな事ばかりするのでしょうか?


次回はその点について考えてみたいと思います。



今日も、
最後まで読んでくれてありがとうございました。



ではでは。