こんにちは、たーぼーです。


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昨日の続きです。


グルジェフは、

人々はみな機械だと言った。

機械でいるのをやめることは出来るが

そのためにはまず、

機械を知らなければならない・・と言った。




「自分は機械」というのは
「自分はいない」というのに似ています。


以前のブログに書いた
受動意識仮説の
前野貴司先生も、

人が心で感じるすべての事は、
脳神経回路のニューロンの発火が原因で
勝手に起きているのであって、
自分の意思というものは無い・・

とおっしゃっていました。


私には、グルジェフも
前野先生も、とても良い事を言っているとしか
思えません。


自分が機械だと思えば、
失敗しても嫌われても、
たまたま機械の調子や何かが
悪くて
まずい事になったのだな・・


という風に軽く考えられるからです。
それと同時に、

「どうもこの機械は、
こういう場面でこういう間違いをおかしやすい。」

「対策として○○な人には近づかないことにする。」

「怒りや不安を感じた場面を記録して
その状況を避けるための
対策を練ろう。」

・・
とかの気楽な対処を実行できます。

気楽に構えると

「あっ!今機械はイライラしてる。イライラしてるよ。
お気の毒に。」
とか
「また機械が○○の事を考えて不愉快な気分に。
ああ不愉快なのね、機械。
よしよし。(^ω^)」
 

という具合に、
「機械のやる事だから
大目に見てあげようよ・・」
的な構えかたが
できてくると思います。


また、
機械にダメなところがあっても
深刻にならないで
長い目でみてあげられます。


機械を知るって、そういう事かもしれないと
思います。


その方が問題を大きくしないですむはず。


グルジェフと前野先生、
ありがとうございます。


今日は、機械を知る・・について考えて見ました。



ではでは。