こんにちは、たーぼーです



このブログを見てくれて、
ありがとうございます。

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前のブログは、ひとりさんCDに入っていた
「ワイパーの話」についてでした。

一人さんの言葉で
「人の魂は、神様からいただいた分けみたま」
というのがあります。


人の魂とは「光」であり、
神の「光」を分け与えられたものである・・と言う意味だったと思います。


どんなに心が傷ついても、
人の魂は「光」であるから、絶対に傷つくことは出来ないと一人さんはおっしゃっていました。
 



この「神の分けみたま」とはどういう事なのか、
考えてみました。


私が勝手にイメージしている「神の光」と「分けみたま」の関係についてご説明します。


「神の光」とは宇宙全体を変化させながら存在させている
エネルギーです。

「分けみたま」とは、
私たち人間とか、飼っている犬や猫、国や地域、海や山、
家やビルやマンション、
家電製品や包丁やまな板、腕時計や携帯電話・・


などの、形があるものを変化させながら存在させている
エネルギーです。


おそらくすべての「分けみたま」は
「神の光」から必要なだけ供給されているのです。


なぜそんな風に思うかと言うと、かなり前なんですが

世界初の生命誕生実験に成功した、川田薫先生の動画を見ていたら


川田先生がこんな風に言っていたんです。

「実験用の計測器で死んだラットの体重を計ると、
死ぬ直前よりも一万分の一だけ体重が減っている。

これは他の生き物や機械などでも同じで、
時計を分解して部品全部の重さを計ると
分解する前より、わずかに質量が減っている。」

生き物が死んだ後や、
機械などを分解して部品の状態にしてその重さを計ると、

生きていた時や機能していたときより
ほんのわずかだけ重さが減っている。

川田先生はその理由を
「おそらく、魂が抜けたからだ」と言っていました。


それを考えると、
「たましい」や「分けみたま」とは、
形があるものの形や機能や性質を維持しているエネルギーだと考えられ、

抜けたら次は「神の光」に戻っていくのだろうな
・・と思います。




だけどね、私は今は自分の体験とは夢と同じで、
意識の中に浮かんでいる映像だと思ってて、

映像だからこそ、トイレ掃除を続けると臨時収入があったり、
嫌な人と争わずに、自分に都合の良い考え方をして
好きなように振る舞うと嫌な人が目の前から消えたりするのだと思うんです。


これは前半でお話した、人や物は存在していて
それを支えるエネルギーが「分けみたま」だという考え方とは矛盾してますね。


これはね、おそらく、人間の意識がマトリョーシカみたいな、
ふたを開けたらまた私が入っている、
その私のふたを開けたら
さらに私が入っている!


というふしぎな構造になっているからだと思われます。


一番外側の私の意識から見ると世界は夢と同じに見えるが、
もっと中の方の小さい私の意識からは、
自分も物も確かに存在しており

だからこそ、自分の体や自然や身の回りの道具を
大切にする方法を学べる・・


という事なんだと思います。


今日も、
最後まで読んでくれてありがとうございました。


ではでは。