3月9日にお爺ちゃんが旅立ったんです。なんと、95才でした。
7月で、96才を前に。

最後までパワフルでした。
数日前にベッドぎわで、胸を打っていたらしく、痛くてしかたないのに、我慢していて、お母さんに、湿布を、はっているのを、見つかり大目玉。
整骨病院へ。
肋骨が、おれてました。とさ。

2日あと、デイケアに、行ってきた帰りに痛いから電気をあてに、いきたくなり、自転車で、出動。

バックで短い坂道をすりすり。
夕方。そのとき、突然脳梗塞が、襲ったらしい。
医大について、詳しく検査をしたら、わかったらしく。

救急車で、運ばれたものの、意識もはっきりあり、名前も言えて、自転車で、電気治療に向かうとこだったと、言えたのに、寝込んでしまうと、やっぱり弱るものなんですね。

人工呼吸器、点滴生活一週間。
さらに、誤嚥性肺炎を引き起こしてしまい、人工呼吸器をはずせなくなり、息も苦しい状態で、一週間、完全看護だけど、様子も良くはならない感じだったし中日あけて、2日泊まりました。

最初はもっと、力強かったおじいちゃんも、だんだんと、弱りきり、3月9日土曜日朝の8時前あたりでした。
最後まで闘い続けていましたが、帰らぬ人と。



90才のお祝いの品「祝の座布団」を市役所に中型バイクに乗って取りにいく程の元気さでして、市役所のひともビックリしていたことでしょう。

90才の時中型バイクが、故障したため、バイクやでそのまま、新車を購入してお母さんに、大目玉をくらって、ガミガミ言われたもので、死んだふりして、その場を乗りきったおじいちゃん。


いま、思い出すとかなり、懐かしい元気はつらつなおじいちゃんでした。

22才のころかな?第二次世界対戦にも、海を渡り日本のために、行ってきたんです。
死んでからおじいちゃんの昔の写真を、沢山孫たち一同で、あーだこーだ、言いながらみました。

戦争に行く前の写真や、軍服のひとばかりの白黒写真や、私たちと、一緒に出かけた写真、沢山ありました。

ほんと、長い人生いろいろ経験してきてるんですよね。

お正月に子ども、孫たちひ孫たち勢揃いしてわいわいして、おじいちゃんが、嬉しくて涙を流して喜んでました。わたしは、みてなかったけど、孫たちと、万歳してたらしいです。Σ(ノд<)

これで、おじいちゃん、おばあちゃんと、呼べる人は誰もなくなったんですよね。

いまは、天国に向かう途中だと、思います。

まだ、世の中どうなるのか、見たいと言ってたおじいちゃん、100までいくやろう、というと、エヘヘっと笑ってた、じいちゃん。

迷わずに天国に向かい、おばあちゃんや、昔のひとと、再会できるように、また、天国で、楽しんでくれることを願うしかありません。